仁徳天皇
私が眠っている
と言われていますお墓が
どうやら世界最大。
と言うことになっているそうであります。
こんばんは。
仁徳天皇にございます。
紀元後5世紀頃の人物として
取り扱われることの多い私なのでありますが
天皇の順番からしますと
私は16代目。
初代の神武天皇が即位しましたのが
皇暦元年。
今の年号に換算しますと
紀元前660年の出来事でありますので
うまくは言えないのでありますが
初代神武から私までの期間。
約千年の月日を
わずか16人の天皇で受け継いだことになります。
単純に割り算しますと
1人当たり60年以上在位しなければならない勘定になりまして
途中。天皇が存在しなかった時期もあったそうなのではありますが
仮に天皇が系譜上。繋がっていないとなりますと
またややこしい話になってしまいます。
当時の医学がどのような状況であったのか
定かではありませんが
少なくとも今よりは
成人に限定したとしましても平均寿命が短かった
と思われることを考えていきますと
……と言うことは気にしないほうが。
で私の出来事を取り上げさせて頂きますと
(昔見た偉人伝のかすかな記憶を辿ることになるのでありますが)
ある日。私、仁徳が皇居から
下々の住まいを眺めていましたところ
夕食時なのにも関わらず
家から炊事をしている風景
煙を確認することは出来なかった。と……。
それを見た仁徳は
3年でしたか?
税を免除しましたり、軽くしましたりした結果。
家々から煙が見られるようになった。
と言う出来事がありました。
この話。
一見しますと善政を如いた天皇のエピソードのように感じられるのでありますが
1つ気になるところがありまして
それは何か?
と申しますと
税を減免する前。
民はどのような状況に置かれていたのか?
でありまして
考え得る選択肢は次の3つに絞られることになるかと思われます。
家に炊事の煙が見られなかった理由。
まず1つ目に思い浮かびますのが
全ての家がオール電化されていたから。
でありまして
これですと当然のことながら
料理をする際、煙が発生することはございません。
ございませんが
仁徳が徳政を敷きました3年後。
全ての家から煙が立ち昇るようになったことを思いますと
(ガスの得意はガスに任せろ)
と言うことなのか?
もしくは大きな災害に伴いまして
1つの電源が使いモノにならなくなってしまった事に伴います
計画停電が原因で
オール電化から薪に切り替える家が増えたことなどが
今から1600年前の昔にあったのかもしれません。
ただその場合ですと
私。仁徳の政治の失敗を意味していることになりますし、
(……電気って、いつ頃発明されたんでしたっけ?)
になりますので
オール電化説は否定されることになることが予想されます。
そうなりますと有力になることが予想される
次の説がクローズアップされることになると思われます。
家々から炊事の風景を見て取ることが出来なかった原因。
それはこちら。
全世帯。食事は外食ないし出前。
男女雇用機会均等法に伴い、
女性も夜勤が出来るようになったこともありまして
ただでさえ帰宅時間が不規則でありました
世のお父さんがたに加えまして
お母さんもいつ家に居るのかわからない上、
受験を控えたお子様がたも寝る間を惜しんで勉学に励むことになる。
そうなりますと
家で調理しましたり、
家族揃っての食事が難しくなる。
そしてなにより時間が足りない
などありまして
各家庭に食事を宅配するサービスが充実。
その宅配されました給食を
各自。必要な時間にレンジで温め補給する。
そんな世の中。健全では無い。
と感じた私。仁徳は
全ての民に対し、
帰農することを奨励することにより、
当時の農業は人海戦術が全てでありましたので
否が応無く
家族全員が1つの作物を育てることに邁進することになる。
その結果。
家での炊事が復活する。
……と言うことなのか?
3つ目。
全ての民が家を棄て
どこかに隠れてしまったのか?
になることが予想されます。
当時のエネルギー源は薪でありますし、
物々交換は存在していたとは思われますが
それ程規模は大きく無く、
基本。自給自足の生活であったことを思いますと
当時の日本が
今のアラスカ並に気温が低ければ
生肉を食す生活を営むことが出来たとは思うのでありますが
さすがにそこまで気温は低く無かったことを思いますと
火を通さないことには……。
であったことが予想される中、
どの家からも炊事をする様子が見られない。
と言うことは
=誰も住んでいない事になるかと思われます。
……と考えていきますと
私。仁徳が行った善政
と言うのは
今、そこに暮らしている人々に対して
と言うよりはむしろ
昔のニュータウンとか
今でも続いています
企業誘致のための減税策であった。
と見るほうが
むしろ自然なことなのかもしれませんね……。