卑弥呼
(……果たして私は。
実在する人物なのでありましょうか……)
おはようございます。
今回から始まりました
『偽志倭人伝-我が人生を語る-』
のトップバッターを務めることになりました
卑弥呼にございます。
よく世間では
邪馬台国の女王として国の運営に携わり、
戦乱を治めるべく
魏の国に使いを出した
と紹介されることの多い
わたくし。卑弥呼なのでありますが
私が普段行っていることを
今の仕事に置き換えさせて頂きますと
(当時は祭政一致の世の中でありましたので)
政治家並びに宗教家。
更には裁判官と軍の全てを統括する立場
と見ることが出来ることかと思われるのでありますが
実際にやって来ましたことを
冷静になって振り返ってみますと
……たぶん
(……気象予報士)
になることかと思われます。
尤も天文を読む
と言いました行為は
私が使いを出しました当時の中国。
三国時代に置きまして
名立たる軍師の皆様が
こぞって観測したモノでありまして
この季節。風向きが変わることをあらかじめ知っていたから
うやうやしく雛壇拵えまして
赤壁に船を突っ込ませましたり、
流れ星を見て
突撃を指示するも
木像に騙されて走ることになられましたりなど
空を観察することは
農業のみならず
様々な事柄で応用されて来たのでありましたので
今の気象予報士の皆様がたよりは
権限が強かったことが予想されます。
ただ当時の観測機器
正式な呼び名を用いさせて頂きますと
目視と勘
での予報でありましたので
北九州に存在していたことを前提に述べさせて頂きますと
西が海のため
遠くまで見渡すことは出来たのではありましたが
どんなに視力が良かったとしましても
限界
と言うモノが存在しておりますので
明日の天気の当たり外れはまだしも
今年の作柄を
代掻きもしていない段階で見抜くなんてことは
土台無理な話でありましたので
それなりに
神様が降臨したフリをした踊りに興じながら
民が喜びそうなことを
さも神の言葉の如く諳んじることで
身の安全を確保して来たのでありましたし、
それを聴いた民百姓にしましても
正直な話。
(……陰では私のことをボロクソに言っていたと思いますよ。)
でも私には
祭政一致+軍を掌握していた
と言う裏付けがありましたし、
所詮天気は自然現象のことでありましたので
大抵のことは
許して頂く
(=武力で口封じをする)
ことが出来たのでありましたが
そんな自然現象の中で
唯一、許して頂くことが出来ない事柄がありまして
それは何か?
と申しますと
皆既日食
であります。
私、卑弥呼は
太陽の使いでありますので
私の後ろ盾となります
太陽が
本来出て居なければならない時間帯に
雲とは異なる事由で隠れてしまう。
と言うことは
あってはならないことと
民百姓は解釈するようでありまして
これが大陸の国でありますと
あらかじめ皆既日食の日を予言することにより
回避するのでありますが、
邪馬台国の場合はそのようなことにはならず。
問答無用に抹殺されることになってしまう……。
そのため
仮にきちんと天体を観測するだけの設備を備えることが出来たとしましても
(……自分が殺される日を知ることになるだけ)
になってしまいますので
(……適当に過ごしていた。)
と言うのが私の仕事であったのかもしれませんね……。
因みに次。
日本で観測することの出来ます
皆既日食は2035年。
その時、時の権力者が……
と言うことにはならないことを思いますと
(私は……早くに生まれ過ぎてしまったのかもしれませんね……)
邪馬台国は何処にある?
でありますが
仮に皆既日食が。
となりました場合
少なくとも皆既日食に関しましては
大和の国ではありませんでした。
北九州につきましても
直接上空が。
と言うわけではありませんが
西が海でありますので
遠くのほうで太陽がすっぽり隠れてしまった姿を
観測することは出来たと思われます。
もう1つ
魏の国に使いを出した目的。
と言うのが
援軍を求め。
でありますので
これが邪馬台国が仮に
大和にあった
と仮定しました場合。
少なくとも大和より西側の地域全てを
安全に移動することが出来なければ
魏に辿り着くことは叶わないわけでありますので
それだけのエリアを治めているにも関わらず
わざわざ海を渡って
魏に援軍を。
でありますので
仮にこれが事実でありました場合、
2世紀から3世紀年代に
関ヶ原規模の戦いが日本で繰り広げられていたことになります。
それだけの大乱が
もし勃発していたのでありましたら
某かの遺構を畿内で見つけることが出来ると思うのでありますし、
邪馬台国=大和朝廷でありました場合。
勝者の側となりますので
古事記や日本書紀で大々的に述べられて然るべき事象であるにも関わらず
それが無い。
と言うことは
わざわざ海を渡ってでもしなければ
援軍を見つけることが出来ない地域。
北九州のクニの1つが邪馬台国であった。
と見るのが自然なことなのかもしれませんね……。
……と長々と語って参りましたが
そもそも私が
実在する人物であるのかどうかが
最大の謎なのかもしれませんね……。




