後編
明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m
そして後編で終わらない件
弘治三年(1557年)、三好家の勢力圏は摂津を中心にして山城・丹波・和泉・阿波・淡路・讃岐・播磨・大和・伊賀・河内・若狭となっていた。史実より少し上回っており当時、長慶の勢力に匹敵する大名は相模国の北条氏康くらいだったと後の歴史研究家は語るが関東と畿内では経済的・文化・政治的要素等で当時は大きな差があった。
そのため勢力圏は長慶の方が優位だった。これにより全国の者達は三好家が天下統一に近いと認識していた。
「全員に言っておく、三好が制したのは高々畿内とその近辺だけだ。また、摂津には本願寺もいる。気を抜くではないぞ」
「元より承知致しております」
「然り」
長慶の言葉に久秀や三好三人衆達が頷く。
「そこでだ。我々は今、芥川山城を居城としているが本願寺からだと近い」
「居城を移すと?」
「河内の飯盛山城に居城を移したいと思う」
「成る程。それで儂を呼んだわけか」
遊佐長教が納得した表情で頷く。
「義父上に新たに和泉国守護代を用意させました。真に申し訳ないと思いますが……」
「いやいやそのような心配は無用じゃよ」
頭を下げる長慶に長教はそう取り繕う。
「して殿、居城は飯盛山城に移すとして今後の方針は如何なさいますか?」
「四国を平定する」
「……成る程。九州の牽制ですな」
長慶の言葉に久秀は納得した表情をする。
「伊予の河野に伊予一国安堵で協力するように書状を送っている」
「成る程」
河野通宣は長慶からの書状に驚きつつ三好に協力する事になる。長慶は居城を飯盛山城にして本願寺への対策も徐々にしていた。永禄元年(1558年)、飯盛山城に赤ん坊の泣き声が響き渡る。
「産まれたか!?」
「はい、元気な男の子にございます」
これまで四人の男女に恵まれた長慶だが新たに産まれた命をその手に抱き締める。
「よくぞ産んでくれた愛宕」
「はい、私も嬉しいです殿。次は青葉殿にもお願いします」
「ははは、御願いされては敵わんなぁ」
「まぁ愛宕様ったら」
長慶達が笑いあう。そして廊下では久秀や三好三人衆達が男児の誕生に涙を流していた。
「うむ、真にめでたい事だ」
「左様左様」
「これは祝い酒だな」
「お、それは良さそうだな」
四人は仲良さそうに語らうのであった。男児は後に三好分家として大いに幕府に貢献するのである。そして永禄三年(1560年)、長慶は自室に息子慶興を呼び寄せた。
「御呼びですか父上?」
「うむ。お前もそろそろ十九となるだろう。そこで御主に友通が城主をしている高屋城の城主となれ」
「真ですか父上?」
遊佐長教は史実の暗殺が無く、今は和泉にいる。そのため高屋城には今のところは岩成友通が城主をしていた。
「高屋城の価値は御主も分かっているだろう?」
「……紀伊ですね?」
「あぁ。重大だが御主ならやれる。補佐にはそのまま友通が付いてもらう」
「御意。精一杯の努力をします」
「うむ。だがあまり詰めすぎるな」
長慶はそう釘を指していた。息子の死を恐れていたからだ。
(祝言をさせて妻を持たせたら或いは……いや、義資というのがいたがほぼ分からない状態だしなぁ……いや待てよ)
「丹波」
「は」
長慶の言葉に屋根裏の一つの板が開いて中から丹波が顔を出す。
「今川家で面白い事があったな?」
「……伊井氏のですな」
「そうだ。確か伊井直盛の娘に次郎法師というのがいたな。そいつと慶興を祝言させるか」
「ですが歳が……」
「問題はそこだな」
「……慶興様より殿の側室で良いのでは?」
「何でそうなる?」
「やはり歳が問題です。殿の側室では次郎法師は問題ありませんが慶興様だと少々釣り合いません」
「むぅ……」
長慶が思案する。
「貴族から迎えては如何でしょうか?」
「……その手しかないか」
長慶はそう呟いて関白だった近衛前久に相談。近衛は他の公家達と相談しつつ羽林家のとある家から慶興は嫁を迎えたのである。ちなみに長慶は今川家との関係を作るために側室に次郎法師を迎える事にしていた。伊井家も直親の事もあり積極的だった。だが次郎法師を送り出してから桶狭間の戦いが起きて直盛は戦死する。そして永禄四年、弟の十河一存が病を患い死去したのである。
「……そうか。一存も病には勝てぬか……(やはり一存死去は歴史通りか。だがまだ実休がいる。あいつをむざむざと殺させはせん)」
三好家に皹が入ったと思われた出来事だが長慶は冷静だった。傍らには愛宕や青葉、そして新たに側室に迎えたばかりの虎姫(直虎)が不安そうに長慶を見ていた。その視線に気付いた長慶は頬を緩ませる。
「心配するな三人とも。俺は大丈夫だ」
長慶はそう語るのであった。そして長慶は実休と久秀を呼び出す。
「一存を失ったのは辛い。だが失った者は二度と帰って来ぬ」
「は」
「一存への供養は日ノ本統一という供養にしようぞ」
「はい兄上」
長慶の言葉に二人は涙を流す。
「二人は大和から伊勢に出よ。北畠を叩くのだ」
「紀伊は如何しますので?」
「幸い雑賀とはそこまで嫌悪ではない。それに友通と慶興もいるから大丈夫だろう」
「御意。伊勢へ侵攻しましょう」
そして史実とは異なり実休と久秀が大和経由で兵力三万六千で伊勢へと侵攻する。道案内には伊賀等の忍がしている。北畠具教は三好の侵攻を防ごうとしたが伊賀忍による後方撹乱や物資強奪、放火、次男具藤の暗殺等で北畠は大混乱になり三好実休はその隙を突いて一気に南伊勢、志摩国を攻略した。南伊勢、志摩を足掛かりに実休は新たに家臣に九鬼浄隆、嘉隆兄弟を迎えつつ具教がいる大河内城へ進軍。具教は籠城したが弟の木造具政が三好側に寝返る等の事もあり遂には降伏したのである。
「北畠具教は斬首……と言いたいが朝廷より北畠家の今までの仕えにより公家に戻れとの事だ」
「は、はー」
実休の言葉に具教は頭を下げて北畠家は京へ戻り公家となるのであった。一存の死から僅か半年後の永禄四年十月だった。
「伊勢は抑えて尾張、美濃へ通じる道が出来たか……」
長慶は飯盛山城にて戦況報告を聞いてニヤリと笑う。
「実休には長島の一向衆には気を付けろと伝えろ。常に円満な仲であるようにとな」
今は一向衆を刺激したくない長慶である。そして伊勢が長慶の領地になった事により危機感を募らせる家がいた。尾張の織田家である。
「遂に三好が伊勢を手中に治めたか。やはり長慶は中々のやり手だな」
清洲城にて織田信長は顔をしからめていた。前年には桶狭間で今川義元を破ったばかりの信長だったが長慶では相手が悪すぎた。
信長は美濃攻略を急がせたが長慶のが一歩先だった。長慶は播磨や西の守りを三好政康と松永長頼(長頼には丹波の支配を国人と協力してせよと命じて赤井直正を味方にしている)に任せ大和経由で大河内城に一万を追加して布陣したのだ。
「美濃、尾張を一気に取る。実休は一万を率いて伊賀で近江を牽制しろ」
「六角と浅井ですね兄上」
「うむ。久秀は美濃三人衆と竹中半兵衛という者を味方に付かせて西美濃を此方に付かせろ」
「美濃三人衆は分かりますが竹中半兵衛という者とは何者ですか?」
「大陸の古の軍師、諸葛亮と匹敵する人物らしい。今孔明とも言われているそうだ。そいつを此方に付かせれば久秀や友通もやりやすいだろう」
「成る程、分かりました。して殿は?」
「伊勢長島を経由して尾張へなだれ込む」
久秀に言葉に長慶はニヤリと笑う。ちなみに長島の一向衆には前以て尾張侵攻は伝えており、もし長島が戦場になり農民達の家等が破壊されたら修理する手切れとして六千貫を一向衆に渡していた。この行為で一向衆側も三好家に半味方側になる。
それは兎も角、翌年の永禄五年一月、三が日が過ぎたと同時に長慶は三万四千の兵力で尾張へ侵攻を開始した。付き添う武将は篠原長房、その弟実長、鳥養貞長、今村慶満、九鬼浄隆、嘉隆兄弟、そして嫡男慶興である。
長慶は桑名城から侵攻して勝幡城、三宅城等の城を攻略して信長がいる清洲城に近づいた。これに対して信長は清洲城から那古野城へ撤退。その間に八千の兵力を集めた。
「良いか? いくら弱小の尾張兵だからと言って油断はならんぞ。その油断で今川義元は桶狭間で破れたのだ」
長慶は再三に渡り信長の奇襲攻撃を警戒していた。しかし信長は奇襲をしなかった。
「清洲周辺で奇襲出来るところはない。無念だが此処は引きのくしかない」
信長は無念そうに清洲城を後にしていたのだ。しかし信長は桶狭間で運を尽き果たしたのか、那古野城の戦いにて信長の軍勢は数に勝る長慶の軍勢に押しきられ信長は根来衆の銃弾に討死したのであった。
信長の討死で織田側は降伏を申し入れて長慶は那古野城に入城したのである。
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