中編その二
後二話で終わりたい(白目
直虎「私は?」
え?
久秀の軍勢が大和攻略をする中、京を追い出された足利義晴は京奪回を図り天文十九年二月に慈照寺の裏山に中尾城を築いたが五月に義晴が死去した。しかし息子義輝と晴元は中尾城に入城して徹底抗戦の構えを見せていた。
「(ちぃ、史実通りだな。時代の流れを読み取れんのか義輝は……)丹波」
「此処に」
長慶は百地丹波を呼び寄せる。
「忍びで義輝と晴元を討てるか?」
「……暗殺をですか?」
「これ以上幕府の醜態を見せるのは良くない。それなら徹底的にやる」
「……恐れながら申しますがそれは難しいかと。伊賀を調略した事はかのお二人の耳にも届いています。恐らくは周辺も厳重かと」
「うむ……御主ら忍びを無暗に散らすのは惜しいからな……。戦の時に後方へ忍ぶ事は出来るか?」
「それは勿論……生け捕ると?」
「出来ればな。それと忍びを数人、岳夫の元に出して警護してもらいたい」
「逆に暗殺される恐れが?」
「うむ。出来るか?」
「勿論です。選りすぐりを集めましょう」
これにより遊佐長教は僧侶の珠阿弥からの暗殺を逃れる事が出来たのである。長慶は軍勢を中尾城に派遣したが義輝と晴元は直ぐに中尾城から逃亡した。
長慶は最後通告として二人に降伏を促したが二人はこれを公然と拒否した。
「六角に使者を送れ」
「使者を……?」
「朝廷は六角が匿う義輝らに足利幕府の存続を拒否している。朝敵になりうる可能性が大と揺さぶれとな」
「成る程。六角の足下を崩して義輝と晴元を討つのですな」
長逸は成る程と頷いた。実際に朝廷内でも幕府の存続を認めて良いのかという噂が流れていた。(流したのは長慶)
時の関白である二条晴良も幕府の醜態に飽々していた。
「三好は朝廷に献金をしておる。それに京の町も綺麗にしてくれておる。三好に頼るのも一つの手かのぅ」
そう呟く晴良。三好の評価は朝廷内でも高かった。献金の数は少ないが貴族や畏きところが食べていける事が出来ていた。
「……暫くは様子見じゃな」
一方で六角は長慶からの揺さぶりに混乱していた。
「朝廷に楯突く気はないが、これでは……」
六角定頼は悩んでいた。
「ですが父上。このままでは朝敵になる恐れが……」
息子の義賢がそう具申する。
「……やむを得ない。義輝、晴元の後ろ楯をしない事にする」
朽木谷に逃げ込んでいた義輝は六角の対応に怒号を放っていた。
「おのれ定頼!! 幕府の恩恵を忘れたか!!」
そう怒鳴り散らす義輝であった。
「にっくきは三好長慶……今に見ておれ、貴様の頸を必ず取ってくれようぞ!!」
そう誓う義輝だった。しかしその夢は永遠に叶えられなかった。数日後に義輝の死体が発見されたのである。屋敷自体が荒らされており盗賊の仕業と見受けられたのであった。
「……死んだか」
長慶は義輝死去の報を丹波から聞いていた。
「バレていないな?」
「勿論です」
「分かった。褒美は金銀三十枚出す」
「有り難き幸せ」
「下がってよい」
丹波を下がらせると長慶は溜め息を吐いた。
「これで義輝は消えた。晴元は放っておけば良い。畿内の残りを急いで攻略しなければな……」
しかし、晴元や三好政勝らが丹波の国人衆約三千を率いて入京。相国寺に陣取った。
「久秀、長頼と共に糞戯けどもを討ち取れ。友通、御主は久秀らの後詰めで奴等の退路を断て。いいな、絶対奴等を逃がすな!!」
『御意!!』
長慶は三万五千を主力として久秀、長頼に預け残り五千を新しく三好家の家臣となっていた岩成友通に預けて晴元達の退路を絶つ事にさせる。
「後方に三好勢!! 数凡そ五千!!」
「何だと!?」
「このままでは退路を絶たれます!! 急いでお引きのきを!!」
「……やむを得ない」
晴元らは急いで逃げ出した。しかし、友通の軍勢から逃げ切る事が出来ずに三好政勝は討死、晴元は捕らわれたのである。
「せめてもの情けだ。氏綱に家督を譲り出家しろ。聡明丸は人質とする」
「……御意」
晴元は怒りで身体を震わせながら長慶に頭を下げるのであった。しかし、晴元は密かに若狭守護の武田信豊を頼り若狭国へ下向したのである。
「殿、これは好機ですな」
「友通もそう思うか」
「若狭へ攻める口実が出来ましたな」
長慶は越水城で友通や長逸達とそう話していた。
「兄上には叶わんなぁ」
「戯け一存。御主も十河氏の長なのだからしっかりせねばならんぞ」
「どうも裏でするのは苦手なんだよ兄上……」
「戦ばかりが仕事ではないぞ。それに身体には気を付けろよ」
一存とそう話す長慶だった。そして長慶は京に上洛して関白の二条晴良と会っていた。
「問題は義輝公亡き後の幕府でございます」
「三筑(三好筑前守の略称)に何か案でも?」
「形式的にも幕府を朝廷に返上せねばなりませぬ。そこで義輝公の弟覚慶殿に一時的に足利家を継いでもらい足利幕府最後の将軍に就任し、幕府を朝廷に返上致すのでございます」
「ふむ……確かに形式的に返上はせねばならないのぅ。してその幕府は直ぐに御主に渡せば良いのか?」
晴良は長慶に軽いジョブを繰り出す。だが長慶は晴良のジョブに笑う。
「今すぐにはといきませんが、ある程度日ノ本を手中に治めてからですな」
「……フフフ、面白い方だ」
事実上、時が来たら幕府をくれと言っているようなものだがここではただの口約束に過ぎなかった。その後長慶は三淵藤英、細川藤孝と接触して家臣にさせた。
「兄上……」
「藤孝。幕府を再興したい気持ちは分かる。だが俺達には何の力も無い。義輝様は死なれ、覚慶殿にも辛い目を合わせるのか?」
「………」
「藤孝、変わるんだ。今、俺達が出来る事をするんだ」
「……はい」
兄の言葉に藤孝はそう頷くのであった。そして覚慶が一時的に還俗して足利家を継ぎ第十四代将軍に就任。そして最後の仕事として朝廷に幕府と将軍職を返上するのであった。
「義昭殿、此度は済まなかった」
「いやいや。一時でも将軍になれた事を誇りとします」
長慶は義昭(還俗して改名)と話をしていた。
「明日には興福寺に戻るつもりです」
「分かりました。それではこの書状を門跡に渡して下さい」
「これは……?」
「三好が発行する朱印状です。興福寺に一万八千石の安堵を認めます。これは朝廷も承諾済みです」
「そ、それは誠ですか!?」
「はい。疑うのであれば関白二条晴良殿の書状もあります」
長慶は義昭に二つの書状を渡す。そして晴良の書状を一目していた義昭が顔を上げる。
「……分かりました。直ぐに門跡と話をしますが朝廷の承諾があるのであれば興福寺は何も言わないかと思います」
「忝ない」
その後、興福寺の対応は義昭が示した通りだった。しかし、晴元は水面下で波多野晴通と接触して晴通は晴元側に加担したのである。だが義輝がいない事もあり六角から攻められる事はなかった。
「……愛宕、済まぬ。晴通を討たねばならん」
「戦国の習いですので仕方ありません。私も離縁する覚悟は出来ています」
「何故お前と離縁せねばならんのだ? お前は三好長慶の正室だ。離縁する理由は無い」
「長慶様……」
長慶の言葉に涙を流す愛宕だった。長慶は軍勢を率いて丹波八上城を包囲をした。しかし――。
「殿、芥川孫十郎が晴通と内通している模様です」
「直ちに引け!! 芥川山城を包囲するんだ!!」
芥川孫十郎が裏切り長慶は包囲を解いて越水城に帰還するがそのまま芥川山城を包囲して兵糧攻めをした。結果、芥川孫十郎は兵糧が無くなり長慶に降伏するのである。
「出家しろ」
長慶は孫十郎を寺に追いやり芥川山城を居城とした。長慶は京へ再び上洛して京周辺の足場を固めた。これにより京は事実上長慶の支配下となる。
天文二二年、長慶は久秀兄弟を呼び出した。
「二人は丹波へ侵攻して波多野の息の根を止めろ」
「御意」
二人は丹波攻略を開始する。また、長慶は赤松義祐の要請により東播磨制圧に乗り出した。総大将には長逸を任じて長逸は九月から進撃を始めて三木城の別所氏を攻略、更に十一月には明石城の攻撃に向かうが……。
「今の我々では歯が立たん。潔く降伏する」
明石氏は長逸の軍勢に恐れをなして降伏したのである。これにより東播磨は長慶の支配下に入った。
「姫路には黒田官兵衛がいたな……親父共々小寺政職も調略しても損はないな」
長慶は長逸を通じて調略に乗り出すのであった。(なお調略には成功する)
「東讃岐は一存に任せているから問題はないな」
長慶の弟である三好一存を十河城主十河景滋の養子として十河家を継がせていた。すると由佐、香西、安富等の諸氏が降伏をして長慶の軍門に降ったので東讃岐の全てが無血で長慶の支配下に入ったのであった。
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