母の味
村雨編
まさかこの時代に、豚汁が食べられるとは思ってもみなかった。
母の豚汁は絶品で、私の好きな料理の中でもトップクラスである。
人工肉が主流の現在では、どうしても肉の品質は生肉には勝てない。
野菜も、手作りしている農家は殆ど居なくなり、国が管理するロボットに頼った畑が一般的だ。
食卓の上でも、第三次世界大戦を起こす前と後では、世界は大きく変わったという事を身をもって感じている。
しかし、それにしてもだ。
この豚汁は美味過ぎはしないか?
味噌加減といい、煮込み具合といい、絶妙なバランスを保っている。
人工肉の独特な雰囲気を味噌とダシ、野菜で巧みにまとめ、調和を維持している。
汁を一口飲めば、様々な具材の旨味成分が限界まで引き出されているのがよく分かる。
「どうよ?」
母は食器を洗いながら尋ねて来た。
「また腕を上げたね。前より美味しくなってる気がする。」
私はそう告げて、もう一口豚汁をすすった。
母は静かに笑みをこぼした。
「相当研究したからね。美味しくなかったらどうしようかと思った。」
「ドンだけ研究してるのよ?研究のやりすぎで、体壊さないでね。」
「はいはい。分かってます。」
母は料理人という訳ではない。
しかし、私の帰るのを独りで待っている間、気が落ち着かないそうだ。
そこで始めたのが料理だという。
昔はさほど料理が上手ではなかった母は、スーパーのレジで働く一方で、料理の技術を独学で学び、料理人顔負けの腕を習得したのだ。
そんな母に対して、私は親不孝者だと思う。
独りで寂しく暮らしている母の事を考えるといつもそう思う。
だが私にはやるべき事が残り過ぎている。
今の職業から離れることは出来ない。
その事を一番よく知っているのは母親なのだろう。
父は第三次世界大戦が開戦した年、すなわち2072年にアジア上空で戦死した。
負けず嫌いでプライドが高かった父は、どんな極限の戦場でも勇敢に戦い、常に前線を飛び続けていた。
当時まだ新国際連合軍は設立されたばかりで、父は自衛隊から吸収される形で入隊した。
新しい環境でも、その腕と強さは高い評価を受け、軍内では常にエースだったという。
「あんじゃねーよ。」
この言葉が父の決め台詞だった。
どんな過酷な状況でも、誇りとゆとりを持って戦い続けて来た精神が導き出した言葉である。
そのような精神が無ければ、最前線で戦い続けることは難しかったであろう。
そんな父の最期は、普段は行わない護衛任務の最中だった。
敵戦闘機の奇襲に合い、何機もの敵を相手にすることになった父は、護衛任務を果たす為に犠牲となったのだ。
私は新国際連合軍を恨んでいる訳ではない。
ただ、なぜ父が戦死する必要があったのか、父が命を賭けてでも守る必要のある物だったのかを見極めたいだけである。
母も少なからず同じ事を思っていると信じたい。
母がテレビを点けた。
時刻は9時を少し越えたところで、見たことがあるようで無いニュースキャスターが、今日の雨雲の様子を伝えている。
いつもの朝の風景である。
このように帰省してみると、母はあまり変わっていないようだ。
この変化の少なさが、私の安心に繋がっている事は言うまでもないだろう。
私はこの安心に浸りながら、豚汁の最後の一口を飲み干した。