一六、ノモンハン事件
今回で一旦日ソ紛争は終わりです。まあ、後に本格的な対ソ連戦は有りますけど…
満洲帝國は建国以来、今までに無い盛大な活気に包まれていた。
それは日系企業や欧米系企業が挙って進出しているからだ。だが、それだけではない。
満洲帝國軍が本格的軍備増強を発表して、軍需があるからだ。
そして、それに伴って関東軍は縮小して今や20万人規模にまでになった。だが、彼らは満洲帝國軍の教導軍として今上陛下から命を受けており、今まで以上に士気が高かった。
だが現実は厳しいものである。それは、第一戦線維持可能まで錬度を高めた師団の数が増えてきた頃であった。
1939年5月11日・ノモンハン
この日、満州帝國軍第三〇女子偵察中隊(二七式軽戦車一〇両・二七中戦車五両・兵員輸送車一〇両)がこの地域で警務業務を行っていた。
因みに、二七式軽戦車はケイの満洲帝國軍仕様のライセンス版で、二七中戦車はチハの同軍仕様のライセンス版である。製造元は満洲車両製造所(株)。
「今日も良い天気ですね?隊長」
ノモンハンの空は雲一つない快晴である。
「そうだね副長…しかし、モンゴルの奴らはこの頃ちょっかい出してくるね…」
満洲帝國建国から続いている国境問題。最近は満蒙間で比較的多くなっている様だ。
「でも、大規模じゃないからマシですよ…張鼓峰事件では、ソ連の機甲師団がやって来て一時騒然としましたから…」
勿論、副隊長も知らない筈は無いがまだ本格的交戦は無いだろうと楽観視していた。
「そうだね…まあ、今日は厄日かもね…」
「え?」
隊長の意味深長な呟きに、副隊長は首を傾げる。
「モンゴルの奴ら…調子乗って装甲車持って来たわよ…」
「ええ!?」
副隊長は慌てて双眼鏡を当てて覗き込む。
そこには、ゆっくりとだが歩兵を伴うモンゴルの装甲軍団が迫って来た。
「う、うわ~…」
「まあ、脅かし程度で居て欲しいけど…」
ズドーーーーーン!!
モンゴル側から撃って来た。
「そんな訳無いよね…被害は!」
「我方に被害無し!」
「よし!反撃よ!!但し!脅かし程度にね!!」
「了解!」
ケイ・チハの砲塔と砲身がモンゴルの装甲軍団へ向けられる。
「撃て!」
ダンッ!…ドオオオオン!!
モンゴルの装甲車に至近弾で着弾した。
その後、慌ててモンゴルの装甲軍団は撤退していった。
「う~ん…嫌な予感がするね…本部へ連絡!」
「了解!」
情報手が無線を弄って本部との連絡を繋ぐ。
「どうぞ!」
情報手から受話器を受け取る。
「うん…こちら、第三〇女子偵察中隊です。どうぞ」
〝こちら本部、第三〇女子偵察中隊の現在地を知らせ〟
「はい、現在地は係争地のノモンハンです」
〝分かった。直ぐに第六五師団を派遣するから待っててくれ。敵が着たら、撃退で頼む。
それと、空軍の第七八航空団も直ぐに派遣する。もし敵が本格的な機甲師団を出撃されては堪らんからな〟
「了解しました!!」
〝尚、防衛不可能だと判断したのみ後退は許す…数日は持ち堪えてくれ。以上だ〟
「はい!」
連絡はこれにて終了した。
「…今日から数日は厄日だね…」
隊長は、愚痴を言うが顔は笑っていた。
数時間後、満州帝國軍の第七八航空団が現場に到着。その中に輸送機が混じっていた。
その輸送機が超低空で草原すれすれを飛行して来た。
そして、輸送機から大型落下傘で落下してくる大きな箱が五つ降って来た。
「お…持久戦の補給かな?」
着地した箱の中身を調べると、食糧や弾薬・燃料等であった。
「まあ、敵が来たら来たで迎撃するまでよ」
そう言って、隊長は三八式歩兵銃と新規採用された九九式自動拳銃等を手に取る。
14日、満州帝國陸軍第六五師団(軽中戦車200両・輸送車150台・重砲30門・歩兵3000名他)が現地・ノモンハンに到着した。翌日に関東軍即応機甲師団(中戦車100両・軽戦車150両・輸送車150台・高射砲30門・歩兵1500名他)も到着した。そして、モンゴル軍をハルハ河西岸に追いやると直ぐに防御陣地等を構築し始めた。
その間、モンゴル軍が西岸から挑発行為を続けるが第三〇女子偵察中隊等の中隊規模からの威嚇射撃だけで、日満連合師団は攻勢等何もしなかった。
それが約二ヶ月続いた。尚、辻政信陸軍中佐等は満洲事変後予備役編入して、陸軍から消え去っていた。
尚、満洲防衛策は密かに源三郎・静巴と会談して協力体制を取り付けて色々と情報交換等を頻繁に行った、石原 莞爾陸軍中将が作成していた。
ともあれ、石原中将が作成した作戦は遅延防御と機を見ての機甲師団・遊撃師団・航空隊の連携反撃というものだ。
そして、6月下旬にソ連軍がノモンハン近くに到着した。この部隊は、ソ連側の司令官・ジューコフ中将がモスクワに増援要請をしていて、その増援であった。
そして、史実同様に入念な作戦準備(後方整備・兵站や輸送体制確立)をしていた。
7月1日にソ連・モンゴルの共同軍がハルハ河を越えて東岸に居る日満連合軍に攻撃を仕掛けた。
だが、結果は散々たる敗北であった。
4日までは順調な攻勢だったが、5日に敵の大反撃に遭った。それは今までに無く(というより無かった)強力で、尚且つ持ち込んだ戦車(と言っても大半は薄っぺら)も速射砲や急降下爆撃で吹き飛ばされる始末。
尚、先に重砲でトーチカらしきものを攻撃するも、大半が囮の偽物であった為効果がない。それどころか、敵哨戒機に見付かって軽爆撃機等から爆撃を喰らってトーチカ攻撃が出来ない事態に陥った。
ウランバートル・ソ連司令部
「…この七日間で、ハルハ河西岸に押し戻されたか…」
「はい、先に攻撃した敵トーチカは囮目的の偽物でした。破壊して突撃をすると、別の場所にある本物のトーチカから銃撃を受けて突撃が出来ない状況が…」
「だが、本物のトーチカを重砲や戦車で破壊しただろうな?」
ジューコフがそう思って士官を見ると、何故か震えていた。
「まさか…」
「はい、敵軽爆撃機等にやられました」
「じゃあ戦車は!」
「側面より敵戦車の待ち伏せ攻撃で壊滅状態に…」
既にソ連軍のトーチカ破壊は、困難から無理となっていた。
「…敵は中々強かだな…」
ジューコフは軽い頭痛を覚える。
「それと…」
「まだ何かあるのか…」
「はい…」
ジューコフはそれ以上聞きたくないと心に思うが、情報は何よりも大事で作戦を作成・実施するにあたり重要である。
「補給路が敵の爆撃機の空爆により破壊されて、補給が滞りを見せております」
「…昨年の日本軍がやった戦法に続き、今度は補給路に対する攻撃か…」
だが、ジューコフはある疑問が芽生えた。
「ん?空爆と言ったな…」
「はい…」
「迎撃にあがった戦闘機は居ないのか?」
確かに、爆撃機を撃墜すれば補給路への攻撃は阻止出来る。完全とは言わないが…
「戦闘機を迎撃に出しましたが、敵爆撃機には護衛の戦闘機を伴っており、更に敵は新鋭機を出したようで返り討ちにされて被害が出ている状況で…」
「…5月の空中戦で歯が立たないから、スペイン内戦で経験を得たベテランパイロットを呼び寄せて、尚且つ機数を増やしたじゃないか…」
「しかし、敵は固定脚機では無かったと…」
「それを先に言わんか!!」
ジューコフは激怒した。敵戦闘機は、従来の固定脚機だと思っていたからである。
だが、8月下旬に予定している大攻勢で何とかハルハ河東岸に居る日満を撃破出来ると、ジューコフ以下幕僚達はそう思っていた。
しかし、現実はそんなことは御構い無しであった。
8月20日、ソ連・モンゴル共同軍はハルハ河を越えて東岸を蹂躙し始めた。今回も激しい抵抗は無く、更に前回は中腹位で大反撃を受けたが今回はそれすらなかった。
だが、それが罠だった。
8月25日・ハルハ河東岸上空3000m
早朝に、爆撃機・戦闘機を含んだ約250機が飛行していた。
翼と胴体には、日の丸マーク…日本機であった。中には、上半分が赤・青・白・黒の色帯に下半分が黄色に塗られたマークの満州帝國空軍機もあった。
そして、眼下にはソ連軍機甲師団や歩兵部隊等が居た。
「全機!爆撃用ー意!!」
隊長機の爆撃手が無線を使って、爆撃のタイミングを計る。
「投下!!」
合図が出されて、全爆撃機は爆弾投下を開始する。
地上にいるソ連・モンゴル軍はまだ寝ているものが多く、対応が鈍かった。
爆撃は、戦場となっているハルハ河一帯に行われて一回だけでなく二回・三回と続いて計五回と丹念に行われた。流石に、二回・三回以降となればソ連軍戦闘機が迎撃の為に飛び上がるが、護衛の戦闘機によって返り討ちにされるのがオチであった。
被害は、推定装甲車両600両以上・歩兵数千人以上等々とソ連機甲師団は敵と本格的に戦う前に七割以上を失うこととなった。
そして日付が変わり数時間がたった夜に、満州帝國陸軍第六五師団の戦車団・関東軍即応機甲師団が大規模な機甲師団で夜襲を行うという世界初の試みを実施した。
早朝の恐怖で中々寝付けないソ連兵士も居たが、うとうとしている所を襲撃されてやはり対応が鈍くなってしまった。
史実では、7月2日の夜に実施した機甲師団による夜襲は成功しても戦局を変えることが出来なかったが、今回は早朝からの被害と相まって成功して戦局にも影響した。
8月31日には、ハルハ河東岸に居るソ連・モンゴル共同軍は壊滅・敗走又は降伏を余儀なくされた。
そして、道中にはこんなエピソードが有った。
8月30日・ハルハ河東岸、関東軍即応機甲師団第三連隊
「ここは降伏か…」
陣地引渡が終わった後、捕虜となったソ連兵士を後方護送の準備をしていた。
「連隊長殿!」
そこへ副官がやって来た。
「何だ?」
「見て貰いたいものが…」
副官は、連隊長を連れて撃破されて野晒しとなったソ連戦車を指差す。
「ソ連戦車か…」
「ハッチを見てください」
「…ん?これは…南京錠…」
「ロシア語が分かる部下に、捕虜となったソ連戦車兵に問い質した所、これは督戦隊が逃亡を防ぐ為に付けていたものだそうです…」
連隊長はそれを聞いた途端、顔を真っ赤にした。
「全兵に通達!ソ連戦車の乗員ハッチにある南京錠を全てぶち壊せ!敵でもこりゃ許せん!!」
「は、はい!!」
この伝は、意と共に第三連隊総出で実施された。後日、これが元となって対ソ連戦の要綱には〝督戦隊の排除を忘れるな〟と書かれていることになった。
話を戻して、8月31日にハルハ河西岸での戦場は日満連合軍の勝利に終わった。
この後、駐欧米大使がノモンハン事件の詳細資料公開等好評活動を本格的に開始した。
この公表は、殆ど事実であるが故に受けが良かった。ノモンハン事件発生直後から、ノモンハンで武力衝突が発生し、関東軍と満州帝國軍が共同して対処にあたっていると声明して、少しずつではあるが近状を公表していた。
これは、情報戦の一つであり満州帝國を本当の独立国と見せる為の戦術でもある。日満議定書の取り決め事項にある〝共同防衛の関東軍駐屯の了承〟は、史実では悪用染みたものであったが、この世界では源三郎・静巴の暗躍により良い方向へと使われていた。
そして、ノモンハンの現状はハルハ河東岸は日満連合軍の占領域となって、9月16日の停戦までその状況は変わらなかった。
9月16日、満蒙停戦条約を締結。国境に関しては、満洲帝國が主張するハルハ河を国境線として合意した。
尚、日本とソ連での日ソ中立条約締結はなかった。日本の声明では、「満州帝國の手助けをしており、ノモンハン事件はその手助けの一つである」と声明しており、満州帝國もその声明を好意に受け止めていた。
だが、流石に両政府は問題が起こってはいけないので、満蒙停戦条約に〝時と場合により日本・ソ連も適用〟と一文が加えられた。
ここに、ノモンハン事件は集結した。
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