遺産
その後、アレスは一人で応接室を訪ねた。中で待っていたイセリナの出迎えを受け、部屋に入るなり、口を開く。
「早速だが、あんたに謝らなければいけないことがある」
「はい?」
イセリナは思わず振り返る。
「エルミラード本国への密告の件だ。あの後、フレイが誘拐されたことがわかって、その対応に追われてすっかり忘れてしまっていた。本当にすまない……」
「なぜ謝るのですか?」
「俺が密告していれば、処罰こそされても、フォルナーは死なずに済んだかもしれない……」
アレスは悔しそうに俯いた。
彼が余計な罪の意識を背負っていることに同情し、イセリナは冷然と言い放つ。
「……たしかにそうかもしれません。ですが、そのことを気に病む必要はありません。支部長は、なるべくしてあのような最期を迎えたのですから……」
そう思い込むことによって、彼女自身、フォルナーの死を現実として受け止めようと必死であった。
「それと、これはあんたのものだ」
アレスは持参していたファイルを手渡した。
「志半ばで倒れたフォルナーは、あんたなら聖堂会を変革してくれると信じていたに違いない。だから、このファイルをあんたに託したんだ」
「支部長……」
ファイルを抱き締め、イセリナは目を閉じた。
フェルナーの今際の姿が瞼に映り、思わず胸が熱くなる。
「最後に、まだ誰にも話していない魔王召喚方法を知るもう一人の人物についてなんだが……その人物はこの管区ではない遠くの地にいる。しかも俺にも君にも縁のある人物だ」
アレスが遠回しな説明をしたことに疑問を抱き、イセリナはゆっくりと目を開いた。
「誰なんですか? その人物は」
アレスはしばらく黙っていたが、大きく一つ息を吐いて重い口を開いた。
「その人物は、エルミラード聖堂会エルガートルン支部長……リノア=トリファロだ」
「まさか!? リノア様が!!」
イセリナは声を上げて驚愕した。
リノアは保守派の指導者的立場にある重要人物である。現在エルガートルンの支部長の要職にあり、悪魔召喚師の捕縛、討伐を主たる任務として活動している。もし本当に彼女が魔王召喚方法を知る一人であれば、保守派は大混乱し、リノア自身の身に危険が及ぶ可能性は高い。
「フォルナーが命懸けで調べた結果だ。信じて間違いないだろう」
「これが事実なら一大事です! すぐに本国に連絡を――」
気が動転しているイセリナを、アレスは首を横に振って制する。
「それはやめたほうがいい。途中で情報が漏れたら、それこそ一大事だ」
「では、どうすれば……」
「俺が直接会う。これが考えうる最善の方法だ」
アレスが自信ありげに言うと、今度はイセリナが首を振った。
「それは無理です。エルガートルンは反主流派である保守派の拠点です。悪魔召喚師であるアレスさんを好意的に迎えてくれるとは思えません」
「おそらくそうだろうな。だが、俺はリノアの弟だ。顔も合わさずに追い返されることもないだろう」
「お二人が姉弟……!?」
さらっと口にしたアレスの告白に、イセリナは激しく動揺した。
「リノアに会うなら、弟の俺は適任だろ?」
「たしかにそうかもしれませんが……でも、姓が違うのは――」
「姉貴は親父が大嫌いだ。それで死んだ母方の姓を名乗っているんだろうな」
「そうでしたか……わかりました。この件は私の胸にしまい、一切口外しないことにします。どうかリノア様のお力になってあげてください」
以後のことをアレスに託し、イセリナは深々と一礼した。
彼女自身、アレスに全幅の信頼を寄せているわけではないが、信用に足る人物であることは、共に行動してきた中で確信している。
「では、そろそろ支部に戻ります。支部長が不在の今、副支部長があまり長く留守にするわけにもいきませんので」
「あぁ、元気でな」
「はい。今度こそ、本当にお別れですね」
イセリナがそっと差し出した手を、アレスは力強く握った。
「あんたには本当に世話になった。ありがとう」
「いえ、こちらこそ」
一つ間違えば相容れぬ存在として出会っていたかもしれない二人の脳裏に、出会いから今日までの激動の日々が蘇る。
「また会う機会があれば、その時もこんな風に話せるといいな」
「はい、私も心からそう願っています。それでは失礼します」
控えめで品のある笑顔を残し、イセリナは応接室を出ていった。