決意
シャルターニ駅に到着したアレスを待っていたのは、駅出入口に群がる人だかりだった。皆、駅を出た所で足を止めて同じ方向を眺めている。その視線の先には、空を覆い尽くさんばかりのどす黒い煙が視認できる。
「あの辺りって、アルカスターのお屋敷のあるとこじゃないのかい?」
見物人の誰かが発した言葉で状況を察したアレスは、フレイをおぶり、見物人を掻き分けて前進を試みる。煙の立ち上る地点に近づくにつれ、人が道に溢れて進行を妨げる。
やがて辿り着いた先に彼が見たのは、業火に包まれたアルカスター家の屋敷だった。乾いた風に煽られた炎は、必死に消火活動を行う近隣の住人たちを嘲笑うかのように激しく燃え盛り、全てを焼き尽くさんとしている。
「くそっ、遅かったか……」
アレスは握り締めた拳を震わせた。隣には、背中から下りたフレイが今にも泣き出しそうな顔で足にしがみついている。
「大丈夫、皆きっと無事だ」
アレスは優しく頭を撫でながら、小さく震える少女を励ました。過酷過ぎる現実を前に、少しでも希望を与えたいと思い、無責任を承知で言葉を掛けたのだ。
程なく、屋敷は焼け落ちた。
あの豪華な応接室や膨大な蔵書も灰燼に帰し、そこに三大貴族の屋敷が存在した事実は、もはや個々人の記憶の中だけとなってしまった。
「ケフィ……」
アレスは無意識に彼女の姿を捜していた。こんな大火で生存者などいるはずがないと冷静に現実を分析する反面、心のどこかで奇跡を願っていたのかもしれない。
しばらくして、生存者はいないのだと諦めかけた時、
「……よかった……二人とも無事だったんですね……」
背後から聞こえた声に耳を疑い、アレスは勢い込んで振り返った。そこに立っていたのは、全身煤塗れのケフィだった。
「ケフィ!!」
「おねえちゃん!!」
フレイは泣きながら駆け出した。ケフィは大きく手を広げて膝を突き、胸に飛び込んできた少女を強く抱き締めた。
「おかえりなさい」
「ただいま、おねえちゃん」
二人は互いの無事を心から喜んだ。安っぽい主従関係などではない。互いが互いを必要とし、深い信頼関係で結ばれた関係――親友の再会であった。
「心配かけちゃだめでしょ、まったく」
「ごめんなさい……」
自分の胸の中に顔を埋めた親友の頭を、ケフィはゆっくりと優しく撫でた。その瞳には涙が浮かんでいる。
アレスは黙って二人を見守っていた。色々と聞きたいことはあるが、感動の再会に水を差すほど野暮ではない。
「お家、燃えちゃったね……」
「そうね……でも、お家はまた建てればいいの。だから心配しないでいいのよ」
「……うん……ねぇ、みんなはどこにいるの……?」
フレイは心配そうな顔で周囲を見回した。ケフィは一瞬言葉に詰まったが、無言を決め込むわけにもいかず、搾り出すように言葉を紡ぐ。
「……皆はね、故郷に帰ったわ」
「そうなの……?」
「だって新しいお家ができるまで住む所がないと困るでしょ……?」
「うん……でも寂しいなぁ……」
「大丈夫よ。何人かは残ってくれているから」
「ほんとに……?」
「今は怪我の治療をしてもらっているけど、すぐに戻ってくるからね。いい子にして待っているのよ」
「うん!!」
フレイは大きく頷き、彼女らしい元気な笑顔が戻った。その様子に安心したケフィは、ゆっくり立ち上がり、アレスに向かって深々と頭を下げた。
「フレイちゃんを助けてくださって、本当にありがとうございます」
「いや、当然のことだ。君こそ、あの炎の中でよく無事だったな」
「アレスさんのおかげです」
「俺の……?」
「はい。遮断力場でしたっけ? それを私の部屋に施してくださったおかげで助かったんです」
ルヴァロフの真似事でそれほど効果を期待していなかったが、結果的にケフィの命を救ったのだと知り、アレスは素直に嬉しかった。
「他の皆は……?」
「……屋敷全体が突然炎上し、どうすることもできませんでした。近くにいた五人はかろうじて私の部屋に避難させましたが、他の皆は……」
フレイに聞こえないよう気をつけながら、ケフィは囁くような声で答えた。
「すまない、俺が未熟なばかりに……」
「いえ、アレスさんはフレイちゃんを取り戻してくれました。皆自分のことのように心配していましたから、きっと喜んでくれていると思います」
「そうか……ありがとう」
アレスは屋敷跡を見つめ、亡くなった者たちの冥福を祈った。たった数日の付き合いだったが、ほとんど一人で暮らしてきたアレスにとって、大人数での同居生活は新鮮で楽しいものだった。その大半が亡くなったという事実は、かつて味わったことのない悲しみをアレスに与えることとなった。それでも、ただ悲しんでばかりはいられなかった。非道な犯人をこのまま野放しにしておくわけにはいかないのだ。
「こんな時に聞くのもどうかと思うが、フォルセウスの姿を見なかったか?」
「……姿は見ていませんが、声を聞きました。あの下劣な笑い声を聞き違えるはずがありません」
「そうか。やはり奴が……」
国立墓地でフォルセウスの思惑に気付いた時、同時にある疑惑が生じていた。それは一連の事件の根幹に係わる重大な事であるのだが、今ケフィから回答を得て、その疑惑は確信へと変わった。
「どうやら、俺は大きな勘違いをしていたようだ」
「どういう意味ですか?」
「奴らは、マルセンや君から魔王の召喚方法を聞き出そうとしていたんじゃない。はじめから殺害することが目的だったんだ。以前君が指摘したような組織が存在し、何らかの理由で魔王の召喚方法を知る者たちを抹殺しようと画策した。その結果、マルセンは爆死し、君は屋敷ごと葬られそうになった」
「……つまり……皆は私のせいで……」
「いや、俺のせいだ。俺にもっと力があれば……」
二人は強い自責の念に駆られていた。
とりわけ、ケフィは深刻だった。こんなことになるならば、あの時、制止を振り切ってでも魔王を召喚して倒しておくべきだった。そうできなかった自分自身を呪いたくなる衝動は、フォルセウスに対する復讐の念に転化し、彼女自身それを抑えることが困難となっていた。
「こうなった以上、後には引けません。私も同行させてください」
「気持ちはわかるが、生き残った皆やフレイはどうするんだ。この状況で置いていくのか?」
「皆、私の思いを理解してくれて、後始末を全て引き受けてくれました。それにフレイの面倒を見てくれるとも言ってくれましたし、後顧の憂いは何もありません。三大貴族としてのアルカスター家は、今日ここで幕を下ろし、私は当主から一人の女に戻ります」
その瞳に迷いはなかった。
ここまでアルカスター家を守り育ててきた先祖に対して申し訳ない気持ちはあるが、身内の命を奪われたことに比べれば、彼女にとってはとるに足らないことでしかなかった。
「そこまでの覚悟があるのなら、俺が止める理由はない。あらためてよろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
二人は固い握手を交わした。
そしてこの瞬間、二人の関係は大きく変わった。
三大貴族の一つ、アルカスター家最後の当主――ケフィ=アルカスターは、ただ守られる存在から、アレスの対等な仲間となったのである。
第二章 一つの終焉 完