呪殺
その後姿に気付き、男は慌てて叫ぶ。
「ま、待て! 俺を無視するなっ!!」
「話しかけるなと言ったのはお前だ。何か文句があるのか……?」
アレスはゆっくりと振り向き、煩わしそうに答えた。
「それとこれとは別だ! 俺を無視するんじゃない!!」
「チッ、面倒な奴だ……」
アレスはフレイの手を取り、すぐ傍にある墓石の裏に彼女を隠した。
「ここにいろ。絶対に動くな」
「うん、わかった」
「それと、事が片付くまでこうやってろ」
アレスは手で口を覆う仕草を見せた。
「お口を隠していればいいの?」
「俺が勝つためのおまじないだ。わかったな?」
同じように口を隠し、フレイは大きく頷いた。
「いい子だ」
アレスは微笑みながらフレイの頭を撫でると、ロアを伴って墓石の陰から出た。そして渋々踵を返し、間の抜けた悪魔召喚師と向き合う。
「話はついたのか? 放置しておくと後が怖いぞ」
「うるさい、もう少し待っていろ! ……た、頼む。他に代償が欲しいならなんでもやる。だから俺の言うことを聞いてくれ!」
男は土下座してバルドラに頼み込んだ。
形振り構わぬ無様さにアレスは呆れ返り、ロアはすっかり興醒めしている。
「なんでも、か……いいだろう、お前の命令を聞いてやる」
代償に満足し、バルドラはようやく交渉に応じた。
男はほっと胸を撫で下ろして立ち上がると、徐に振り返って啖呵を切る。
「待たせたな。ここからが本番だ!」
「待たせすぎだ……俺がその気なら、お前はとっくに死んでいる」
アレスは明らかにやる気のない口調で挑発した。大した意図はないが、バルドラと和解した男の精神状態を図るにはちょうどいいだろうと考えていた。
「待たせたことは謝ろう。それよりも、その手は何の真似だ?」
「なぁに、必勝のおまじないだ」
「はぁ? 何を言うかと思えば、馬鹿馬鹿しい。そんなもの、バルドラには無意味だ。今度こそ殺れ、バルドラ! 奴を呪い殺せ!!」
男が命じると、バルドラの目が一瞬輝きを放ち、アレスは呆気なく崩れ落ちた。
「フフフ……勝った! 俺の勝ちだ! やはりお前は最強だ、バルドラ。もうこれで何も怖いものはないぞ、ハハハハハハハッ!!」
男はバルドラの能力に心酔し、まるで自分が世界の王にでもなったかのような気分になっていた。
「……ほぉ、誰が勝ったって? よかったら俺にも教えてくれないか?」
「決まっているだろ。この俺が……えっ……」
不意に聞こえた声に上機嫌で答えた男は、自分の目を疑った。今殺したはずの男が、涼しい顔で起き上がったのだ。
「馬鹿な! 貴様、死んだはずじゃ……」
目の前の現実を受け入れられず、男は狼狽する。
「その様子だと、やはり知らなかったようだな」
アレスは右手で服の汚れを払いながら、余裕たっぷりに言葉を紡いだ。左手はまだ口元にある。
「何のことだ……?」
「そいつの呪殺は、相手の顔を認識することによって成立する。つまり、こうやって顔の特徴となる一部を隠せば、簡単に無効化できるということだ」
口を隠した左手を小刻みに動かし、アレスはこれみよがしに強調した。
「何を馬鹿な……そんな子供騙しの対処法で……今の話、本当なのか、バルドラ」
「ケッ、よく知ってやがる」
バルドラは吐き捨てるように答えた。
真実を知って怒り心頭に発した男は、バルドラに食って掛かった。
「何が最強だ! ただの欠陥能力じゃないか!!」
「知るか。己の無知を俺のせいにするな。殺すぞ!」
バルドラはいきりたち、四つの眼で男を睨みつけた。男は慌てて手で口を隠す。
「バルドラの呪殺そのものは、別に欠陥能力じゃない。ただ、能力の性質を知る相手に対して無力なだけだ。そもそも、契約を結ぶ相手を詳細に調べるのは常識中の常識。それを怠った時点で、お前の敗北は決まっていたというわけだ。それにだ、俺から話を聞き出すつもりなら、呪殺はまずいだろ。俺が死んでしまったら元も子もないとは考えなかったのか?」
「……」
「計画も行動も杜撰で未熟。魔王を欲するには百年早いな」
〈クックック……人のことが言える立場か……〉
ロアは静かに嘲笑した。彼から見れば、アレスなど半人前以下。その程度の実力の分際で、一人前に偉そうに講釈しているのが滑稽で仕方ない。
〈うるさい、黙っていろ!〉
ロアの侮蔑を一蹴したアレスは、勝利を決定付けるためにヘルマイオスを召喚した。バルドラとは比較にならない威圧感は、男を恐怖させるには十分すぎた。
男はその場にへたり込み、がたがたと震えている。
「悪魔召喚はお前だけの特権じゃない。これに懲りたら、悪魔の力を使って悪事を働くのはやめるんだな」