誘拐
イセリナに捜索を依頼したアレスは、その後も足を棒にして町中を捜し回ったが、フレイの姿を発見することはできなかった。
捜索を開始してから二時間。辺りはすっかり闇に包まれ、底冷えする寒さはコートを羽織りたくなる。
完全に手詰まりとなったアレスは、他の誰かがフレイを発見していることに期待し、一度屋敷に戻ってみることにした。
「遅いではないか」
玄関ロビーで蹲っていたロアは、アレスの気配に気付いて首をもたげた。おそらく早々にここに戻り、まどろみながら帰りを待っていたに違いない。
「こっちは全然だめだ。お前の方は?」
「見ればわかるだろう」
端的な報告に納得したアレスは、視線をロアから玄関ロビーに向けた。
「やけに静かだな……」
こんな大きな屋敷でも、普段なら忙しくなく働くメイドたちの気配を感じることができるのに、今はまるで無人の廃墟のような寂寥感が漂っている。
外での捜索が続いているのか、それともフレイが無事戻ってきて何処かの部屋に集まっているのか――状況を確認すべく、アレスは応接間に足を運んだ。はたして、住人たちはそこに集合していた。
「あ、アレスさん……」
メイドの一人がアレスの姿に気付き、声を掛けた。全員の視線が彼に集中する。
一同の表情は暗く沈んでおり、確認するまでもなく、フレイを発見するに至らなかったのだと、アレスは認識した。
掛ける言葉が見つからずにアレスがまごついていると、ケフィが一通の手紙を差し出した。
「これは……?」
「玄関前に置いてありました。読んでみてください」
アレスは手紙を受け取り、その内容に目を通す。
小娘は預かった。助けたければ、明日の正午、第三国立墓地中央区画にケフィ=アルカスター一人で来い。誰も来なかった場合、一人で来なかった場合は、小娘の命は保証しない。
「誘拐か……」
アレスがひとりごちると、一同は深く視線を落とした。
行方不明と聞いた時から、皆、この事態を想定はしていた。それでもいざ現実として直面すると、事態の深刻さを痛感せずにはいられなかった。
「まさか本当にお嬢様を一人で行かせることなどできませんし、かといって、フレイを見捨てるわけにもいきません。ですから、どうすればよいのか、皆で相談していたところなのです」
そう説明したのは、執事のムントだった。
丸眼鏡の奥の糸目がいかにも優しい感じのする老紳士で、背筋がぴんと張った姿勢のよさと落ち着いた口調が、そこはかとない品の良さを感じさせる。彼は先々代であるケフィの祖父の代からこの家に仕え、ケフィの父親が亡くなってからは、その役割をも担ってきたとメイドたちから聞いている。頭髪が白髪だらけなのは、年齢的なものだけではなく、人には言えない心労の蓄積によるものかもしれない。
「で、話はまとまったのか?」
「それが、お恥ずかしながら全く……」
ムントは申し訳なさそうに答えた。
「やはり私がいきます。フレイちゃんを見殺しにはできません!」
「なりません、お嬢様!」
覚悟を決めて声を上げたケフィを、ムントが厳しく制した。
「なぜですか! 私はフレイちゃんを犠牲にしてまで生き長らえたいとは思いません。なんとしてもあの子を助けたいんです!」
「わかっております、お嬢様。ですが、フレイが……あの娘がそれを喜ぶとお思いですか?」
「そ、それは……」
「焦る気持ちはよくわかりますが、まだ時間はあります。皆で考えましょう。フレイを助け出す最善の手段を」
「……はい」
やり場のない気持ちを必死に抑え、ケフィはムントの言葉に従った。すると、アレスが歩み寄ってきて、彼女の肩を軽く叩いた。沈痛な面持ちで振り返るケフィに対し、アレスは人差し指で自分のこめかみを指し示す。
「ここにあるぞ。最善の手段ならな」
「本当ですか!?」
ケフィは思わず声を上げた。アレスは彼女を真っ直ぐ見つめたまま、大きく頷く。
「フレイが生きていることさえわかれば、手の打ちようはある。この件は俺に任せてくれないか?」
「しかし、手紙には、私一人で来いと書いてありますが……」
「それは問題ない。誘拐犯にとって、フレイは切り札だ。あっさり殺してしまうような馬鹿なことはしない。むしろそこに付け入る隙がある」
「なるほど……」
アレスの言葉を聞いたケフィは、その自信に賭けてみたいと思った。
「私はアレスさんにお任せしようと思いますが、皆はそれで構いませんか?」
ケフィが同意を求めると、ほぼ同時に全員が頷いた。
「見ての通り、異論はないようですし、アレスさんに全てお任せします」
「ありがとう。フレイは俺が必ず取り戻す」
アレスが力強く宣言すると、場の空気はようやく緩和された。
ここでもルヴァロフの残光が色濃く反射しており、ここにいる全員がアレス個人の力量よりも、ルヴァロフの息子という未知数の要素に希望を抱いている。
それに気付いていないのは、当の本人アレスだけであった。
「ところで……国立墓地はどこにある」
「はい……?」
ケフィは首を傾げた。アレスの言葉を聞き違えたと思ったのだ。
「だから、国立墓地はどこだと聞いているんだが……」
「第三国立墓地の場所ですか?」
アレスは恥ずかしそうに小さく頷く。
「実は王都からほとんど出たことがなくて、地理に疎いんだ。だから、国立墓地がどこにあるのか、全くわからない」
アレスが告白すると、ケフィはくすくすと笑い出した。事情を知った一同も自然と笑い始め、やがて場は爆笑の坩堝と化した。
「お前ら、そんなに笑うことないだろ!!」
「だって、あんなに格好つけていたのに、場所を知らないなんておかしいじゃないですか」
ケフィは必死に笑いを堪えながら答えた。
「知らないものは、仕方ないだろ……」
「場所はちゃんと説明しますから大丈夫ですよ。それよりも、明日に備えて今夜はゆっくり休んでくださいね」
「あぁ……」
笑い声に背中を押されるように、アレスはそそくさと自室へと戻っていった。