疑惑
野次馬を避け、二人は渡り廊下の前まで移動してきた。
「今にして思えば、暢気に部屋で待っていたことが悔やまれるが、今更何を言っても仕方ない。頭を切り替えて、今後のことを考えよう」
「はい……」
ケフィは弱々しく頷いた。
頭ではわかっていても、必要のない責任を感じているのだろう。今はそっとしておくのが得策だと判断したアレスは、退屈そうにしている相棒に会話の対象を移した。
「この事件、お前はどう考える」
「別に興味はないが、爆発物を使うとは、見下げた奴だ」
ロアは感情の篭らない声で罵った。多くの人間を死傷させたことよりも、その手口を非難するところが、彼らしい一面と言えるかもしれない。
「生徒を殺すと脅され、やむなく喋らされた結果、用済みで殺された、ってとこか」
「こういう場合、本人を拷問するよりも周囲の人間に危害を加えると脅すほうが効果は大きい。同じ立場なら、我も迷わず同じことを実行しただろうな。もっとも、犯人に別の思惑があったとも考えられるが――」
「あの……」
幾分気持ちが落ち着いたのか、ケフィが話に割り込んできた。
「どうかしたのか?」
「いえ……今の話を聞いていて思ったんですが、この状況、何かおかしいと思いませんか……?」
「どういうことだ」
「支部への侵入者は、人知れず侵入し、誰も殺しませんでした。ところが、ここを襲った人物は、無関係の人間もお構いなしに殺害しています」
「残忍な手口だ。奴の仕業に決まっている」
アレスは両手を打ち鳴らし、犯人への憎悪を露にした。その口ぶりから、フォルセウスを犯人と決め付けていることは明白で、そこに危うさを感じたケフィは、警鐘を鳴らすべく問いかける。
「それはどうでしょうか? 聖堂での戦いにおいて、彼は最後まで素手でした。おそらく、武器など使わなくても誰にも負けないという自信の表れ。彼を犯人と考えるには、この現場はあまりにも不自然じゃないですか?」
「だが、奴は聖堂で多くの無関係の人間を殺している。その一事からも奴の残虐性に疑いの余地はない」
「快楽的、あるいは無意味に殺したのであれば、アレスさんの言うとおりだと思います。ですが、聖堂での殺人は、私たちを引き付けておくという明確な目的があっての行動。一人でも多く、残虐であればあるほど、その効果は高まります。それに対し、今回の爆破殺人がマルセン氏を狙ったものならば、学生を巻き込むことに何の意味もありません。唯一考えられる目撃者の口封じという線も、多くの生存者がいることから該当しません」
ケフィは冷静に状況を分析し、硬直したアレスの思考回路に波紋を投げかけた。その効果は覿面で、アレスは自身の考えに疑問を持ち始めていた。
「結局、何が言いたいんだ」
「一連の事象から導き出される答えは一つ。ここを襲ったのは、あの男でも支部に侵入した人物でもない、もっと残虐性の強い第三者――」
「つまり、まだ共犯者がいると?」
「はい。そして、おそらくは……」
口籠った言葉の先にある彼女の真意を、アレスは的確に見抜いた。すなわち、一連の事件の背景には、個人やそれに同調した協力者だけでなく、組織だった集団が存在すると考えたのである。
「犯人が何人いるにしろ、残るはこの小娘一人。接触は時間の問題だな」
「私は何の心配もしていません。信じていますから」
ロアが発した不吉な言葉など、どこ吹く風。ケフィは唯一信じる人物を真っ直ぐに見つめていた。目が合ったアレスは背中を向け、渡り廊下に視線を移した。
「クックックッ……期待外れにならんといいがな」
「黙れ、自称魔王!!」
振り向き様に放たれた右足が、口の悪い相棒に襲い掛かる。
「進歩のない奴め」
軽く罵りながら、ロアは軽やかに飛びのいた。標的を失った右足は、今回も空しく床を鳴らす。
「チッ……」
もはや恒例と化した無意味な抗争が続く中、覚束ない足取りでこちらへ歩いてくる人物がいる。その姿をはっきりと捉えたケフィは、駆け寄って肩を貸した。
「大丈夫ですか?」
「ええ……ありがとう、ケフィさん……」
あまりに弱々しく届いた声が気になり、アレスは顔を振り向けた。そこにいたのは、凛とした副支部長ではなく、憔悴した一人の女だった。
「話せるか……?」
「えぇ……大丈夫です」
イセリナは力のない笑顔で応えた。無理をしているのは明らかで、見ているほうが辛い。
「マルセンが死んだのは、あんたのせいじゃない。聡明なあんたならわかっているはずだ」
「いえ……事の危急性を知りながら、校長の言葉を受け入れてしまった……完全に私の落ち度です……」
壁に体を預け、イセリナは項垂れるようにして答えた。ケフィは心配そうな顔で横に寄り添う。
「あの場合は仕方ありませんでした。自分を責めないでください」
「でも私の判断の甘さが――」
「悲劇の主役は快感か? そんなに同情されたいか?」
突如発せられた悪意は、イセリナが初めて聞く声だった。
「今の声は……?」
イセリナは緩慢な動きで周囲を見回し、声の主を求めた。だが、それらしき人物を発見できずに不思議に思っていると、ケフィが目の前に何かを突き出した。
「この子ですよ」
それは、アレスのペットと思しき漆黒の小動物だった。初めて見た時から気にはなっていたが、このタイミングで紹介された意味がわからず、イセリナは戸惑いを隠せない。
「この動物は一体……」
「可愛いでしょ。人間の言葉を理解することができて、話すこともできるんですよ」
自慢の子供を披露する母親のように、ケフィは笑顔で話した。
「へぇ、それは凄いわね」
余計なことを――
アレスはそう口走りそうになったが、言葉として音声化する前に胸の奥に押し戻した。
聖堂会にロアの存在がばれると厄介事になりかねない。だからただのペットとして会話も思念伝達で隠してきた苦労が、彼女の不必要な親切のおかげで水の泡になろうとしていた。
無論、彼女にロアの能力を教えた時点でこうなる事は想定していた。問題なのは、会話能力が露見したことではなく、イセリナという女性が、ロアが事ある毎に口走る自称魔王発言を笑って聞き流す人種ではないことだった。事実、好奇に満ちた目でロアを見つめ、外見に惑わされずに正体を見極めようとしている。
「じろじろ見るな……鬱陶しい」
ロアはそう吐き捨てると、身を捩らせてケフィの手から脱し、ひんやりとした廊下に着地した。
「私はあまり好かれていないようですね。でも、ありがとう。あなたのおかげで、少し気が紛れたわ」
表情に幾分明るさを取り戻したイセリナは、アレスの足元で蹲る珍獣に微笑みかけた。
「さて、これからどうする。マルセンは殺されてしまったし、俺たちがここに留まる理由はないと思うんだが……」
「私たちは部外者ですが、今は事件関係者でもあります。ひとまず校長室に戻り、学校側の対応を待ちましょう」






