遺された者たち
「こんな茶番……騙されてたまるか!」
群衆に紛れて事の一部始終を見ていた若者は、バルコニーで悠然と手を広げる国王へ殺意に満ちた視線を向けた。
彼の名は、アレス=フォウルバルト。ルヴァロフの実子にして、悪魔召喚師である。
人と接することが苦手で、つい不敵な面構えで他人を威圧してしまう癖があり、友人と呼べる間柄の人間はいない。
アレスは稀代の悪魔召喚師の息子でありながら、悪魔召喚に関して一切何も指導を受けていない。厳密に言えば、本や資料、器材などは全て与えられ、具体的な研究は独学で進めろと突き放されたのだ。
それがちょうど十年前――アレス八歳の時である。
以来、いつか父親を見返してやるとの強い思いを胸に秘め、全くの手探りながらも、一人研究に没頭した。たまにルヴァロフが家に戻っても、アレスは悪魔に関する話題は一切口にせず、言葉数の少ない世間話を交わす程度であった。
それでも耳に入ってくる父親の活躍ぶりは彼にとっての誇りで、憧れと尊敬の念は誰よりも強く、その思いは現在も何ら変わりはしない。
今日も一人研究に勤しんでいたアレスであったが、近所に住む世話焼きのおばさんが、ルヴァロフが処刑されようとしていることを知らせてくれ、慌てて家を飛び出し、広場へと駆けつけたのであった。
〈そう熱くなるな、小僧〉
アレスの脳に直接話しかけてきたのは、広場に植えられた広葉樹林の上という特等席に腰掛けて、人間たちの混乱ぶりを眺めている漆黒の小動物であった。
ルヴァロフの忘れ形見となった悪魔で、名をロアという。
外見は猫に似ているが、独特のつんと澄ました感じがなく、人懐っこそうな柔和な顔をしている。
悪魔と呼ぶにはあまりにも愛らしいその風貌は、一般的なイメージである恐怖の対象とは程遠い。だからアレスは、猫に似た珍種のペット、ということで通している。
その反面、本人は「魔王の一人だ」と高言して憚らない。事実なら大事であるが、今日に至るまで、それを証明する行動は皆無である。
ただ、流暢に人間の言葉を喋ることに加え、脳に直接話しかけてくる能力――思念伝達には、アレスも驚かずにはいられなかった。その有用性は計り知れないが、不遜な言葉で他人を見下し、感情を逆撫でするばかりなので、寡黙なほうがまだ可愛げがある。
そんな存在なので、本人の主張は聞くに及ばず、アレス自身も父親の残した口の悪いペットとして認識するだけに留めていた。
〈ロアか……お前に何がわかる〉
〈粋がるのは勝手だが、駆け出しの分際でよもや敵討ちなど考えているのではあるまいな?〉
あっさりと考えを見抜かれたことに加えて、不遜な態度がアレスは気に食わない。返す言葉も自然と感情的になる。
〈だったらどうだと言うんだ!〉
〈思い上がりも甚だしい。今の貴様では、あやつの弟子たちにすら敵わぬぞ!〉
ロアはルヴァロフの弟子を引き合いに出し、アレスの激発を未然に防ごうとした。だが、殊更に指摘されるまでもなく、アレスは自身の未熟を自覚しており、今の力ではラドニスの前に立つことすら叶わないことも承知していた。それでも、父親の命を奪われただけでなく、公開処刑という方法でその名誉までも汚された怒りは、容易に収まるものではない。
〈知ったことか! 俺は刺し違えてでもラドニスを地獄に送る。それが親父への唯一の手向けだ!〉
感情に任せて王宮に乗り込もうと、アレスは群衆を掻き分けて前進を図る。
それが自殺行為に等しい暴挙だと知るロアは、なんとか思い止まらせようと、粛々と言葉を紡ぐ。
〈冷静になれ、小僧。万に一つ、ラドニスを仕留めたとしても、あやつの汚名は晴れぬ。それでは手向けどころか、貴様も後を追う羽目になる。いかに貴様が愚かでも、この程度のことまでわからぬわけではあるまい。よいか、今貴様が成すべきことは二つ。一つは、貴様自身の力を高めること。もう一つは、あやつの汚名を晴らすために事の真相を突き止めることだ。そしてそれらを果たした時、誰憚ることなくラドニスを討てばよい。今はとにかく堪えろ。時を待つのだ〉
〈……わかった〉
アレスは渋々思い止まり、熱を失いつつある群衆の流れに乗って広場から離れようとしていた。ふと振り返り、視線の先に憎き仇の姿を捉えた時、アレスの双眸に蒼白い怨嗟の炎が宿った。
「首を洗って待っていろ。近い将来、俺が真相を暴き、必ず報いを与えてやるからな!」
呪詛めいた怒りの言葉は、冬の訪れを予感させる冷たく乾いた風に浚われ、何処かへと流れていった。