失態
「た、たいへんです、イセリナ様!!」
少し上擦ったその声は、聖堂中央付近にいるアレスの耳にも届いている。
「何事ですか、アリサ」
「侵入者です。何者かが、支部内に侵入しました!」
「なんですって!」
惨劇を目の当たりにした直後ということもあり、最悪の事態がイセリナの脳裏をよぎる。
予期せぬ報告は、一同の視線をアリサに釘付けにした。無論、アレスも例外ではない。
「いいのか、俺から目を離して」
フォルセウスがほくそえんだ瞬間、アレスの肉体は弧を描いて宙を舞った。
一瞬の隙を突かれたアレスは、空中で体勢を整えて着地し、すぐに周囲を見回した。だが、求める殺人鬼の姿はすでに視界にない。
「くそっ! 奴はどこだ!!」
「私たちが振り返った時には、もう入り口に……外を固めている職員が対応しているはずですが、おそらく捕らえることはできないでしょう」
「チッ、逃がしたか……」
アレスは無念の臍を噛み、後方で静かに座している悪魔を送還した。何も情報を聞き出せないままみすみす取り逃がしたことは、失態との謗りを受けても仕方がない。だが、そのことよりも、残忍な殺人鬼を野に放ってしまったことによる被害拡大が懸念されてならない。
「すみません。私のせいで……」
アリサは申し訳なさそうに俯いた。責任を感じ、今にも泣き出しそうだ。
「あなたのせいではありませんから、気にしなくていいですよ。それよりも、事の詳細を教えてください」
「は、はい。それが……」
報告をしにきたはずなのに、妙に歯切れが悪い。
「どうしたのです。ありのままに教えてください」
「はい……目撃者はおらず、侵入者の数、侵入経路は未だ不明。人的被害の報告は、今のところありません」
「そう、よかったわ」
一人の犠牲もないという報告は、イセリナを安堵させた。その一方で、報告に内包された矛盾を見逃さない。
「今の報告に訂正する点はありませんか?」
「何かご不審な点でも?」
「いえ、一つ気になったことがありまして……あなたはこう言いましたよね。目撃者はおらず、と」
「はい」
「では、目撃者もいないのに、どうして侵入者の存在に気付いたのですか?」
「それは、シエラ様から報告があったからです。支部長室で資料の整理を行っていると突然背後から襲われ、気がつくと部屋がひどく荒らされていたと」
「そう、シエラが……人的被害がないということは、彼女も無事だったと考えていいのですね?」
「はい。気を失っただけで、怪我はないと聞いています」
「わかったわ、報告ありがとう。とりあえず、支部長が戻られるまで現場を保存し、誰も中に入れないように。それと、シエラには後で私が直接話を聞きます。会議室に来るように伝えてください」
「わかりました」
上司の指示を迅速に実行せんと、アリサは足早に戻っていった。
聖堂は静寂を取り戻し、程なくフォルセウスを見失ったという報告がイセリナに届いた。追跡を終えて続々と戻ってきた職員たちは、聖堂内の惨状を目の当たりにし、例外なく激しい動揺に襲われていた。
「皆さん、落ち着いてください。このような悲惨な出来事が現実に起こったことは痛恨の極みではありますが、私たちにはやらなければならないことがあります。ただ悲しみに浸っていてはいけないのです。不幸にも神の御前で命を落とされた信者の方々を回収し、身元調査後、ご家族の方に引渡してください。また、身元不明の方は、聖堂会の名において、丁重に葬って差し上げてください」
毅然としたイセリナの姿は職員たちの責任感を強く刺激し、自分に与えられた職責を全うすべく、職員たちはすぐに行動を開始した。イセリナはアルジャーノを医務室に運ぶよう指示した後、自分はそのまま陣頭指揮を執って前代未聞の襲撃事件の後始末に着手した。
「なんだか大変なことになってきましたね」
「あぁ……君に会いに来ただけのはずが、ややこしいことに巻き込まれてしまったようだ……」
アレスの口ぶりに含まれる不快感を、ケフィは敏感に感じ取っていた。
面倒事を避けたいというよりは、本来の目的に支障をきたすことを懸念しているように思えた。ケフィ自身も早く彼を家に招きたいと考えてはいたが、無関係を装って場を去ることに対し、少なからぬ抵抗があった。それもあってか、ある一定の解決を見ない限りは、この事件から離れることはできないだろうとの予測もしていた。