思惑(3)
「ルヴァロフ氏が亡くなった今、あなたがこれまでのように平穏な生活を送ることはまず無理でしょう。ですから、我々が全力でお守りすることをお約束します。どうか我々の保護下に入っていただけないでしょうか?」
「……お断りします」
イセリナの懇願も空しく、ケフィは素気なく提案を拒絶した。
「なぜですか……? このままではあなたの身が危険なのですよ」
「そんなことはわかっています。ですから、私はアレスさんに護衛をお願いしました」
「そうなんですか?」
イセリナは上擦った声を上げ、アレスの顔をまじまじと見つめる。
「まぁ、そういうことだ」
先刻の仕打ちを根に持っているのか、アレスは視線を合わさずに答えた。
「ご本人を前に言うのは大変心苦しいのですが、我々が保護した方がより確実だとは思いませんか?」
「そう言える根拠は何ですか?」
アレスのことを軽視されては黙ってはおられず、ケフィは強い口調で問い返した。抗議の声を上げようとしていたアレスは、ぐっと怒りを抑え込み、しばらくは成り行きを見守ることにした。
「一人で護衛するには限界があります。ですから、護衛体制にはより万全を期すべきであり、それが可能なのは、我々聖堂会だけだと自負しているからです」
ケフィの目をじっと見つめ、イセリナは自信の程を力説した。
「そうは言いますが、ルヴァロフさんは一人でも完璧に遂行されました。単純に数の多い少ないで計れる問題ではないと思います」
「それは、ルヴァロフさんだったからこそ成し得たことであって、他の誰にも真似ができるものではありません。だからこそ、私たち聖堂会があなたを保護すると言っているのです」
「ですから、私には必要ありません」
「いえ、絶対に保護は必要です」
互いの主張を繰り返し、二人が一歩も引く様子がない中、不意にアレスが鼻で笑った。
「フッ、保護が聞いて呆れる」
イセリナは目敏く反応し、眼光鋭く睨みつけた。
「今の言葉、聞き捨てなりませんね。どういう意味か、説明していただきましょうか」
「わざわざ説明するほどのことでもないが、まぁいいだろう。あんたはさっきから二言目には保護という言葉を口にしている。いかにも聞こえはいいが、結局は魔王召喚の方法を知るケフィを監視下に置きたいだけだろ? 何か反論があるなら遠慮なく言ってみろよ」
「貴様、イセリナ様になんて口を!!」
黙って話を聞いていたアルジャーノは机を鳴らして立ち上がり、正面に座る不遜な輩の胸倉を掴み上げた。
「やめなさい、アル君!」
イセリナは激しい口調で暴発寸前の部下を制した。もし彼女が止めなければ、アルジャーノは容赦なく殴りかかるつもりでいた。だが、上司の命に逆らうわけにはいかず、渋々手を離し、握り締めた拳を収めた。
「重ね重ね申し訳ありません。根はいい子なんですが、感情の赴くままに行動してしまうことが往々にあるのです。どうか許してあげてください」
イセリナは彼の両肩に優しく手を添えて着席させると、深く頭を下げた。
「別に気にはしてないが……あんたも大変だな」
「私が……?」
顔を上げたイセリナは小首を傾げた。
「そいつが問題を起こす度に、そうやって頭を下げているんだろ? まるで出来の悪い子供を持った母親じゃないか」
「母親、ですか……精神的に未熟な彼が一人前の人間として歩き出すその日まで、責任を持って指導監督する義務を負うという点では、たしかに母親という存在に近いのかもしれません」
「嫌になることはないのか……?」
「出来の悪い子ほど可愛いと言いますし、私自身、頭を下げることには何の抵抗もありません。ですから、嫌になるというより、彼という一人の人間形成の重要な一翼を担っている喜びの方が大きいですね」
最初は複雑な表情を浮かべていたイセリナも、最後には照れ臭そうにはにかんだ。その表情の中に女性らしい一面を垣間見た気がしたアレスは、くだらないことを質問した自分の子供っぽさが恥ずかしくなった。
「つまらないことを言ってすまない」
「いえ、お互い様ですから、気になさらずに」
優しく微笑んだ後、イセリナの表情は重責を担う副支部長のそれに戻った。
「先ほどのご質問についてですが、あなたのおっしゃるとおり、保護するというのは、ケフィさんを我々の監視下に置くための方便です。しかし、彼女を守りたいという気持ちは偽りのない本心です。どうか、その点は誤解しないでください」
「あんたがそう言うのなら、信じよう」
「ありがとうございます」
イセリナは安堵の表情を見せた。信頼関係とはいかないまでも、蟠りが解けた喜びと共に、彼の協力があれば、当初の目的を達せられると確信したのだ。
「でもさ、広場でのやりとり、彼女も見ていたよね?」
和みかけた雰囲気の中、不意にアルジャーノが口を挟んだ。
「それが何か……?」
ケフィの態度が無機的なのは、彼がアレスにした仕打ちを思い出し、自然と沸き起こった嫌悪感の表れであった。
「そんな弱い奴に頼んでも、護衛にはならないってことだよ。ここは素直にイセリナ様の申し出を受けときなって」
「口を慎みなさい、アル君」
「でも、どう考えても僕たちが保護するほうが確実じゃないですか!」
アルジャーノは声を荒らげて反論した。珍しい彼の一面にイセリナは驚きを禁じえず、彼なりに必死であることを認識した。
「失礼な言い様で申し訳ありません。ですが、本質的には私も彼と考えは同じです。それでもやはり、あなたの考えは変わりませんか?」
「はい」
短くも力強い返事に迷いはなかった。
そもそも、二人はケフィの決意を甘く見ていた。彼女が信用できる他人は、ルヴァロフただ一人。その彼が後を託したアレス以外の人間を、簡単に信用する道理もない。ましてその人物を誹謗してしまっては、取り付く島があろうはずもなかった。
「……わかりました。護衛はアレスさんにお任せします。その代わり、私たちは陰ながらお手伝いをさせていただくということでどうでしょうか?」
根負けしたイセリナは、やむなく妥協案を提示した。
「どうしましょうか……?」
ケフィは判断に困り、隣のアレスに意見を求めた。
「ここで断って、妨害行為に転じられても面倒だ。協力するというのなら、好きにやらせればいいんじゃないか?」
アレスは投げやりな態度で答えた。反対はしないものの、諸手を挙げてではない心情が如実に表れている。それでも妥協案への承諾を得たことに違いはなく、ケフィは小さく頷いた。
「その提案、ありがたくお受けします。ただし、アレスさんの邪魔は絶対にしないと約束してください」
「わかりました。こちらの勝手な言い分を聞いていただき、ありがとうございます」
紆余曲折を経た交渉は一応の帰結点を見出し、ケフィとの接点を構築するという目的は達成した。最高ではないが、一定の成果を得たことに対し、イセリナはひとまず満足していた。
「話も終わったようだし、俺たちは帰らせてもらう」
「あ、はい。どうもありがとうございました。今後とも、よろしくお願いします」
恭しく挨拶したイセリナに何の言葉も返さず、アレスは部屋を出ようとした。その時、勢いよくドアが開き、女性職員が飛び込んできた。息を切らし、急いで駆けつけたと思われる様子から、何かが起こったに違いないと、一同は推測した。