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【第33話】上書きの代償


 翌朝、ヴィンセントの街は昨夜の騒動などなかったかのように、整然とした歯車の音を奏でていた。時計塔の落雷事故――管理者が書き換えた「公式記録」が、市民たちの記憶に定着している。

 

 だが、宿の一室に集まった五人と一匹の空気は、それとは対照的に重く沈んでいた。

 

「……話があるんだ、ミラ」

 

 レイは、テーブルの中央に昨夜手に入れた「オーバーライト・ペン」を置いた。実体があるようでない、淡く発光するそのペンを見て、魔導の天才であるミラが鋭く息を呑む。

 

「レイ、これ……何? 既存の魔導回路を一切通していない。まるで、世界のことわりそのものを削り取って固めたような、不気味な気配がするわ」

 

 ミラの言葉に、フィリスも恐る恐る手を伸ばそうとして、その指先が静電気のような火花に弾かれた。

 

「触っちゃダメだ、フィリス。……これは、この世界の『記述コード』を直接書き換えるための道具だ」

 

「……コード? 何を言っているのよ、レイ。そんな魔法体系、どの古文書にも載っていないわ」

 

 ミラは困惑し、眉をひそめた。レイの口から漏れ出す言葉は、時折、彼女の知る魔導言語の規則を完全に無視している。だが、彼の瞳に宿る狂気にも似た真剣さが、それが単なる冗談ではないことを物語っていた。ライオネルは腕を組み、昨夜の違和感を噛みしめるように黙っている。エレナは、胸元に下げた木彫りの守護像を強く握りしめたまま、レイの次の言葉を待っていた。

 

「ミラ、君なら気づいているはずだ。この街の演算速度がおかしいこと。そして……俺たちのパーティの計算が、どうしても合わないことを」

 

 レイは強引に、ミラの魔導端末デバイスに自分のインターフェースを同期させた。

 

「警告! 直人様、外部アクセスによるログ流出の危険性が……」

 

(構わない、ARIA。ミラにしか、この計算の補助はできないんだ)

 

 ミラの端末の画面に、見たこともない光の幾何学模様が奔流となって流れ出す。そこには、ガルドが消された瞬間のログ、そしてレイが自分の記憶領域に隔離して保持し続けている「ガルド・バラン」という名の巨大な情報の塊が映し出された。

 

「……何、これ。この巨大な空白の領域。ここには、思い出せないけど知っている莫大な『質量』の記憶がある。……レイ、あなた、まさか……!」

 

「ガルドだ。……俺たちの盾だった、ガルド・バランだ。世界はあいつを『不要なデータ』として削除した。俺は……あいつのログを、俺の脳内に隠してここまで来たんだ」

 

 部屋が、凍りついたような静寂に包まれた。

 

 エレナが、木彫りの像を落とした。乾いた音が床に響く。

 

「ガルド?……。そうよ、ガルド……! あの大きくて、温かい背中……! どうして忘れていたの!? どうして、私の心はあんなに大切な人の名前を捨てていたのよ!」

 

 エレナが叫び、泣き崩れる。その瞬間、彼女の頭上に「不整合エラー」を示す赤い警告光が明滅した。管理者が、彼女の「気づき」を再び消し去ろうと介入を開始したのだ。

 

「ミラ、このペンを使って、俺の隔離領域にあるガルドのログを世界に再構築レンダリングする。……でも、俺一人の演算能力じゃ足りない。君の魔導知識で、ペンの出力を安定させてほしい」

 

「……待って、レイ! あなたの言っている言葉、半分も理解できないわ! 『ログ』? 『レンダリング』? それに、このペンに込められた力は、人間の精神が耐えられる規模じゃない! そんなことしたら、レイ、あなたの精神……いや、魂そのものが焼き切れるわ!」

 

「やってくれ。……あいつがいない世界を俺は認めない」

 

彼女にとって、レイが時折口にする言葉は、まるで異世界の神が残した謎めいた符牒ふちょうのように聞こえた。しかし、レイの鼻からはすでに鮮血が滴り、その瞳は現実の風景ではなく、虚空に浮かぶ不可視の文字群を追っている。

 

 ミラの端末に表示されているのは、魔導学の極致きょくちを超えた「記述」の嵐だ。彼女の優れた頭脳は、レイが見せているものが、この世界の「存在そのものの設計図」であることを直感的に理解し始めていた。それは、一介の魔導師が触れてよい領域ではない。神への冒涜、あるいは世界の崩壊を招く禁忌の扉。

 

「レイ、あなたは……どこを見ているの? あなたが戦っている相手は、魔王でも帝国でもない。この世界を動かしている『仕組み』そのものじゃないの!」

 

「……ミラ、時間がない。管理者が来る。……俺がこの映像せかいを繋ぎ直すから、君は、その接続点を補強してくれ。……君の魔法なら、できるはずだ」

 

 レイは、震えるミラの手に光のペンを無理やり握らせた。ペンの放つ熱がミラの掌を焼き、彼女は悲鳴を上げそうになる。

 

「代償なら、俺が払う。……俺という存在のすべてを使ってもいい。だから、ミラ。……力を貸してくれ。俺が、この物語の『編集』を終わらせるために」

 

 ミラの瞳に、覚悟の火が灯った。彼女はレイの言う「ヘンシュウ」が何を意味するのかはわからなかった。だが、レイが仲間のために、自分自身の命さえもチップにして世界というギャンブルに挑もうとしていることだけは、痛いほど理解できた。

 

「……わかったわよ。あなたの使う言葉、一生かかっても理解できそうにないけど……。その無茶に付き合ってあげる。でも、約束して。……ガルドを呼び戻した後、あなたまで消えるなんて許さないからね!」

 

 ミラの叫びに呼応するように、彼女の魔導端末が過負荷で火花を散らす。彼女は自分の全魔力をレイの精神回路へと流し込み、暴走する光のペンの出力を強引に制御下に置いた。

 

「演算開始(実行)! ターゲット、ガルド・バラン。存在定義、再上書き(オーバーライト)……!」

 

 レイの瞳が白く発光し、さらなる鮮血が床を汚す。脳が沸騰するような熱が襲い、意識が白濁はくだくしていく。

 

 レイの脳内には、かつて編集室で握っていたペンの感触と、異世界の「記録者」としての能力が混ざり合い、一つの激流となっていた。モニターの中のカットを選ぶように、ガルドが笑っていたあの日、あの一瞬、あの座標を、世界という名の巨大なタイムラインに強引にドラッグ&ドロップしていく。

 

 その時、宿の壁を透過して、無数の白い影――管理者が現れた。

 

「異分子の排除を開始。領域の安定を最優先せよ」

 

「させねえよ……! レイ、ミラ、そのまま続けろ! ここから先は、一歩も通さねえ!」

 

 ライオネルが剣を抜き、管理者の前に立ちはだかる。フィリスも、震える手で魔石を握りしめ、援護の構えを取った。

 

 消されたはずの「盾」を取り戻すための、世界への叛逆はんぎゃく

 

 レイは、自分の意識の深層にある、あの薄暗いテレビ局の編集室の風景を思い浮かべていた。

 

(書き換えるんだ……。不要なカットなんて一つもない。俺たちが、俺たちらしく笑える、その未来へと……!)

 

 レイの絶叫と共に、光のペンが爆発的な輝きを放ち、ヴィンセントの夜を真昼のような白光で塗り潰した。


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