【第31話】異端の都市
北への街道を数日進み、一行の眼前にその異様な光景が現れた。
魔導都市ヴィンセント。
重厚な石造りの城壁に囲まれたその都市は、至る所に青白い魔導光が走り、巨大な歯車が建物の外装をゆっくりと回転させている。空には観測用の気球が浮かび、門をくぐる馬車の一台一台を、冷徹な魔導の「眼」が走査していた。
それは、中世的な風景が残る俺達の故郷とは一線を画す、システムが剥き出しになったような光景だった。
「……すごいわ。魔法と機械が、これほど密接に組み合わさっているなんて。フィリス、見て! あの時計塔、針が逆回転しているわよ」
ミラが興奮した様子で声を上げた。魔導に造詣の深い彼女にとって、この都市は知識の宝庫に見えるのだろう。隣に立つフィリスも、珍しく目を輝かせて薬草の自動調合機を眺めている。彼女たちの会話は弾んでいたが、その輪の中に「相槌を打つべき大きな存在」が欠けていることに、彼女たち自身はまだ気づいていない。
だが、その賑わいの中で、ライオネルだけは不快そうに顔をしかめていた。
「……嫌な空気だ。魔導の匂いが鼻につきすぎる。それに、なんだか街全体に見張られているような気分だぜ。……おい、レイ。俺の左側、誰もいねえよな?」
ライオネルが腰の剣に手をかける。その動作は、かつて自分の左側を固めていた「盾使い」の不在を補うように、以前よりも神経質で、攻撃的になっていた。彼は無意識に、誰もいない空間を肘で小突こうとして、空を切る自分の腕を不審そうに見つめた。
レイは、馬車の御者台に座ったまま、街の入り口に設置された巨大な魔導水晶を凝視していた。彼の視界には、その水晶から放たれる無数のスキャンラインが、通行人一人一人の「属性データ」を読み取っているのが見えていた。
「直人様、警告。この都市の監視ネットワークは、通常の街とは比較にならないほど高密度です。私たちのパーティ構成と、直人様の保持している『非正規データ(ガルド氏の残響)』が干渉を起こす危険性があります。ステルス・プロトコルの出力を最大にしてください」
(わかっている、ARIA。……だが、この街なら、世界のシステムをハッキングするためのデバイスが手に入るはずだ。管理者の目を盗んで、ログを復元するための何かがな)
門をくぐる際、レイは自身の演算能力をフル回転させ、5人と1匹の偽装データを都市の監視網に流し込んだ。「最初から5人であった」という整合性を、力ずくで街のログに書き込んでいく。その強引な処置の代償として、レイの視界の端には、ノイズのような赤い砂嵐が吹き荒れ、こめかみに鋭い頭痛が走った。
街の中に入ると、エレナが不意に足を止めた。
「レイ……あそこを見て」
彼女が指差したのは、広場の中央に建つ、名もなき戦士たちの記念碑だった。そこには、都市の防衛に貢献した者たちの名が刻まれている。エレナは、吸い寄せられるようにその石碑に歩み寄った。彼女の手には、今もあの木彫りの守護像が握られている。
「……ここにも、いないわ。どこを探しても、この像にふさわしい名前が見つからないの。おかしいわよね、レイ? 私たちはこの街に来るのが初めてのはずなのに、私はどうして『誰か』の名前をここで探しているのかしら」
彼女の声は、震えていた。彼女は無意識のうちに、街を歩く大柄な男たちの背中を目で追っている。そして、そのどれもが自分たちの「仲間」ではないことに気づくたび、絶望的な孤独に苛まれていた。
「エレナ、行こう。宿を探さなきゃいけない。……夜になれば、冷えるから」
レイは彼女の肩を抱き寄せ、優しく促した。その時、レイの視界にあるはずのない通知がポップアップした。
【外部端末からの通信リクエストを受信。送信者:不明。メッセージ:『ログの欠落に気づいているのは、お前だけではない』】
レイの心臓が、跳ね上がった。この世界に、自分以外に「削除」を認識している者がいるのか。あるいは、システムそのものが自分を試しているのか。
視線を上げると、広場の時計塔の頂上に、一人の黒いローブを纏った人物が立っているのが見えた。その人物は、レイが視線を合わせた瞬間に、ノイズのように姿を消した。
「直人様、今の通信は通常の魔導通信ではありません。……システムの暗号化レイヤーを突破した、高レベルな介入です。発信源は時計塔。ただし、現在はログが消去されています」
(……罠か、それとも協力者か。どちらにせよ、あいつは何かを知っている。……俺と同じ、世界の『外側』を見ている奴だ)
レイの瞳に、再び鋭い光が宿る。ガルドを失い、記憶を削られたエレナたちを守りながら、彼はこの「異端の都市」で、世界を欺くための戦いを続けなければならない。
一行は、路地裏にある古びた宿「歯車と蒸気亭」に腰を落ち着けた。ミラとフィリスは早々に部屋へ入り、今日の戦利品である魔導部品の整理に没頭している。ライオネルは食堂で酒を煽っていたが、やはり自分の左隣を空けたまま、落ち着かない様子でジョッキを傾けていた。
夜、レイは一人で窓の外を眺めていた。ヴィンセントの夜景は、魔導光が宝石を散りばめたように輝き、昼間よりも一層システム的な美しさを放っている。
ルクスが静かに彼の足元に歩み寄り、ガルドがいつも座っていた空っぽの椅子の匂いを嗅いでいる。聖獣であるルクスだけは、レイと同じように、この部屋に満ちているはずの「欠落」を感じ取っているようだった。
「……ルクス。お前にも見えるか。あいつが居るはずの、あの場所が」
ルクスは悲しげに一度だけ鳴き、レイの膝に頭を預けた。レイは、ガルドのバックアップデータが脈動する自分の胸に手を当てた。そのデータは時折、レイの意識を蝕もうとする。
「警告。非正規データの肥大化を確認。直人様の論理演算に0.3パーセントの遅延が発生しています。このままでは、記憶の混濁が現実世界に影響を及ぼし始めます。データの圧縮、あるいは一部の破棄を提案します」
(……断る。0.3パーセントくらい、気合でねじ伏せてやる。……俺からあいつを奪った世界に、これ以上の譲歩はしない)
レイは窓枠を強く握りしめた。その指先が、微かな光の粒子となって揺らぐ。
ふと、部屋の扉が音もなく開いた。入ってきたのは、眠れずにいたエレナだった。彼女は寝間着の上に薄いローブを羽織り、不安げにレイを見つめている。
「レイ、起きていたのね。……ねえ、さっきの石碑の前で言ったこと、忘れて。私、最近少し疲れているみたい。……でも、この木彫りを見ていると、どうしても思い出したいの。この優しい彫り方を知っている人が、私たちのどこかにいたはずだって」
エレナはレイの隣に立ち、夜の街を見下ろした。彼女の瞳には、かつてガルドが語った「故郷の山」の話を聴いていた時の輝きが、断片的に反射しているようだった。
「エレナ。……君がそれを持ち続けている限り、いつか答えは見つかるさ。俺が、そうしてみせる」
「……ありがとう、レイ。あなたはいつも、私たちが失いそうになるものを支えてくれるのね。……まるで、この世界のすべてを、一人で背負っているみたいに」
エレナの言葉は、核心を射ていた。レイは、世界という巨大な演算装置の中で、たった一人で「異物」として戦い続けている。
魔導都市ヴィンセントの夜は更けていく。歯車の回る音が、まるで巨大な砂時計が時を刻むように不気味に響いていた。
明日になれば、あの時計塔の主を追わなければならない。その先に、ガルドを呼び戻すための「上書きコード」があるのか、あるいはさらなる絶望が待ち受けているのか、レイにはまだわからなかった。
だが、レイの胸に宿る「残響」は、確かに熱く脈動し続けていた。それは、この冷徹な都市のどの魔導光よりも強く、生命の輝きを放っていた。




