【第25話】エディット・バトル
(……わかってる……だが、論理がどうした。効率がどうした。俺は「直人」である前に、この世界の「レイ」として生きると決めたんだ)
レイは覚悟を決め、空中に不可視の指を走らせた。
刹那、彼の周囲に幾重もの青白い半透明のインターフェースが展開される。そこには、王都の座標データ、周囲の構造ログ、そして接近する粛清者たちの異常なコードが、編集ソフトのタイムラインのように滝となって流れ落ちていた。
「ARIA、作戦変更だ。……これより、このエリア一帯を『編集』対象に指定する。仲間の認識情報を保護しつつ、外部保存の準備を急げ!」
『了解。プライベート・パーティション作成プロトコルを開始。……直人様、リソース消費が臨界点を超えます。ご武運を』
レイの視界が、一瞬だけ激しく明滅した。
脳の奥を直接針で刺されるような鋭い痛み。それは、膨大な世界の記述情報を強引にインターフェース上へ展開しているための負荷だ。
「来るぞ……。皆んな、俺の展開した領域から出るな! ここ以外は、もう『この世界』じゃない!」
レイの叫びと同時に、飯屋『鉄鍋亭』の壁が音もなく消失した。
壊れたのではない。爆散したわけでもない。ただ、そこに壁が存在していたという事実ごと、巨大な消しゴムで消されたかのように無に帰したのだ。
剥き出しになった路地裏に立つのは、感情の欠落した瞳を持つ、漆黒の甲冑に身を包んだ粛清者たち。
彼らが一歩踏み出すたび、地面の石畳にデジタルなノイズが走り、色彩が剥がれ落ちて灰色に変色していく。
「な、なんだよこれ……。おいレイ! 外が、外が消えてんぞ!」
熱血アタッカーのライオネルが叫び、大剣を握る手に力を込める。
彼らの目に映る王都は、すでに半分が情報の砂嵐に呑み込まれつつあった。
『警告。対象、世界整合性維持個体……通称「デリーター」。直人様、物理干渉による撃破効率は極めて低いです。概念干渉による「記述の破壊」を推奨します』
「分かってる……。効率なんて、最初から無視だ!」
レイは空中に浮かぶ無数のインターフェースへ、目にも止まらぬ速さで指を走らせた。
かつて映像編集の最前線で、ミリ秒単位のカットを繋ぎ合わせてきた「直人」としての指捌きが、今、異世界の理をハッキングしていく。
レイが狙うのは、敵の物理的な破壊ではない。
粛清者が纏う「削除権限」そのものの、強制的な書き換え(上書き)だ。
「……これより、このエリアの『優先順位』を再定義する。ARIA、同期を急げ!」
『了解。同期率、98パーセント……。対象の「存在許可」を、一時的に「閲覧」に固定します』
最前線の粛清者が、漆黒の剣を振り下ろす。
レイはその刃を避けることなく、最後のインターフェースを強く叩いた。
キィィィィィィィン!
刹那、迫りくる粛清者の剣が、レイの喉元数センチのところで「静止」した。
金属音ではない。まるで映像のタイムライン上で再生を停止させたかのように、世界の一部がレイの意志によって物理法則ごと固定されたのだ。
「おらぁぁッ! レイが道を作ったんだ、外すんじゃねえぞ!」
ライオネルが跳躍し、大剣を振り下ろす。
レイの「編集」によって動きを封じられ、実体化を強要された粛清者の甲冑が、激しい火花を散らして霧のように消えていった。
本来ならば物理攻撃の通じない粛清者に、傷が刻まれる。
それは、レイがインターフェースを介して、敵を「切れる存在」として世界に再定義した結果だった。
「ガルド、前へ! ミラ、フィリス、射線は俺が確保する。エレナはバックアップを頼む!」
本来、戦闘力を持たないはずの「記録係」レイの的確な指揮に、仲間たちは迷いなく応じる。
だが、操作を続けるレイの指先が、わずかに透け始めていた。
(……くそ、またか)
脳内の「記録」フォルダから、何かが零れ落ちていく感覚。
つい先ほどまで脳裏にあった、飯屋の親父さんと交わした軽口の内容が、霧のように消えて思い出せない。
ルクスをこの世界に繋ぎ止め、仲間を粛清者から守る。
その代償として、レイの「自分自身の記録」が、リソースとして削られ続けていた。
「レイ、顔色が悪いわよ! 無理しすぎじゃないの?」
思いやり深くレイを気遣う神官系のエレナが、魔導杖を構えながら鋭い視線を向けた。
彼女の鋭敏な感性が、レイの異変を捉え始めていた。
その時だった。
「……っ!? レイ、これ、何なの……!?」
杖を構えていたエレナが息を呑んだ。
彼女の瞳の前に、今までレイにしか見えていなかったはずの、青白いインターフェースの断片が浮かび上がっていたのだ。
それだけではない。
大剣を振るうライオネル、大盾と戦槌を構えたガルド、強力な魔法を練り上げるミラ、そして支援魔法を紡ぐフィリスの視界にも、レイが操作する「世界の記述」が投影され始めていた。
『緊急事態。直人様、パーティションの同期率が限界を超え、仲間の精神領域へデータの逆流が発生しています。……彼らの脳が、あなたの「観測」を共有し始めています』
(……構わない、そのまま繋いでおけ。一人で処理しきれないなら、みんなの認識力を借りて、この世界の「存在」を固定する!)
レイの凄絶な覚悟が、情報の奔流となって仲間たちに流れ込む。
「なるほどな……レイ、お前一人でこんなもんを視てやがったのか」
冷静な守護者であるガルドが、地を這うような声で唸った。
彼の視界に映るインターフェースには、次に粛清者が放つ攻撃の軌道が、赤い警告ラインとして表示されている。
「理屈はわからんが、見えるぜ! こいつの『隙』がどこにあるのか!」
ガルドが大盾で漆黒の剣を弾き飛ばし、戦槌を叩きつける。
その隣で、エレナは自身の視界を覆い尽くす膨大な情報量に、目眩を覚えたように杖を握り直した。
「これ……全部、レイが処理してるの……!? こんな、脳が焼き切れそうなほどの熱量を……一人で……っ!」
エレナの瞳に映るのは、単なる補助画面ではない。
世界の理が剥き出しになった、冷徹なまでの情報群。
人の精神が触れていい領域ではないことを、神官としての本能が告げている。
レイの横顔に走る苦悶の色が、単なる疲労ではないことを直感した彼女は、震える手で魔導杖を掲げた。
明るいムードメーカーのフィリスが放つ強化魔法も、レイのインターフェースが示す「最適解」に導かれ、かつてない精度で仲間たちを鼓舞し始めた。
「すごい……! 魔法の『流れ』が全部読めるわ!」
知略に長けるミラの詠唱が加速する。
彼女の魔法はもはや現象の再現ではなく、世界の記述を直接上書きするような、破壊的な熱量を持って粛清者を呑み込んでいく。
だが、路地裏の奥から、さらに三体の粛清者が姿を現した。
今度は一体ずつではない。三体が同時に、レイが展開した領域を外側から食い破ろうと、虚無の奔流を放ってくる。
「全員、散開するな! ARIA、分散記録の準備! 仲間の『存在』を複数の座標に分散させろ。一点突破(削除)はさせない!」
『危険です、直人様。その処理は、あなた自身の幼少期の記憶領域を直撃します』
「構わん……実行しろ!」
レイの視界に、激しい赤い警告文字が乱舞する。
共有されているインターフェースが、警告音を鳴らしながら真っ赤に染まった。
「レイ、待って! それ以上は、あなたが――!」
エレナが叫ぶが、もう遅い。
ガルドやミラの体が、残像を残すようにして三つに分かれた。
粛清者の放つ「消去の光」が仲間たちを直撃するが、分散された存在データが互いを補完し合い、消滅を拒絶する。
「な、なんだこりゃ!? 俺が三人いるぞ!」
「いいから、そのまま殴れ、ガルド! その拳は全部本物だ!」
混乱する仲間たちを叱咤し、レイは必死にインターフェースを支え続ける。
冷徹な「編集者」としての輝きがその瞳に宿る一方で、内面では絶望的なまでの欠落が進行していた。
(思い出せない……。初めてルクスに会った時、俺は何を思ったんだっけか……。あいつの毛並みは、どんな感触だった……?)
視界の隅で、ルクスが心配そうに吠える。
インターフェース越しに、その不安が「精神汚染数値」として仲間たちにも伝わっていく。
削られゆく記憶。崩壊しゆく日常。
だが、今この瞬間にレイの背中を守るライオネルの咆哮、エレナの祈り、ガルドの守護、ミラの魔、そしてフィリスの献身だけは、どんなシステムログよりも確かな「記録」として、今の胸に刻まれている。
「……俺たちの『物語』は、誰にも消させない!」
レイの指先が、最後のリソースを注ぎ込んで、王都の記述に「上書き(レンダリング)」を敢行した。
光を奪われた灰色の世界を背景に、漆黒の粛清者たちがノイズとなって霧散していく。
一時的な勝利。だが、それはあまりにも重い代償を伴う一歩に過ぎなかった。
レイの瞳に、烈火のごとき闘志と、すべてを諦めたような静謐な観測者の眼差しが同居する。
物語は、取り返しのつかない「覚醒」へと加速し始めた。




