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【第16話】消される理由


 深い森を抜け、開けた街道に出た後も、俺達を包み込む重たい空気は一向に晴れる気配を見せなかった。

 頭上には抜けるような青空が広がり、穏やかな陽光が降り注いでいる。しかし、つい先刻まで自分たちがいたあの「薄い世界」の記憶が、網膜に焼き付いたノイズのように消えてくれない。

 

 誰も、あの場所で起きた出来事を、論理的な言葉に置き換えることができずにいた。

 

「……さっきの、あれ」

 沈黙を破ったのは、ライオネルだった。

「魔物……じゃねぇよな。少なくとも、俺たちが今までぶっ倒してきたような、血の通った化け物じゃなかった」

 

「うん……」

 隣を歩くエレナが小さく頷く。聖職者として数多のけがれを祓ってきた彼女の目にも、あの存在は異質に映ったのだろう。

「……なんか、変なの。すごく変な感じがするのよ。何か……とても大切で、決して忘れてはいけない何かを、どこかに置き忘れてきてしまった気がするの」

 

 その言葉を聞いた瞬間、レイの心臓が嫌な脈動を打った。

(やっぱり……削られてるんだ。俺が『観測』で強引に存在を固定した代償として、彼らの内側にあった情報が零れ落ちた……)

 肉体というハードウェアは繋ぎ止めた。だが、その中身――バックアップの取れない領域にある『記憶』が削除されてしまったのだ。

 

「……戻るぞ。一度、拠点へ」

 レイは短く、突き放すようなトーンで言った。罪悪感で声が震えるのを隠すためだ。

 

「その必要はない」

 

 突如として、背後から冷徹な声が響いた。

 街道の真ん中、木漏れ日が揺れる場所に、白いローブを深く纏った一人の人物が静立していた。

 

「……誰だ、あんた。どこから現れた」

 ライオネルが即座に大剣の柄に手をかける。冒険者の本能が、目の前の人物を「格上」だと認識していた。

 

「敵ではない。少なくとも……今はな。観測者に、興味がある者だ」

 

 レイの呼吸が止まる。

「……なんで、それを。俺のスキルはただの『記録』だ」

 

「お前が先ほど使った力。情報の断片を拾い上げ、記録し、その状態を強引に固定し、失われゆく存在を自分へと繋いだ。その一連の工程……すべて見えていたぞ、観測者よ」

 

 レイは全裸で立たされているような寒気に襲われる。

「……あんた、あの中にいたのか? さっきの、輪郭のない奴は何だったんだ」

 

「『削除者デリーター』だ」

 その言葉は、冷たい鉛のように空気を沈み込ませた。

「この世界のシステムにとって、不要と判断された存在を『消す』。すべては、世界の均衡を保つためにな」

 

「均衡……? ふざけないで!」とエレナが声を荒らげる。「一生懸命生きてる人を、勝手に消していい理由なんてどこにもないわ!」

 

「当然の反論だ。お前たちはこの世界の『内側』にいる住人なのだからな」

 白いローブの人物は、感情を排した声で続けた。

「この世界は何者かによる『観測』によってのみ成立している。だが、観測の焦点には限りがある。網から漏れた場所に余剰が生まれ、歪みが蓄積する。そのゴミを、バグを放置すれば世界そのものが崩壊する。だから――消すのだ」

 

「ゴミだと……?」

 ライオネルが野獣のような低い唸り声を上げる。

「俺たちが、ただのゴミだってのかよ!」

 

「それはお前たちが、互いを『人』として観測し合っているから、そう見えているに過ぎない。観測という定義付けが外れれば、お前たちはただの『情報』の記述に過ぎないのだ。砂漠の砂一粒一粒に名前がないのと同じようにな」

 

 レイの脳裏に、あの戦慄の瞬間がフラッシュバックする。

(情報……。ハードディスクの中の映像データと同じだって言うのか。いらなくなったら、“デリートキー”一つで消去される、ただの記号なのか……?)

 

「……じゃあ、なんだよ」

 レイは、奥歯の隙間から声を絞り出した。

「俺たちは……ただ消されるのを待つだけの、消耗品なのか?」

 

「お前は、この世界のバグそのものを観測し、固定する力を持っている。それはシステムにとって、最も都合の悪いイレギュラーだ。消されるべきゴミがお前のせいで世界に留まり続けてしまうからだ」

 

 白いローブの人物が一歩、近づく。

「知れば――もう、元の無垢な住人には戻れなくなるぞ。それでも、知るというのか?」

 

 レイは一瞬たりとも迷わなかった。

「……知る。教えてくれ。俺たちが何なのか、この世界の正体が何なのかを」

 

 その瞬間――世界が、致命的に「ズレた」。

 

【 警告:観測領域 外縁に接触。認識のアップデートを開始します 】

 

(……なんだ、これ。脳が……溶けそうだ……!)

 

「いいだろう。次は――『外側』を視せてやる」

 

 目の前の空間が、布を引き裂くような音を立てて割れた。

 そこにあるのは、黒でも白でもない。「何もない」という概念が剥き出しになった虚無の裂け目。

 そこから、凄まじい勢いで無数の「断片」がレイの意識へと流れ込んでくる。

 

 見知らぬ誰かの叫び声。

 かつて存在したはずの街の、燃えカスの記憶。

 削除され、世界の「ゴミ箱」へと放り込まれた、無数の存在たちの成れの果て。

 

「……っ、ぐあぁ……っ……!」

 

「レイ! しっかりして!」

 

 エレナの声が遠くに聞こえる。だが、目が離せない。

 

「ここが、『観測の外側』だ。光の当たらない、描画を打ち切られた廃棄領域。削除されたすべての存在が、最終的に行き着く場所だ」

 

(……ログが、こいつらに反応してる……? まさか、記録できるのか? この、消されたはずの情報を……!)

 

 世界が深く、暗く歪んでいく。

 

「さあ、観測者よ。選ぶがいい。真実を暴く『知る側』としてシステムに挑むか。あるいは、小さな嘘に縋り、ただの『住人』として留まり続けるか」

 

 知ることは、共有された現実を捨てることかもしれない。守ることは、いつか来る消去に目を背け続けることかもしれない。

 

 レイはまだ、その答えを出すことはできない。

 だが、一度でもこの「外側」を視てしまった以上、もう二度と――。

 あの平穏で無知な「レイ・クロノス」には、後戻りできないということだけは、震えるほどに理解していた。


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