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【第13話】削除の標的


 森での調査を終えた帰路――。

 木々の隙間から差し込む夕日は、不気味なほど赤く染まっていた。

 足音だけが虚しく響き、パーティーの間には鉛のような沈黙が流れている。

 

「……なあ」

 

 ライオネルが、耐えきれないといった様子でぽつりと呟いた。

 

「最近さ……なんか、変じゃないか?」

 

(来たか……)

 先頭を歩いていたレイは、微かに肩を震わせ、視線を地面に落とす。

 

「変って、何がよ? ライオネル。またお腹でも空いたの?」

 

 フィリスがいつもの調子で茶化すが、ライオネルの表情は晴れない。

「いや……うまく言えねえけどよ。大事なもんを、どこかに置き忘れてる気がするんだ。それも、とびきり大切なやつを……」

 

 ドクン、と心臓が跳ねる。

(影響が出ている。あいつが消したはずの『穴』に、みんなが気づき始めている……)

 

「……私も、同じ感覚があるわ」

 ミラが冷徹な声で同意した。「魔力の流れや景色の見え方は正常。でも、記憶がズレているような違和感がある。私たちが忘れている『何か』が、かつてここに存在していた確信だけが残っているのよ」

 

 その時、隣を歩いていたエレナが、祈るように唇を動かした。

 

「……ルクス」

 

 全員が弾かれたように振り向く。

 

「え……?」

 

 エレナ自身も、今自分が何を口にしたのか分からず、驚きに目を見開いていた。

(きた……!)

 昨夜の「分散記録パリティ・シェアリング」は成功している。あいつのデリート命令に対し、レイは「エレナの感情」という別サーバーにデータの断片を逃がしたのだ。

 

 だが、その希望を打ち砕くかのように、事態は急変した。

 

 ゾワッ――!

 

 周囲の鳥の声が止まり、風が死んだ。

「……来るぞ。何かが、この空間の『ことわり』を侵食している」

 ガルドが大盾を構え、低く唸る。次の瞬間――世界が、ビデオテープのノイズのように激しく“ブレた”。

 

【 警告:大規模干渉検知。周辺ログの強制書き換えが実行されています 】

 

「な……んだ……これ……っ!?」

 フィリスが平衡感覚を失い、よろめく。

 そして、レイは信じがたい光景を目にした。足元の地面が――「消えた」のだ。

 

 そこにあったはずの土、草、岩。

 それらが一瞬にして、色あせたワイヤーフレームのような虚無に置き換わり、存在ごと“なかったこと”にされていく。

 

(範囲削除……!? 個別のオブジェクトじゃなく、空間そのものをデリートしてやがるのか!)

 

『直人様。空間ログの消去を確認。対象範囲:半径15メートル。周囲のアセットが順次パージされています』

 

(規模が違う。あいつ、本気で俺たちを『消去』しに来たのか……!)

 

 敵の姿は見えない。だが、“世界そのもの”が外側から削られていく。

 

「ふざけんなよ!! 出てこい、卑怯者が!」

 ライオネルが咆哮し、大剣を虚空に振るう。だが、斬るべき対象が存在しない。

 

「ARIA! 分散記録、防御展開!」

 

 レイは崩れゆく地面に這いつくばり、消えかかった土に両手を叩きつけた。

「ここは――“消させない”!!」

 

【 対象:地形テクスチャ 】【 感情ログ:紐付け(バインド) 】

 

 虚無に呑み込まれかけていた地面が、バグの修復リペアのように実体を取り戻した。

 レイはただ地形を復元したのではない。そこに「意味」を持たせたのだ。仲間が立っている場所。守るべき場所。

 

 ズキッ!!

「……がっ……あぁ……っ!」

 

【 警告:システム負荷増大。複数箇所の同時維持は、自己崩壊クラッシュを招きます 】

 

(くそ……範囲が広すぎる! 一人で世界を支え続けるのは、リソースが足りねえ……!)

 空間の歪みは止まらない。今度は――。

 

「エレナ!!」

 レイの叫びと同時に、エレナの右腕が陽炎のように透け始めていた。

「え……?」

 痛みはない。だが、存在そのものが“薄く”なり、この世界からログアウトさせられようとしている。

 

(人間にも来るのかよ……! エレナを『ゴミ箱』に捨てるつもりか!)

 

「エレナ、動くな!!」

 レイは必死に彼女の元へ飛び込み、その透けゆく手を強く掴んだ。

「絶対に、消させない。お前だけは……!」

 

【 対象:エレナ・ソフィア 】【 記録固定アンカー:開始 】

 

 レイの全神経を、彼女という存在を繋ぎ止めるためのくさびとして打ち込む。

 消えかけていた彼女の腕が、血の通った温かさを取り戻した。

 

「へぇ」

 

 空間の奥から、あの軽い声が響いた。

「それ、もう使えるんだ。覚えるの早いね」

 虚無の穴から、黒いコートを纏った男がゆっくりと姿を現した。

 

「お前……!!」

 

「なるほどね。分散記録か。場所や仲間にデータを逃がして、消去命令を減衰させる……いい防御だよ」

 ニヤリと、男の口角が吊り上がる。

「でもさ――それ、“どこまで持つかな?”」

 

 パチン――。

 乾いた指の音が響いた瞬間、レイが守っていた空間の“複数箇所”が同時に弾け飛んだ。

 

「ぐっ……あああああ!!」

【 同時防御限界超過。リソース枯渇。エラー、エラー…… 】

 

(無理だ……全部は守れない! 地形も、仲間も、自分も……リソースが分散しすぎて、どれも中途半端になる!)

 

 守るべきはどこだ。地形か? 仲間か? 自分か?

 迷えばすべてを失う。

 

(……違う!)

 レイは奥歯が砕けるほど歯を食いしばり、エレナの手を強く握りしめた。

 

「守るのは――“コア”だ!!」

 

【 対象限定:エレナ 】【 記録強度:全リソースを一点に集中 】

 

 周囲の地形は崩れ、暗黒に呑まれていく。だが、レイが握るエレナだけは、黄金の光を放つようにして存在をこの世界に繋ぎ止めていた。

 

「……へぇ。やっと分かってきたじゃん。全部守ろうとするのは三流。“何を残すか決める”のが、編集者エディターの一流の仕事だよ」

 

 男は興味を失ったように背を向けた。

「今日はここまで。あんまりやりすぎると、世界の修復プログラムが走っちゃうからね」

 

 男は肩越しに振り返った。その瞳には、一欠片の慈悲もない。

「次は“そっち”消すね」

 男の指が、空間の端で必死に耐えているライオネルを差した。

「ライオネル」

 

「な……!? 俺かよ!」

 

「やめろ!!」

 

「守れるなら守ってみなよ。君のキャパシティ、次でパンクしちゃうかもね」

 

 パチン――。

 世界が、一瞬だけ完全な静止画となった。

 次の瞬間。風が吹き抜け、男は影も形も消えていた。

 

 後に残されたのは、ボロボロに崩れた地形と、絶望的な予感だけだった。

 

「……今の、何……?」

 フィリスが地面に座り込み、ガタガタと震えている。

 

(あいつは……遊んでいる。俺の能力がどこまで耐えられるか、娯楽のように楽しんでやがるんだ)

 

「……クソが」

 レイは震える拳を握りしめた。次は、ライオネルが狙われる。

 

(次は、絶対に守りきる。あいつの想像を超えるほど、強固な記録を作ってやる)

 

 そのために必要なのは、ただの思い出じゃない。もっと強く、世界に深く根ざした“核”の記録。

 

 物語は次の段階へ進む。

 一方的な「削除」の恐怖から、削除のパターンを読み解く「編集合戦」へ。

 レイ・クロノスは、次なる一手のために、自らの魂を削る覚悟を決めた。


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