第二章・第2話:スパゲッティ・コードと絡まる運命
私の世界は、砂嵐に包まれていた。
かつて整理整頓され、一点に凝縮されていた「埃」たちが、勇者の無慈悲なリリースによって解放され、空間のあらゆる座標を均等に汚染している。
視界(認識領域)のどこを見ても、キラキラと舞う微粒子がノイズとして映り込む。
掃除をする前の状態に戻ったのではない。それよりも酷い。
一度集めたゴミを部屋中にぶちまけた時の徒労感が、私の精神をごっそりと削り取っていた。
「あー、もう! テントどこだよ! 暗くて見えねえ!」
勇者の腕が、まだ私の体内で暴れまわっている。
巨大な丸太のような腕が、右へ左へと薙ぎ払われるたびに、気流が発生し、埃たちがカオスな渦を描く。
やめてくれ。
もうかき混ぜないでくれ。
私は、勇者の手が次に何に触れるのか、戦々恐々としていた。
この空間の奥底(Z軸マイナス方向の深淵)には、私の転生前から入っていたと思われる「勇者の私物」が眠っている。
それらは地層のように積み重なり、互いに絡み合い、巨大な一つの塊と化しているはずだ。
いわゆる「ブラックボックス化」した在庫エリア。
怖くて手をつけていなかったアンタッチャブルな領域だ。
ガサゴソ。
勇者の指が、その深淵に触れた。
「ん? これか?」
勇者が何かを引っ張った。
ズズズ……。
重い何かが動く気配。
それは、布のような感触。おそらくテントの本体だ。
よし、当たりだ。それをさっさと出してくれ。そしてこの嵐を止めてくれ。
だが、そう簡単にはいかなかった。
テントの布地には、長い長い「紐状の何か」が複雑に絡みついていたのだ。
ガイロープ(張り綱)だ。
しかも、きちんと束ねられていない。解き放たれた蛇のように、自由奔放に布地に巻き付き、結び目を作り、知恵の輪のような状態になっている。
さらに悪いことに。
そのロープの端には、フック船長の義手のような鋭利な金属部品――ペグ(杭)――が結ばれていた。
それも一本や二本ではない。十本以上だ。
ジャラジャラと音を立てるペグの束が、ロープという血管を通じてテント本体に寄生している。
「うおっ、なんか引っかかるな。ええい、ままよ!」
勇者は力任せに引っ張った。
馬鹿! やめろ!
絡まっている時は無理に引っ張るなと、幼稚園で習わなかったのか!
ブチブチッ。
繊維が悲鳴を上げる音がした。
さらに、無理やり引きずり出されるペグの先端が、周囲のアイテムを無差別に攻撃し始めた。
ガリッ。
何かの木箱(中身不明)の角が削られた。
プスッ。
柔らかそうな革袋に穴が開いた。中から白い粉(小麦粉か?)が漏れ出す。
ああ、二次災害が拡大していく。
私は、この惨状をただ見ていることしかできないのか?
いや、できるはずだ。
さっき、「データ化」と「結合」ができた。
ならば、「検索」と「抽出」もできるはずだ。
私は意識を集中した。
勇者が求めているのは「テント」だ。
私のデータベースから、該当するオブジェクトを探し出す。
【検索クエリ:テント】
……検索中……
ヒット数:1件。
対象ID:TENT-001 『簡易宿泊用天幕』
見えた。
深淵の闇の中で、該当するオブジェクトが青白くハイライト表示された。
やはり、勇者が今掴んでいる布の塊がそれだ。
しかし、その周囲には赤く表示された警告オブジェクト(絡まったロープ、ペグ、その他ゴミ)が密着している。
分離だ。
「結合」の逆。「分離」コマンドはないか?
私はメニューを探した。ない。まだレベル不足か。
ならば、物理的に手助けするしかない。
私は、勇者が引っ張り出そうとしているベクトル(方向)に合わせて、私自身の念動力で「後押し」をしてやることにした。
ただし、テントだけを。
絡まっている余計なものは、私の力で押し留める。
――そこだ! テントは上へ! ロープは下へ!
私は空間そのものを歪めるようなイメージで干渉した。
ヌゥン!
勇者の力(物理)と、私の力(念動)が衝突する。
勇者は「全部まとめて引っ張り出す」力。
私は「選別して出す」力。
この拮抗が、奇妙な現象を引き起こした。
ロープの絡まりが、ピンと張り詰めたのだ。
テント布地と、それに食い込むロープ。
ギリギリと締め上げられる結び目。
「んん? なんだこれ、すげー重いぞ。何かに引っかかってんのか?」
勇者がさらに力を込めた。
ゴリラのような怪力だ。私のささやかな抵抗など、風前の灯火だ。
ブチィッ!!
限界突破。
何かが切れた音ではない。
絡まっていたロープが、限界を超えた張力によって「弾けた」のだ。
パチンコのように。
ビュンッ!
弾かれたペグの一本が、ロープの拘束を逃れ、弾丸のような速度で空間内をすっ飛んだ。
どこへ?
私の視線が追う。
その軌道の先には。
先ほど、小麦粉を漏らし始めたばかりの「革袋」があった。
ドスッ。
鋭利なペグが、革袋のど真ん中に深々と突き刺さった。
致命的な一撃。
革袋の裂け目が大きく広がる。
ボフッ……。
白い粉塵が、爆発的に噴出した。
小麦粉だ。間違いない。
先ほどの「土埃(茶色)」に続き、今度は「小麦粉(白)」の追加攻撃だ。
空間内の視界が、セピア色から、ミルキーなベージュ色へと変わっていく。
粉塵爆発の危険性すらある濃度だ。火気厳禁。
だが、勇者はそんなことなど知る由もない。
「おっしゃあ! 取れた!」
ズボォォッ!
勇者が勢いよく手を引き抜いた。
ついにテントが外界へと射出された。
だが、それだけではなかった。
テントに複雑に絡みついていた長いロープが、ズルズルと芋づる式に引きずり出されていく。
そのロープの途中には、結び目に巻き込まれた「何か」が引っかかっていた。
それは、私の解析画面によれば『干し肉(保存食)』だった。
しかも、袋に入っていない、裸の干し肉だ。
それが、ロープに締め上げられ、小麦粉と土埃をたっぷりとまぶされた状態で、外界の光の中へと旅立っていった。
天ぷらか。
衣をつけてどうするつもりだ。
私は、空になった「出口」を見上げながら、呆然としていた。
テントは出た。
しかし、私の内部には、突き刺さったペグから漏れ続ける小麦粉と、切れたロープの残骸、そして相変わらず舞い続ける土埃が残された。
[システムログ]
・アイテム搬出:テント一式
・アイテム搬出(事故):干し肉 x 1
・内部破損:小麦粉袋(大破)
・環境汚染レベル:上昇(粉塵濃度 300%)
「うえっ、なんだこれ。テントが粉っぽいぞ? カビか?」
外から勇者の不満げな声が聞こえる。
カビじゃない。私の涙(小麦粉)だ。
「ま、払えばいいか。バサバサッ!」
勇者がテントを振る音。
そして、その振動で、私の内部に残った小麦粉がさらに舞い上がり、攪拌される。
ここは巨大なミキサーの中か。
もう、パン生地でも捏ねてやろうか。
だが、休む暇はない。
テントを出したということは、次は設営だ。
そして設営が終われば、次は……。
「よし、テント張れたし、腹減ったな。飯にするか」
飯。
食事。
それはつまり、食材と調理器具の出し入れ。
そして何より、「匂い」との戦いが始まることを意味していた。




