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『転生したら『勇者の装備品袋(アイテムボックス)』だった件。整理整頓しないと重要アイテム捨てますよ?』  作者: まこーぼ


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プロローグ・第5話:在庫管理室の静寂と、エントロピーへのささやかな抵抗5

 ペタッ。


 軽薄な音が、虚無の空間に響いた。

 私の予測通り、弾き飛ばされた薬草は、壁にへばりついていたヘドロのシミの中心に見事ホールインワンを決めた。


 最悪だ。

 これ以上ないほどの最悪な結末バッドエンド

 茶色い粘液の上に、緑色の葉が張り付き、まるで前衛芸術家が癇癪かんしゃくを起こして壁に叩きつけたサラダのような惨状を呈している。

 重力に引かれ、葉の先端からヘドロの雫が垂れる。

 薬草としての価値は、この瞬間にゼロ――いや、マイナスになった。こんなものを煎じて飲めば、回復どころか腹を下すだろう。


 私はその光景から目を背けたかった。

 だが、私に瞼はない。三六〇度全方位モニターの意識は、その汚染された壁面を「異常箇所エラーセクター」として強調表示し続けている。


 その間にも、メインイベントである「剣の射出」は進行していた。


 ズズズズズ……。


 上空の「出口」に向かって吸い上げられていく錆びた剣。

 その周囲には、舞い上がった土埃が纏わりついている。

 乾燥した空間内で発生した静電気が、微細な塵を磁石のように引き寄せているのだ。

 刀身が、うっすらと白くコーティングされていく。

 まるで、揚げ物にする前の小麦粉をまぶされたかのように。


「……行ってらっしゃい」


 私は虚ろな心で見送った。

 サビを落とし(一部)、乾燥させ、水平に保管しようと努力した結果がこれだ。

 埃まみれの、粉っぽい剣。

 品質管理担当者がいたら、私の首を絞めていただろう。


 シュポンッ!


 小気味よい音とともに、剣が私の内部空間から消滅した。

 「在庫:-1」。

 データが更新される。


 直後、外の世界から勇者の声が聞こえた。


「うおっ、なんかホコリっぽ!? まあいいや、死ねオラァ!」


 ドガァッ!!


 凄まじい衝撃音。

 肉を断つ音ではない。硬い何かがぶつかり合う、鈍重な破壊音だ。

 同時に、私(袋)全体が激しく振り回される。

 勇者が剣を振るう動作に合わせて、腰につけられた私も遠心力で空を舞っているのだ。


 グワングワンと回る世界。

 壁に張り付いた「ヘドロ薬草」だけが、座標固定されたかのように(実際は壁に張り付いているので)私の視界の定位置に居座り続けている。

 その周囲を、取り残された土埃の粒子が、スノードームのように美しく旋回していた。


「ブヒィィィッ!!」


 オークの断末魔。

 どうやら、あの一撃で決まったらしい。

 錆びていようが埃まみれだろうが、鉄の質量があれば殺傷能力はあるということか。野蛮だ。


「へっ、楽勝。さてと……」


 戦闘終了の気配。

 勇者の息遣いが聞こえる。

 ザッ、ザッ、と草を踏む足音が近づいてくる。何に?

 倒したオークにだ。


 嫌な予感がする。

 背筋(外郭の縫い目)が寒くなる。

 RPGのセオリーで言えば、戦闘後に行うことと言えば一つしかない。

 「ドロップアイテムの回収」だ。


 オーク。豚の亜人。

 ドロップアイテムとして想定されるものは何か?

 ゲームなら「金貨」や「ポーション」かもしれない。

 だが、ここはリアルな異世界だ。

 魔物の死体から剥ぎ取れるものといえば……。


 牙?

 皮?

 それとも、肉?


「お、こいつイイもん持ってるじゃん。オークの睾丸タマか。精力がつくって高く売れるんだよな」


 は?

 今、なんと?

 睾丸?


 私の思考処理がフリーズした。

 生殖器。

 生物学的にもっとも生臭く、もっとも不潔で、もっとも私が関わりたくない部位ナンバーワン。

 それを?

 取るの?

 今ここで?


 ヌチャ、という湿った音が聞こえた。

 ナイフで何かを切り取った音だ。

 想像するな。切り口から溢れ出る体液を。特有のアンモニア臭を。温かい肉の感触を。


「よし、ゲット。鮮度が命だからな、とりあえず袋に入れとくか」


 やめろ。

 絶対にやめろ。

 「鮮度が命」ということは、血抜きも乾燥も燻製もしていない、取れたての「生」ということじゃないか。

 それを入れる?

 この神聖なる(すでにヘドロと土で汚染されているが)グリッド空間に?


 食品衛生法違反だ!

 生鮮食品の常温保存など言語道断!

 しかも、包装なし(ネイキッド)で!?


「おい、袋。口開けろ」


 無慈悲なコマンド入力。

 拒否権はない。

 私の「入り口」が、ギチギチと音を立てて強制開放される。

 上空に現れた光の穴。

 そこから、巨大な手が降りてくる。

 その指先につままれているのは――


 ピンク色と紫色が混ざったような、不気味な色の肉塊。

 産毛が生えている。

 血管が浮き出ている。

 そして、切断面からは、ドクドクと赤い鮮血が滴り落ちている。


 ポタリ。

 血の一滴が、私の内部空間へと先行して落下してきた。


「ひぃぃぃぃぃッ!!」


 私は(心の中で)発狂した。

 無理。

 生理的に無理。

 剣の錆や泥とはわけが違う。これは「ナマモノ」だ。腐敗する。蛆が湧く。悪臭を放つ。

 私の完璧な幾何学世界が、有機的な汚物によって陵辱されようとしている。


 入れさせるものか。

 入れるなら、せめてビニール袋に入れてからにしろ! ジップロックを持ってこい!

 だが、そんな願いが届くはずもない。


 勇者の指が離された。

 肉塊(オークの睾丸)が、重力に従って落下を開始する。


 ターゲット座標は、またしても中央付近。

 そこは、先ほどの戦闘の衝撃で散乱した土埃がうっすらと積もり、さらにその下には、まだ乾ききっていない「剣の汚れ」の残滓がある場所だ。

 そこに、血の滴る肉が落ちればどうなるか。

 土と血が混ざり合い、泥団子ならぬ「血泥団子」が完成する。


 私は最後の抵抗を試みた。

 受け入れるしかないなら、せめて被害を最小限に食い止める。

 隔離だ。

 この汚物を、他のエリアから完全に隔離しなければならない。


 私は必死に空間内の「見えないパーティション」を探した。

 そんな機能はない。

 ならば、作るしかない。

 念動力で、空気の密度を変えて壁を作る? そんな高度なことができるか?

 いや、待てよ。

 さっき、剣を回転させた時、私は「軸」を意識した。

 今回は、空間そのものを「折り曲げる」ことはできないか?


 アイテムボックスの容量は無限だという。

 ならば、座標空間をねじ曲げて、あの一画だけを「遠く」に追いやることはできないか?

 

 ――隔離クアランティン

 ――あっちへ行け! 座標X=10000の彼方へ!


 私は落下してくる肉塊に対し、全力の拒絶念波を放った。


 ブォン。


 空間が歪んだ。

 肉塊の軌道が、不自然にカーブした。

 まるで磁石の同極同士が反発するように、肉塊は中央の着地地点を避け、彼方へと滑っていく。

 成功か?


 いや、勢いがつきすぎた。

 肉塊は、猛スピードで水平移動し、そのまま壁際にあった「何か」に激突した。


 ベチャッ。


 そこにあったのは。

 さきほど、私が涙ながらに見送った、壁に張り付いた「ヘドロまみれの薬草」だった。

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