第六章・第7話(終):空っぽのスイートルームと、王家の指輪
帝都の裏路地。
朝霧が立ち込める中、私たちは馬車を降りた。
ここが約束の場所。帝国側の亡命支援者が手配した隠れ家の前だ。
「ここでお別れだな、お姫様」
カイが私(袋)の口を開ける。
光が差し込み、エレナが眩しそうに目を細めた。
彼女は、自分が数日間過ごした「スイートルーム」を最後に見渡した。
天蓋付きベッド、猫足のバスタブ、そして壁に残した落書き。
全てが、彼女との思い出だ。
「家具は……置いていくわ」
エレナが言った。
「持っていけないし、何より……あなたがまた誰かを守る時に使ってほしいから」
誰かを守る時。
また密航者を運べと言うのか。
だが、その言葉には深い信頼が込められていた。
エレナは、足元にまとわりつくカーバンクルを抱き上げ、頬ずりをした。
「元気でね、チビちゃん。あなたのおかげで寂しくなかったわ」
「みゅぅ……」
カーバンクルも別れを惜しむように鳴いた。
そして、彼女は私の外へと踏み出した。
ストン。
石畳の上に降り立つ王女。
フードを目深に被り直すが、その立ち振る舞いには隠せない気品があった。
「約束の報酬よ」
彼女は革袋をカイに渡した。ずっしりと重い金貨の感触。
そして、もう一つ。
彼女は自分の指から、小さな指輪を外した。
王家の紋章が刻まれた、プラチナのリングだ。
「これは?」
「私の私物よ。これを持っていれば、帝国内で信用が必要な時に役に立つはずだわ。……質に入れてもいいけど、できれば持っていてほしいな」
冗談めかして言うが、それは「王女のコネ」という最強のアイテムだ。
カイは少し驚いた顔をしたが、ニカッと笑って受け取った。
「大事にするぜ。質に入れるのは、食い詰めた時だけにしとく」
「ふふっ、あなたらしいわ」
路地の奥から、黒塗りの馬車が現れた。迎えだ。
エレナは馬車に乗り込む直前、振り返って私たちを見た。
そして、私の膨らんだ腹(本体)に向かって、小さく手を振った。
「さようなら、ポッケ。最高の宿だったわ」
馬車の扉が閉まり、蹄の音が遠ざかっていく。
霧の中に消えていく馬車を見送りながら、私は自分の内部を確認した。
広い。
彼女が出ていった後の空間は、物理的な容積以上に広く、そして寒々しく感じられた。
深紅の絨毯には、彼女が座っていた窪みが残っている。
テーブルの上には、飲みかけの紅茶のカップ。
そして壁には、『Elena was here』の文字。
喪失感。
アイテムを失った時とは違う、胸に穴が空いたような感覚。
これが「別れ」というやつか。
倉庫番時代には感じなかった感情だ。在庫は出荷すれば終わりだったが、彼女は在庫ではなかった。
私の「住人」だったのだ。
「……へっ、しんみりしちまったな」
カイが鼻をすすった。
お前も寂しいのか。
「でもまあ、懐は温かい! 金貨100枚だぜ! これで帝都で豪遊だ!」
カイは無理やりテンションを上げ、私をポンポンと叩いた。
「行くぞポッケ! 空いたスペースには、また新しい思い出を詰め込めばいいんだよ!」
その通りだ。
私は倉庫だ。空きスペースがある限り、新しい何かが入ってくる。
それがゴミであれ、お宝であれ、あるいは新しい出会いであれ。
私は全てを受け入れ、管理し、守るだけだ。
私は、エレナが残した文字の周りに、念動力で『保存結界(消去禁止プロテクト)』をかけた。
この落書きだけは、どんなに荷物が増えても消さないでおこう。
「みゅっ!」
カーバンクルが、空になったベッドの上で跳ねた。
そうだな。感傷に浸っている暇はない。
帝都には、まだ見ぬアイテムが山のようにあるはずだ。
さあ、次の入庫は何だ?
帝国の魔導具か? それとも伝説の武器か?
いつでも来い。私の準備はできている。




