第六章・第6話:狭い自由の終わる場所、内壁に刻まれた約束
追手を撒いた後の街道は、不気味なほど静かだった。
馬車の車輪が回る音だけが、規則的に響いている。
私の内部空間も、戦闘時のカオスが嘘のように静まり返っていた。
散乱した家具を元の位置に戻し、カーバンクルを寝かしつけた後、私は居住区エリアの照明を少し暗く調整した。
お休みモードだ。
だが、エレナは眠っていなかった。
ベッドの縁に腰掛け、膝を抱えてぼんやりと空間の天井を見上げている。
その紫色の瞳には、シャンデリアの魔石の光が映り込み、寂しげに揺れていた。
「……ねえ、ポッケ。聞こえてる?」
彼女が小さく呟いた。
私は、念動力で近くにあったポーションの空き瓶を軽く揺らした。
『カチン』。
イエスの合図だ。
「ふふ、やっぱり聞こえてるのね」
エレナは微かに笑った。
「もうすぐ、帝都に着くわね」
『カチン』。
「着いたら、私はまた『籠の中の鳥』に戻るわ。帝国での亡命生活……自由になれると思ったけど、結局は政治の駒として利用されるだけかもしれない」
彼女の声は沈んでいた。
王女という立場。それは、豪華なドレスと宝石に囲まれながらも、常に誰かの思惑の中で生きることを強いられる牢獄なのかもしれない。
「変な話よね。あんなに広いお城にいた時よりも、この狭くて薄暗い袋の中にいる時の方が、ずっと心が自由だったなんて」
彼女は立ち上がり、裸足のまま絨毯の上を歩いた。
そして、私の内壁(空間の境界となっている布地の裏側)に手を触れた。
「ここは温かいわ。カイさんと、カーバンクルちゃんと、そしてあなたが守ってくれているから」
私は胸(という部位はないが)が熱くなるのを感じた。
私はただの元社畜で、今は薄汚れた袋だ。
だが、この少女にとって、ここは唯一の聖域になれたのだ。
それだけで、私がここに転生した意味があったのかもしれない。
「ねえ、ポッケ。私、ここに印を残してもいい?」
印?
エレナは懐から、一本の羽ペンを取り出した。
インクはいらない。魔力で文字を刻む魔法のペンだ。
「私がここにいた証。そして、いつかまた会えた時のために」
書いてくれ。
好きなだけ。
私は壁の防御結界を解除し、彼女を受け入れた。
サラサラ……。
ペン先が布地を走る感触。
くすぐったいような、でも愛おしい感覚。
彼女が書き終えた後、そこには淡い光を放つ文字が刻まれていた。
『Elena was here. Thank you, my dear friend.』
(エレナ参上。ありがとう、私の親愛なる友よ)
そしてその横に、王家の紋章ではなく、可愛らしい猫の落書きが添えられていた。
王女としてではなく、一人の少女としてのサインだ。
「ありがとう、ポッケ」
エレナは壁にキスをした。
その時、外からカイの声が聞こえた。
「おい、起きろお姫様! 帝都が見えてきたぞ!」
馬車が止まる気配。
外の世界の光が、私の口の隙間から差し込んでくる。
夜明けだ。
そして、別れの時だ。
エレナは涙を拭い、居住まいを正した。
少女の顔から、王女の顔へと戻っていく。
「さあ、行きましょう。私の新しい戦場へ」
私は、彼女のために最高の出口(花道)を用意しようと、口を大きく開けた。




