第五章・第8話:敗北したハイテク鞄と、泥臭い友情収納
崖の上の平地。
そこは、生温かい風が吹き抜けるだけの殺風景な場所だったが、今の私たちにとっては天国のような休息地だった。
勇者カイと、エリート冒険者レオンは、大の字になって空を見上げていた。
二人の顔は卵液でベトベトになり、鎧は泥だらけだ。
特にレオンの悲惨さは際立っていた。自慢の白銀の鎧が、見るも無残な汚れ方をしている。
「……終わったな」
レオンが力なく呟いた。
彼の視線の先には、力なくしぼんだ白い鞄『シルヴィア』が転がっている。
先ほどの緊急排出ですべての中身を失った彼女は、ただの空っぽの革袋と化していた。
魔力の光も消えかけている。
『……申し訳ありません、マスター。システム・クリティカル・エラー。再起動不能……』
シルヴィアの弱々しい念話が聞こえる。
高慢だった彼女の自信は、完全に砕け散っていた。
「荷物を全て失った以上、失格は確定だ。君のおかげで命は助かったが、試験は……」
レオンが拳を握りしめる。
その時、カイが身体を起こした。
顔についた卵の殻を拭いながら、ニカッと笑う。
「何言ってんだ。まだゴールしてねえだろ?」
「は?」
「俺の荷物は無事だ。……まあ、魚は一匹壁に張り付いてるかもしれねえけどな」
おい、余計なことを言うな。
「俺の荷物を半分持てよ。そしたら二人でゴールできる」
「な、何を言っているんだ? それはルール違反じゃ……」
「『協力してはならない』なんてルールは無かったはずだぜ。それに、荷物を失ったなら、現地調達すればいい。俺の荷物を『現地調達』したってことにすりゃあいいだろ」
滅茶苦茶な理屈だ。
だが、その強引さがカイの魅力でもある。
レオンは呆気に取られていたが、次第にその瞳に光が戻ってきた。
「……君は、馬鹿なのか? それとも天才なのか?」
「両方だろ。で、問題はその鞄だ」
カイがシルヴィアを指差す。
機能停止寸前の彼女をどうするか。
「このままじゃ足手まといだ。俺の袋に入れちまおう」
出た。
必殺「とりあえず袋に入れる」。
私の意思確認はなしか?
いや、状況的に断れないのはわかっているが。
『いや……! そんな汚い袋の中に……入りたくない……!』
シルヴィアが最後の力を振り絞って抵抗(念話)する。
(おいおい、選り好みできる立場か? お嬢様)
私は念話で語りかけた。
(ここは緊急シェルターだと思って入れ。メンテナンスモードに入れるくらいには安定してるぞ)
『うぅ……』
シルヴィアは沈黙した。
レオンが、愛おしそうに彼女を抱き上げた。
「すまない、シルヴィア。少しの間、辛抱してくれ」
そして、レオンの手によって、シルヴィアは私の口へと運ばれた。
かつて私を見下していた高級ブランド鞄が、私の腹の中に収まる瞬間。
なんというカタルシス。
スポッ。
シルヴィアが入ってきた。
私は彼女を、一番環境の良い場所――カーバンクルの簡易ベビーベッドの隣――に配置した。
ここなら、カーバンクルの『浄化の光』を浴びて、多少は自己修復も進むだろう。
【入庫:高機能人工知能搭載鞄『シルヴィア』(破損)】
【状態:システムダウン、精神的ダメージ大】
(ようこそ、私の城へ。狭いがくつろいでくれ)
私は少し先輩風を吹かせてみた。
『……広いのね』
シルヴィアがポツリと漏らした。
『外見からは想像できないくらい……広くて、整頓されている……。それに、この光は……?』
(カーバンクルだ。空気清浄機代わりにな)
『カーバンクル!? そんな希少種を……飼っているの?』
(まあな。それと、そっちにあるのはポーション棚だ。お前が割ったのと違って、一本も割れてないぞ)
私は自慢げに内部を見せつけた。
シルヴィアは絶句しているようだった。
物理的なスペックや魔力では負けても、現場での運用能力(と泥臭い工夫)では私が勝ったのだ。
『……負けたわ。あなたはただのボロ袋じゃない。……熟練のロジスティクス・マスターね』
(よせやい、照れるだろ)
鞄同士の和解が成立した頃、外では二人の男が再び走り出していた。
カイが水樽を持ち、レオンが卵のカゴを持つ。
泥だらけの二人が並走する姿に、観客席からは再び歓声が上がる。
「行くぞレオン! 最終試験は『戦闘支援』だ!」
「ああ、借りは返すよ。僕の剣技を見せてやる!」
最終エリア。
そこには、巨大な闘技場と、鎖に繋がれた一頭の竜が待ち構えていた。
運搬だけでは終わらない。
運んだ物資を使って、強敵を倒すまでが試験なのだ。
私の内部で、シルヴィアが小さく震えた。
『頑張って……ボロ袋さん』
(任せろ。ここからが私の本領発揮だ)
私は、ポーション棚と矢の束の位置を再確認し、戦闘モードへと意識を切り替えた。




