第四章・第4話:呪いの赤い霧と、塩によるシステム復旧
その部屋の空気は、今までとは明らかに異なっていた。
カビ臭さが消え、代わりに鉄錆のような血の匂いが漂っている。
部屋の中央にある石の台座。そこに、一本の短剣が突き刺さっていた。
刀身は黒曜石のように黒く、脈打つような赤い紋様が刻まれている。
柄には、苦悶の表情を浮かべた悪魔の顔の装飾。
誰が見ても「ヤバい」とわかる代物だ。
『血塗られた短剣』。
あるいは『魔剣・吸血鬼』か。
「……ゴクリ」
勇者が唾を飲み込んだ。
本能的な恐怖と、冒険者としての物欲がせめぎ合っている。
「これ、絶対に呪われてるよな……」
そうだ、カイ。触るな。
それは持って帰ってはいけない。
博物館に寄贈するか、神殿で封印してもらうべきレベルの危険物だ。
「でも、すげー強そうだし、売れば城が建つかもな」
欲が勝った。
勇者は布で手をぐるぐる巻きにし、直接触れないようにして短剣を引き抜いた。
ズズッ……。
抜いた瞬間、赤い火花が散った。
「うおっ、ビリビリくる! やべえ、早くしまわないと!」
しまうな!
そんな危険物を私の体内に入れるな!
だが、勇者はパニックになりながら、私(袋)の口を全開にした。
「頼む、袋! 封印してくれ!」
他力本願!
短剣が投げ込まれる。
ヒュンッ。
短剣は空中で赤い尾を引きながら、私の内部空間の中央付近で静止した(私が念動力で受け止めた)。
その瞬間だった。
ドクンッ。
空間全体が脈打った。
短剣から、赤黒い霧が噴き出したのだ。
それは物理的な煙ではない。瘴気だ。呪いだ。
私の視界(システム画面)が、真っ赤なノイズに覆われる。
【警告:不正なコード干渉を検知】
【状態異常:呪い(カース)進行中】
【影響範囲:全域】
私の美しいグリッド線が歪んでいく。
直線だったはずの線が、ぐにゃりと曲がり、不気味な曲線を描き始める。
そして、収納されていたアイテムたちが、狂ったように踊り始めた。
ガタガタガタガタ!
ポーション瓶が震え、ぶつかり合う音。
矢の束が解け、勝手に宙を舞う。
そして、隅で縛り上げていた『ミミックの死骸』が、拘束(自分の舌)を引きちぎらんばかりに暴れだした。
「ウガァァァァ!」という幻聴まで聞こえてくる。
ポルターガイストだ。
倉庫内幽霊騒動。
このままでは、アイテム同士が衝突し、破壊し合い、最終的には私も発狂して破綻する。
止めろ。
呪いの発生源を絶て。
私は、赤く光る短剣を凝視した。
『鑑定(解析)』スキル、フル稼働。
見えた。
短剣の周囲に漂う、複雑な幾何学模様の術式。
それがノイズを発信し、私の空間制御プログラムに干渉しているのだ。
これを遮断しなければならない。
結界が必要だ。
聖なる結界か、あるいは物理的に呪いの波長を吸収する素材。
聖水? ない。
護符? ない。
あるのはゴミと日用品だけだ。
日用品……。
古来より、清めの儀式に使われるもの。
塩。
塩はないか!?
私は買い出しの時の記憶を検索した。
勇者は食料も買っていた。干し肉、堅パン。
そして、料理用の調味料セットも買っていたはずだ!
検索! 『塩』!
ヒット!
『粗塩の小袋(麻袋入り)』。
座標X=150、サブバッグの脇に埋もれている。
私は念動力で塩袋を引き寄せた。
そして、迷わずその袋を引き裂いた。
バッ!
白い結晶が舞い散る。
私はその塩の粒を、短剣の周囲に展開した。
ただ撒くのではない。
高速回転させ、短剣を包み込む「塩のドーム」を作り出すのだ。
――塩結界展開!
――悪霊退散! バグ退散!
ザザザザザッ!
塩の嵐が短剣を包囲する。
赤い霧が、白い塩に触れた瞬間、ジュッという音を立てて浄化されていく。
ノイズが消えていく。
歪んだグリッド線が、直角に戻っていく。
ガタガタと震えていたポーションたちが静止した。
暴れていたミミックも、電池が切れたように動かなくなった。
成功だ。
塩は偉大だ。物理的にも霊的にも、最強の浄化アイテムだ。
私は、短剣を完全に塩漬けにしたまま、塩の球体として固め、空間の最深部(隔離エリアのさらに奥)へと封印した。
【状態:封印(塩漬け)】
ふぅ……。
なんとか収まった。
だが、代償として、私の空間内には大量の塩が散らばってしまった。
床がしょっぱい。
鉄製品(特にあの錆びた剣)にとっては最悪の環境だ。錆が加速する。
だが、今はこれが精一杯だ。
勇者は外で、まだ手の震えを抑えながら荒い息をついている。
「なんとか……収まったか? 袋が破裂するかと思ったぜ」
破裂してたまるか。
こっちは必死に除霊してたんだ。
塩代、あとで請求するからな。
しかし、休む間もなく、奥から地響きが聞こえてきた。
ダンジョンの主のお出ましだ。
この騒ぎを聞きつけて、やってきたらしい。
「グルルルル……」
巨大な蜘蛛の足音が近づいてくる。
最終決戦だ。
私の在庫管理能力が、勇者の命を救う最後の切り札となる時が来た。




