第三章・第5話(終):マトリョーシカの憂鬱と、見えない在庫
勇者は有言実行の男だった。ただし、悪い方向に。
道具屋の軒先で、彼は安っぽい革製の肩掛け鞄を手に取っていた。
『マジックバッグ(小):容量20リットル。時間停止機能なし。重量軽減・微』
定価、銀貨2枚。
入門用の量産品だ。私(無限容量・座標管理機能付き)に比べれば、スペックは雲泥の差がある。
「よし、これください!」
勇者はなけなしの金貨を崩して支払いを済ませると、早速そのバッグを私の口元へ持ってきた。
「ほらよ、新入りだ。仲良くしてやれ」
ドサッ。
私の内部空間に、異物が侵入してきた。
革の匂いと、微かな魔力の波動。
それが、私が苦労して作った「ポーション棚」と「リンゴ箱」の間のスペースに、図々しく鎮座した。
【入庫:マジックバッグ(小)】
【識別名:サブバッグ_01】
私は、その新入りに対してコンタクトを試みた。
(おい、聞こえるか? お前の管理者だ)
……反応なし。
(挨拶くらいしたらどうだ? 新人)
……沈黙。
どうやら、こいつには私のような自我はないらしい。ただのプログラムされた道具だ。
少し安心したような、張り合いがないような。
だが、問題はここからだった。
「さて、ポーションとか矢は、バラバラだと取り出しにくいからな。こっちのバッグにまとめとくか」
勇者の手が伸びてきた。
やめろ。
何をする気だ。
私はポーションを美しく整列させたぞ。矢だって、空中で完璧に束ねてある。
取り出しにくい?
それはお前がガサツに探るからだ!
勇者は私の抵抗(心の声)など知る由もなく、整列済みのポーション50本を鷲掴みにした。
そして、それをそのまま『サブバッグ_01』の口へと突っ込んだ。
ガラガラガラッ!
ああ……!
私の美しい陳列が!
硝子のシンフォニーが!
ポーションたちは、サブバッグという名のブラックホールへと吸い込まれていった。
中でどうなっている?
割れていないか? 横倒しになっていないか?
わからない。
サブバッグの内部は「異空間」だ。私の「異空間」の中に、別の「異空間」が存在している状態。
私のセンサーは、サブバッグの「外側」までは感知できるが、「内側」までは干渉できないのだ。
完全なるブラックボックス。
在庫管理システムにおける「不明在庫」エリアの誕生だ。
「矢も入れとくか」
次は矢だ。
100本の矢の束が、サブバッグに押し込まれる。
羽根が折れる音がした気がする。
だが、私には確認する術がない。
「お、リンゴも入れとこ」
リンゴまで!
ポーションの瓶の上にリンゴを乗せる気か? 割れるぞ!
だが、勇者は容赦なくリンゴを詰め込み、バッグの口を紐で縛った。
「よし、スッキリしたな!」
勇者は満足げだ。
確かに、私の内部空間はスッキリした。
ポーション棚も、矢の束も、リンゴ箱も消えた。
残っているのは、巨大な『サブバッグ_01』と、昨夜の『巨大ゴミ団子』、そしてその他のガラクタだけだ。
だが、私の心は晴れなかった。
管理できない。
あのバッグの中で、今まさにポーションが割れ、液体が漏れ出し、矢の羽根を濡らし、リンゴがそれを吸って青色に変色しているかもしれない。
その惨状を、私は感知することも、修正することもできないのだ。
これは……ストレスだ。
見えているゴミを片付けるよりも、見えない場所でゴミが増えているかもしれないという疑念の方が、精神を蝕む。
「準備万端! いよいよだな!」
勇者が城門の方角――街の外――を見据えた。
その目は輝いている。
冒険者の目だ。
「目指すは『忘却の地下迷宮』! 噂じゃ、未発見のレアアイテムが眠ってるらしいぜ!」
ダンジョン。
迷宮。
それはつまり、さらなる「未知のアイテム」の流入を意味する。
魔物の素材。
古代の遺物。
罠。
呪われた装備。
それらが、私の内部へ、あるいはあの『サブバッグ』の中へと放り込まれるのだ。
私は震えた。
だが、同時に覚悟も決まった。
管理してやる。
見えないなら、見えるようにしてやる。
いつか、あのサブバッグの中身すらもハッキングして、完璧な在庫リストを作り上げてやる。
それが、最強のアイテムボックス(私)のプライドだ。
勇者が歩き出す。
私の内部で、サブバッグがゴロンと転がった。
中でカチャンと音がした。
……あ、一本割れたな、これ。
私の戦いは、まだ始まったばかりだ。
世界を救う前に、まずはこの袋の中の世界を救わねばならない。




