第三章・第4話:侵入する指先と、贈呈されたパンドラの箱
その手つきは、プロフェッショナルだった。
勇者が人波に押され、ほんの一瞬バランスを崩した隙を突き、私の口紐の緩みを解き、指先を滑り込ませてきたのだ。
迷いがない。
そして、私の内部構造を探るように、指先がうごめく。
【警告:不正アクセス検知】
【権限:なし(ゲスト)】
【アクション:窃盗の可能性大】
許さない。
泥棒は、在庫管理者にとって最大の敵だ。
棚卸しの数字が合わなくなる原因のトップ。
しかも、せっかくミリ単位で整列させた私の「ポーション棚」に、その汚い指が近づいている。
ピクッ。
スリの人差し指が、一番手前のポーションの瓶に触れた。
1本銅貨5枚。安物だが、私の大事な在庫だ。
スリは指先の感覚だけで「これは液体入りの小瓶(金になる)」と判断したようだ。掴もうとする動きを見せる。
させるか。
私は、念動力でポーションの列全体を、スライド移動させた。
ズザッ。
棚全体が奥へ5センチ後退する。
スリの指が空を切った。
「……?」
スリの手がピタリと止まった。
違和感を覚えたのだろう。あるはずの物が、指先から逃げたのだから。
だが、プロのプライドか、あるいは単なる欲深さか、スリはさらに腕を深くまで突っ込んできた。
ポーションがダメなら、もっと奥の大物を狙う気だ。
狙いは……上空の「矢」か? 中空の「リンゴ箱」か?
いや、奴の手は下へ向かっている。
底の方に沈んでいる、重くて価値がありそうなもの――つまり「金貨袋」を探しているのだ。
残念だったな。
この勇者は貧乏で、金貨袋なんて持っていない。
底にあるのは、勇者の汚いパンツと、昨日作った『巨大ゴミ団子』だけだ。
……待てよ?
私の脳裏に、悪魔的なアイデア(セキュリティ・プラン)が閃いた。
泥棒にお土産を持たせてやるのは、防犯の基本ではないが、エンターテインメントとしては正解ではないか?
奴は「重くて」「手触りが良くて(袋に入った)」「価値がありそうなもの」を探している。
ならば、条件に合致するアイテムを提供してやろう。
私は隔離エリアの封印を解いた。
そこには、検問の時に勇者のパンツで包み込み、ボール状に圧縮した『廃棄予定_混合ゴミ_01(オークの睾丸入り)』が眠っている。
外見は布袋。
重さは適度にある。
中身は、弾力のある球体(腐りかけのタマ)。
完璧なダミーだ。
暗闇の中で手触りだけを確認すれば、誰もが「布に包まれた宝石か何か」と錯覚するだろう。
しかも、現在はヘドロの発酵が進み、パンパンに膨張している。爆発寸前だ。
私は、その『パンドラの箱』を、スリの手が探っている軌道上へと、そっと誘導した。
ほら、ここだよ。
お探しの物はこれかい?
ガサッ。
スリの指先が、パンツボールに触れた。
「……!」
スリの指が反応した。
布の感触。
確かな重量感。
中身の適度な弾力。
(これだ! 金目のものだ!)という心の声が聞こえてくるようだ。
スリは躊躇なく、そのパンツボールを鷲掴みにした。
そして、素早く腕を引き抜く。
どうぞ、お持ち帰りください。
返品不可でお願いします。
シュッ。
スリの手が私の外へと抜けた。
同時に、私は心の中でカウントダウンを開始した。
3、2、1……。
「よし、いただき……」
人混みの中で、スリの男が戦利品を確認しようとした、その時だった。
強く握りしめた圧力によって、限界まで膨張していたパンツボールの縫い目(結び目)が悲鳴を上げた。
ボンッ!
破裂音。
いや、正確には「ガス放出音」だ。
内部に溜まっていた腐敗ガスと、液状化したヘドロが、圧縮された反動で一気に噴出したのだ。
ブシュゥゥゥゥッ!!
スリの顔面へ。
至近距離からの、ヘドロ・スプラッシュ。
腐った卵とアンモニアとドブ川を煮詰めたような、この世の終わりの悪臭が、王都の裏通りに炸裂した。
「ぎゃああああああああああ!!」
断末魔のような悲鳴。
スリの男は顔を押さえ、のたうち回った。
周囲の通行人が驚いて飛び退く。
「な、なんだ!? 毒ガスか!?」
「くっさ!! なんだこの臭い!!」
パニックが発生した。
勇者も足を止めて振り返る。
「ん? なんか騒がしいな。……うわっ、くっさ! 誰か漏らしたのか?」
勇者は鼻をつまみながら、のたうち回る男を見た。
男の手には、無惨に弾けた勇者のパンツ(汚物まみれ)が握られている。
「……あれ? あのパンツ、俺のに似てね?」
勇者が首を傾げた。
鋭い。
だが、まさか自分のアイテムボックスから盗まれたものが、自爆テロを起こしたとは思うまい。
「ま、関わらないほうがいいな。行くぞ」
勇者はさっさとその場を離れた。
私は、遠ざかるスリの男に心の中で敬礼した。
ありがとう、名もなき泥棒よ。
君のおかげで、私の内部にあった「最大の汚染源」が、完全に処分(出荷)されたのだ。
【在庫更新】
・出庫:廃棄予定_混合ゴミ_01
・出庫:勇者のパンツ(予備)
・状態:廃棄完了
せいせいした。
これで、私の内部空間は(昨夜の巨大ゴミ団子を除けば)ほぼクリーンになった。
ポーションは整列し、矢は束ねられ、リンゴは浮いている。
完璧だ。
これが本来の私の姿だ。
しかし。
勇者がふと立ち止まり、ポツリと言った。
「そういや、荷物増えてきたし、整理すんのも面倒だよな」
え?
整理? 私がやってますけど?
「なんか、道具屋で『マジックバッグ(小)』が安かったんだよな。あれ買って、小物入れにするか」
マジックバッグ。
魔法の鞄。
つまり、私と同業者のアイテムだ。
「で、そのバッグごと、このアイテムボックスに入れときゃいいだろ。マトリョーシカみたいにな!」
は?
袋の中に、袋を入れる?
私の腹の中に、別の収納アイテムを入れる?
それは……どういう扱いになるんだ?
私の部下が入ってくるのか?
それとも、私が管理できない「ブラックボックス」が増えるだけなのか?
私の予感は的中した。
これが、新たな混沌の始まりだった。




