第三章・第2話:受付嬢の微笑みと、暴落するプライド
カランカラン。
軽やかなベルの音とともに、私たちは冒険者ギルドの扉を開けた。
中は喧騒に包まれていた。
昼間からジョッキを傾ける荒くれ者たち、掲示板に群がる新人たち、そしてカウンター越しに業務をこなす職員たち。
木材と羊皮紙と、少しの酒の匂い。
これぞファンタジー世界の心臓部だ。私は本来なら、この活気に胸を躍らせるはずだった。
だが、今の私は、自分の腹の中に爆弾を抱えている気分だった。
その爆弾の名は『パンツ・包・ザ・汚物』。
「よう、リサちゃん! 換金頼むわ!」
勇者が慣れ親しんだ様子でカウンターへ向かう。
相手は、亜麻色の髪をきっちりとまとめた、清楚で知的な雰囲気の受付嬢だ。
リサと呼ばれた彼女は、営業用の完璧なスマイルを浮かべた。
「あら、カイさん。お帰りなさい。今回の遠征はどうでした?」
「大漁だよ大漁。オークを狩ってきたからな」
勇者は自信満々に私(袋)をカウンターに乗せた。
やめろ。
そんな汚い袋を、ピカピカに磨かれたマホガニーの天板に乗せるな。
「では、素材を確認しますので、トレーに出してください」
リサ嬢が大きな木製のトレーを差し出す。
さあ、審判の時だ。
「おうよ。まずは……一番の大物、オークの睾丸だ!」
勇者の手が私の口に侵入してくる。
ターゲットは明確だ。
私の内部マップでは、『パンツボール(融合体)』として登録されているあの塊だ。
どうする?
このまま出せば、パンツに包まれた謎の球体が出てくるだけだ。
それでは「睾丸」として認識されない。
かといって、パンツを剥がせば……中はヘドロまみれだ。
私は葛藤した。
だが、勇者の手は容赦なくパンツボールを掴んだ。
そして、引き抜こうとする。
――待て! 分離だ!
――『結合解除』!
私は土壇場で新スキルを発動させた。
検問の時とは逆のプロセス。融合していたデータを強制的に引き剥がす。
ブチブチッ……!
私の意識の中で、データの繊維が千切れる音がした。
パンツの布地と、汚物の粘膜が、無理やり剥離される。
スポンッ!
勇者の手からパンツ部分だけが私の内部に残り、中身の「汚物塊」だけが摘み出された。
成功か?
いや、完全ではない。
急ごしらえの分離作業だったため、睾丸の表面には、まだヘドロの薄い膜と、パンツの綿繊維がうっすらと貼り付いていた。
ゴロン。
リサ嬢の差し出したトレーの上に、紫色の肉塊が転がった。
ぬらりと光るその物体。
漂う異臭。
「…………」
リサ嬢の完璧なスマイルが、一瞬で凍りついた。
彼女は無言で、少しだけ上半身を後ろに引いた。
「どうだ! デカいだろ?」
勇者は得意げだ。
鼻が詰まっているのか、この異臭に気づいていないらしい。
リサ嬢はハンカチを取り出し、口元を押さえながら、マジックハンドのような長いトングでその物体をつついた。
「カイさん……これは……何ですか?」
「だから、オークのタマだって。希少部位だろ?」
「ええ、部位としてはそうですけど……。なんでこんなに……ヘドロ臭いんですか? あと、この表面についている白い繊維は?」
鋭い。
それは勇者のパンツの繊維です、とは口が裂けても言えない(口はないが)。
「あー、保存状態がちょっとアレでな。袋の中で転がっちまって」
「……そうですか」
リサ嬢の目が、ゴミを見るような冷たさに変わった。
彼女はトングでその塊を裏返し、ため息をついた。
「品質ランクE……いえ、廃棄寸前のFですね。通常なら金貨1枚ですが、これでは銅貨10枚が限界です」
「はあ!? 安すぎだろ!?」
「洗浄と悪臭除去の手間賃を考えたら、引き取るだけでも慈悲だと思ってください」
正論だ。
ぐうの音も出ない。
私の在庫管理能力の低さが、市場価値を100分の1以下にまで暴落させたのだ。
「ちぇっ、渋いなぁ。じゃあ、こっちはどうだ? 薬草だ」
勇者が次に出したのは、例の『ヘドロ薬草(洗浄済み)』だ。
いや、洗浄したつもりだったが、私の「分離」スキルはまだ未熟だ。
出てきたのは、ヨレヨレにしなびて、葉脈の隙間に土埃が入り込んだ、茶色い草の死骸だった。
「……雑草ですか?」
「薬草だよ!」
「枯れてますね。しかもカビ臭いです。買取不可」
バッサリと切り捨てられた。
私の心にヒビが入る。
薬草……ごめんよ。私がもっと丁寧に保管していれば。
「最後だ! この剣! ゴブリンから奪ったやつだが、業物だぞ!」
勇者が最後の切り札として、あの『錆びた鉄の剣』を取り出した。
私が必死に水平にし、乾燥させ、しかし最後には粉塵まみれになったあの剣だ。
ガチャン。
トレーに置かれた剣。
その刀身は、錆(赤茶色)と、小麦粉(白)と、土埃(茶色)が混ざり合い、なんとも言えないまだら模様を描いていた。
「…………」
リサ嬢はトングで剣を持ち上げ、パラパラと落ちる粉を見た。
「あの、カイさん。この剣でパンでも捏ねました?」
「あー、ちょっと袋の中で小麦粉が暴発してな」
「メンテナンス不足ですね。錆も進行していますし、柄の革もボロボロです。スクラップとして鉄くずの価格で買い取ります」
鉄くず。
業物が、ただの鉄の塊としての価値しか認められなかった。
合計金額:銅貨15枚。
本来なら金貨数枚(数万円相当)にはなったはずの戦利品が、ジュース数本分の小銭に変わった。
私は恥ずかしさで爆発しそうだった。
これは私の敗北だ。
アイテムボックスとしての機能を果たしていない。ただの「ゴミ箱」だと思われている。
勇者は不満そうに小銭を受け取り、ボヤいた。
「なんだよ、シケてんなぁ。アイテムボックスに入れておけば安心だと思ったのに」
その言葉が、私の胸に突き刺さる。
安心?
違う。お前が乱暴に入れるからだ。
お前が整理しないからだ。
だが、最終的なアウトプットの品質を担保するのは、倉庫番(私)の責任でもある。
悔しい。
もっと綺麗に出したい。
新品同様の輝きで、「どうだ!」とトレーに叩きつけたい。
私の内部で、新たな欲求が芽生えた。
『洗浄』。
『修復』。
単に保管するだけではダメだ。
私は、メンテナンス機能付きの高級倉庫を目指さなければならない。
そう決意した時、勇者が次の行動に出た。
「ま、小銭でも金は金だ。腹減ったし、市場で買い出しでもするか! ポーションとか矢とか、補充しねーとな」
買い出し。
補充。
つまり、「入庫」だ。
今度は、新品のアイテムが大量に入ってくる。
チャンスだ。
今度こそ、綺麗に収納してみせる。
テトリスのように、完璧に隙間なく、カテゴリ別に!
私は気合を入れ直した。
さあ、来い。大量仕入れの時間だ。




