二つの社
啓助は車に乗り込むと、西龍寺の住職から教えて貰った三人の郷土史家に連絡をした。
そのうち須佐光夫、畑正信の二人は連絡が取れ、二人は友人のようで、急な話にも関わらず、どうせなら一緒に会いましょうということになった。
しかも、明日、ホテルのロビーまでわざわざ会いに来てくれるという。
残りの一人、川勝龍一郎には連絡が取れなかった。
電話に出た感じの良い息子さんが言うには、フィールドワークに出掛けると、連絡が取れないらしい。
家に一週間や二週間帰って来ないのはざらとの事だった。
啓助はパソコンで地図を開く。
舞の行程表に目を通しながら、次の目的地を、古事記の国産み神話に登場する、オホノデヒメを祀るユナキ神社に決めた。
それは夕凪島の最高峰。
標高817メートルの星ヶ城山の山頂付近にある。
行程表の中では、ここからは一番遠い場所。
時刻は12時を少し回っている。
啓助はハンドルを握った。
西龍寺の山道からオリーブやみかんの木々が広がる合間の道を抜け、町中の細い道を通り国道に出る。
すぐに緩い坂道に差し掛かる。
空は青く、道の両側の緑は濃い。
長い峠を越えると目の前に凪いだ水面の内海湾が広がった。
湾を右手に道は下る。
オリーブ公園という案内が出ていた。
その近くのバス停は観光客で溢れ返っている。
やがて道は海岸線を走る。
内海湾は天然の入り江で田浦半島が蓋をしているような形になっていて、水面は瀬戸内海の中でも一段と湖面のように穏やかだった。
車の流れも良く、走りやすい道。
海岸線に別れを告げ、道が家々に吸い込まれていく。
すぐの交差点で標識とナビの指示で左折する。
すぐに道は上りだす。
左正面にダムの壁面が顔を出し、道は大きなダム湖のほとりを周りつつ、緩やかに上っていく。
ゆるやかに、ときに切り返し、道はうねりつつ標高を上げていく。
空を漂う雲が、心なしか近づいてきているようだった。
時折見える、眼下に広がる瀬戸内海が標高の高さを教えてくれる。
途中、八十八ヵ所の霊場と思しき案内板がいくつか出ていた。
鬱蒼とした木々の中に『ユナキ神社駐車場』と書かれた小さな看板が目に入る。
ハンドルを切り、細い坂を上った先に、整備された大きい駐車場があった。
車を降りると、反響するような蝉の声と肌を刺すような陽射しが降り注ぐ。
辺りを見回すと、駐車場の角に案内板らしき物があった。
どうやら、この脇から山へと道が伸びているようだ。
森の中の道は少しずつ上って行く、汗が容赦なく噴き出してくる。
陽射しは遮られているものの蒸し暑く、地面の土は所々ぬかるんでいて滑りやすい。
時折、吹き抜ける風が梢を揺らせ耳に心地よく、汗をかいた肌に涼しさを運んでくれた。
パチッ。
枝を踏む音がして視線を上げると、前方から一人の若い男性が歩いてきた。
足元の革靴は汚れていたが、爽やかな感じのサラサラ髪のイケメン。
「こんにちは、暑いですねぇ」
明るい低音が耳に届く。
少し日焼けした肌に白い歯が眩しい。
「こんにちは」
啓助が挨拶を返すと、男は何処へ行くのかと尋ねてきた。
オホノデヒメを祀るユナキ神社と答えると男は目を丸くした。
「僕と同じですね、この先にユナキ神社は一つだけですからねぇ、あの先です」
男が指を差した方向、木々の合間に白い鳥居の頭の部分が見える。
「お参りですか?」
啓助の問いかけに、男は笑顔のまま手を横に振る。
「いえいえ、ハイキングですよ、お参りはついでです、じゃあ」
軽く会釈をして男は歩き出した。
啓助はふと思い出した事があったので振り向いて声を掛けた。
「あ! あの!」
男は立ち止まりこちらに振り返る。
「どうかしました?」
「そっちは駐車場ですよ」
「はぁ……」
男は首を傾げ表情を曇らせている。
「いや、駐車場に車がなかったものですから……道を間違えられたのかと思って……」
「ん? あぁ、友人が迎えに来てくれるんですよ……」
頭を掻いて笑う男。
そして、お互いに軽く会釈をして別れた。
しばらく歩くと小さな白い鳥居が姿を現した。
神社とは言うものの、10メートル四方を手積みの石垣で囲われた簡素なものであった。
石垣は腰ほどの高さで、その中に木製の朱色に塗られた社が鎮座している。
鳥居をくぐり社の前まで進むと、屋根にモンシロチョウが一匹羽を休めていた。
剥き出しの社の扉にはしっかりとした錠前がついている。
中に何か入っているのか?
そんな事を思いつつ、可愛らしい小さな賽銭箱にお賽銭を入れ、舞の無事を祈った。
社の脇の掲示板に由緒が書かれている。
夕凪島の祖神であるオホノデヒメとミズハノメノカミという神様をご祭神としてお祀りしている。
今いる所は西峰のユナキ神社で、もう少し山を登った星ヶ城山の山頂辺りに東峰のユナキ神社があるという。
啓助は折角なので東峰にも行ってみることにした。
小さな案内板の矢印を頼りに進むと道は少し下っていく。
木々が生い茂っているお陰で、この辺りの道もぬかるんでいる。
「おっと」
あぶないな。
いくらか傾斜のある所で滑りそうになった。
窪みの底から道はまた上り始める。
5分ほど進んだ先。
木漏れ日の中にひっそりと佇む東峰のユナキ神社に着いた。
同じような白い鳥居だが、こちらの社は木の柵で囲まれていた。
敷地の広さや社の形は見た感じ西峰と変わらなかったが、向きが違うように感じた。
啓助はここでも舞の無事を祈り手を合わせる。
社の屋根に小さな鳥が一匹、何かを啄んでいた。
黒に白い帯を纏った美しい姿に、何気なくシャッターを切ると、その音に驚いて、林の中に飛び去っていった。
こちらにも由緒書きがある。
お祀りされている神様は、天之御中主神、高皇産霊尊、瓊瓊杵尊、天児屋根命、天太玉命、豊受大御神。
知っている神様の名前もあった。
もちろん舞から教わったのだが。
一礼をして社を背に少し歩くと前方の視界が開けた。
彼方に対岸の四国の山々が見渡せ、瀬戸内海はスケートリンクのようにピーンと張った水面を湛えていた。
目線の高さの空に数匹の鳶が旋回をしている。
少しの間、ぼんやりと眺め立ち尽くしていた。
「舞……神様……」
すっかり雲のなくなった空に向かって何気に零れた言葉。
背後から、話し声が聞こえてきた。
二人組の女性が社に手を合わせていた。
帽子にリュックを背負い楽しげに。
「戻るか……」
啓助は景色に別れを告げ歩き出した。
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