見えないもの
寒霞渓観光からの帰り、香と美樹の勧めで寒霞渓スカイラインという島中央の山間部を横断する県道を走りながら夕陽を満喫した。
光線が海や山、雲に空、町や自分達も鮮やかに染めて、まるで車が太陽に吸い込まれて行くようだった。
舞は夕景を眺めながら、この島は、どこかしこも切り取れる眺めや瞬間があって、そして、そのどれもが心に留めて置きたい大切な空間だと改めて感じた。
兄が運転する車が香の家に着くと、丁度暖簾を下げに出て来た香の母親と鉢合わせした。
香の母親はこちらに気づくと調理帽を取って近寄ってきたので、兄と車を降りて挨拶を交わすと、
「夕食まだでしょうから良ければ食べていきませんか」
折角の厚意を無下に断ることも出来なかったので応じることになった。
香と美樹が母親を手伝っているので、舞も手伝おうとすると、
「舞さんは座ってて」
そう香に制された。
三人の連係プレーは見事であっという間に、素麵やにゅう麺、天ぷら、山菜等がテーブルに並んだ。
食事が始まると香と美樹が今日の出来事を母に話している。
にゅう麺は香と美樹の合作で、地元の醤油をベースにした出汁が美味しくて、古臭い言い方だけど五臓六腑に染み渡った。
「めちゃめちゃ旨い」
兄は、お店で出せばと香と美樹に勧めている。
こんなに賑やかな食卓はいつ以来だろう?
兄は美樹や香に突っ込まれながらも楽しそうに笑っている。
舞は食事中、母親の視線が気になっていた。
「どうかしましたか?」
舞が問い掛けても、母親は笑みを浮かべて首を傾げている。
ここにきて健啖家ぶりを発揮した兄は、いつのまにか素麺をお替りしていて、楽しい会話と笑顔が飛び交う団欒した時間が過ぎていった。
食後の片づけはさすがに舞は半ば強引に手伝った。
「前にどこかでお会いしたことはありませんか?」
隣で食器を拭いている母親が舞に尋ねてきた。
「先週の金曜日にこちらのお店で食事をしましたからその時ではないですか?」
舞の答えに相槌を打ちながらも母親は首を傾げている。
何だろう?
舞は気にしつつも久々の家事を楽しんでいた。
香と美樹は舞の傍に纏わりついて、他愛のないおしゃべりをする。
そして、片付けが一段落するとリビングで神舞のビデオをみんなで鑑賞することになった。
香と美樹も自分達が踊る姿を見るのは初めてで、舞に至ってはニュースでチラッと目にしたものの、初めて見るもの。
艶やかで大人っぽい二人の巫女が寸分違わず舞踊る、
装束も独特だったけど、動きや曲調に変化もあり舞という物に対するイメージがガラリと変わる代物だった。
舞は母親の視線を気にしながらも神舞の鑑賞を堪能した。
二人に踊っている最中は何を考えていたのか聞いてみると、二人とも同じ答えで、
「何も考えていない」
との事だった。
ただ、何回か視線が合うその時はお互い笑っていたそうだ。
試しにそのシーンを見ると、確かに二人の表情が一瞬笑っている。
結局、ホテルへ帰ろうと香の家を出たのは21時になろうとしていた。
舞は車の助手席に乗り込むと、見送りに出て来た三人にお礼を言った。
「助けてくれたお礼のつもりだったのに素麺ご馳走になっちゃったし、観光案内までしてくれてありがとうね、楽しかった」
「良いんです、母が是非そうしたかったみたいやから」
「ええ、こちらこそありがとうございます」
母親は中腰になって視線を合わせるようにして頭を下げている。
その目は明らかに何かを探っているようで、また首を傾げていた。
「うちらも楽しかったんね」
「うん、啓助さん、舞さんありがとう」
「バイバイ、またね」
舞が手を振ると、二人も笑顔で手を振り返していた。
「じゃあ行くよ」
兄の声と共に車が走り出す。
何だろう?
香の母親の事も気になったが、目の端で川勝家を捉えた。
道路に面した二階の窓に明かりが灯っていた、京一郎はどうしているのだろう……
――京一郎は山岳霊場の駐車場に車を止めると、
「道なき道です…この先は」
最終確認のように舞に聞いた。
「わかりました」
「じゃあ、行きますよ」
舞は小さく頷いた。車を降りて歩き出すと京一郎は来た道を戻っていき、道がカーブした辺りでガードレールを跨いだ。
「気を付けて」
京一郎が差し伸べた手を取りガードレールを跨ぐ。
「ここから下ります。木を上手く使ってゆっくり降りましょう」
「はい」
傾斜はそれほどでもないが斜面の土は柔らかく滑りやすい。
前を行く京一郎はジグザグに木を支えに上手に降りていく。
舞はそれを見よう見真似で着いて行った。
まさかとは思ったが、ジーパンとスニーカーという選択は合っていた。
歩くこと自体は苦にはならないけど、道のない山の中を歩くとは想定を超えていた。
でもそれだけに秘密、結界に対する期待が膨らんでいる。
やがて傾斜のない開けた空間にでると京一郎の提案で休憩した。
京一郎は背負っていたリュックを降ろし地面に座ると、その中からペットボトルを出すと笑顔で差し出した。
「よければ」
「ありがとうございます」
舞が軽く頭を下げてそれを受け取ると、京一郎はニコッと笑い自分のペットボトルを開けて喉を鳴らしてそれを飲んだ。
「どうやって、ここの結界を見つけたんですか?」
舞は貰ったペットボトルを両手で挟んで転がす。
「そうだよね、そこ気になるよね……どうやって話したらいいかな……そうだな……」
京一郎は自分手を見つめ口を開いた。
「あやとりがこんがらがってる。ある指を外したら余計にこんがらがる。指で紐を取っても同じ様になる。どこでまちがえたのか? はじめからやると至ってシンプルに、覚えてしまえば色んなことができる。でもそこに紐が一つ増えたらどこかでズレてくる。さらに一本加えたら、もうお手上げでしょ」
両手であやとりをするように動かしながら話した。
言葉通りお手上げの格好をしている。
「いくつか絡み合った……元を探したわけですね……」
京一郎は満足気に手をパチパチと叩いた。
「でもそれが大変だった。複雑怪奇でね、でもこうやって一つ見つけたわけ」
「それ、聞きたいですね」
「そう、やっぱり知りたいよね? でもそれは後にしよう」
京一郎は腰を上げた。
餌を前にお預けされるという動物たちの気持ちが分かるような気がした。
「こっちです」
指さした方は藪が生い茂っている。
京一郎はそれを搔き分けこちらを振り返りながら進んで行く。
木々が日の光を遮り昼間なのに薄暗い。
蝉の鳴き声以外は、ガサガサと二人が歩く音だけが聞こえる、
「もうちょっとですよ」
「はい」
精一杯の声で返事をした。
流石に息があがる。
その言葉通り少し進むと、正面に小さな鳥居が見えた。
その背後には洞窟が横に広い口を開けている。
「こんな所に鳥居が。でもだれか気が付きそうじゃないですか?」
洞窟の入り口がある辺りは盛り上がった丘のようになっていて、その上にも木が茂っていた。
丘の上の木々の向こうに、微かに突き出した岩のてっぺんが見えていた。
石造りの鳥居は時を経て至る所が浸食されいている。
「だよね、しかも鳥居は石で出来ていて目立ちそうでしょ?」
京一郎は何度も頷いて言った。
「ええ、そう思います」
「では、なぜ忘れられたのか?」
そうよね。
何だろう?
舞は思いついたことを言ってみた。
「えーと……禁足地にしたとか、人が寄り付かないような言い伝えを作ったとかかな」
「うんうん、ほぼ正解、祟りだね」
京一郎は楽しそうに答えている。
祟りか。
呪いとかの類ということね。
「そうか……それで人を寄せ着かないようにした」
「まあでも、今の人はこんな所そもそも来ないけどね。縄文の洞窟はここだけじゃないし、それらも好き好んでいくような場所にはないからね」
「どんな祟りだったんですか?」
「シンプルだよ、死んじゃうっていう。たぶんそれに近い話が元にあったのか、実際に死んだのかは分からない、流石にね」
「お墓とか?」
「なるほど……それもありだね、そもそもお墓か……うんうん元々はある人のお墓か……やっぱりあなたの視点は面白い」
手を叩いて喜んでいる。
呆気にとられているとこっちを見て、
「いや、凄いってことだよ。気を悪くしらごめんね」
取り繕うようにそう言った。
でも気を悪くしてはいないし、そう感じてくれていることは分かっていてから。
「いいえ、京一郎さんは否定しない人ですから……大丈夫です」
「ふーん、そうかな? でもね、その祟りはあるにはあったんだけど、もしかしたら、ここだけ見えてなかったんじゃないかって思うんだよね……」
「見えてなかったっていうと……隠されていた?」
京一郎が言ったニュアンスとは違う気がする。
ニヤニヤしながら、京一郎は水を飲んでいる。
あきらかに舞の返答を待っているのは分かった。
「え……? 実際はあるのに人の目に見えないってことですか? 幽霊みたいに?」
「すごいね、あなたはこんな短い時間でそこの思考に行くなんて……羨ましいよ、まっ、それはさておき、そういう事は可能でしょ?」
「そうですね、光の加減とかなのかな。そっち方面は疎くて……そもそも人間が見えていることが全てではないようには思います。でも、今はこうやって見えている。それはどうして?」
「仰る通り。人が見えている世界は人それぞれ、もし仮に今見えているのであれば、見えなく出来る仕組みがある訳でしょう。その仕組みに何らかの齟齬が起きて見えるようになったってこと、でしょ? 何故そう思ったかって言うとね。僕がこの島に来た一年前には、ここには何もなかったんですよ」
「え?」
「信じてもらえるか分からないけど。祟りの言い伝えはこの麓の地域の年配の人から聞いたから、それがあったのは間違いないとは思うんだ。ここから下った先にも縄文の洞窟が幾つもかあるんだけど、この場所は無かった。見えなかったんだよね。半年ほど前に、それこそ忽然と姿を現したわけ」
京一郎は飲み干したペットボトルをリュックにしまう。
「じゃあ中へ入りましょう」
リュックからライトを取り出し立ち上がるとスイッチを入れた。
舞の方に軽く頷くと先に歩き出す。
その後を追うように進んだ――
「ふうー」
ため息が漏れた。
運転席から兄がチラチラと様子を伺っている。
「疲れたんじゃないか?」
「え、ああ、何か楽しかったから、祭りの後みたいになってたかも」
「そうか、確かに楽しかったな」
兄は微笑んでいる。
「明日は午前中の用事が済んだらホテルでゆっくりしといたらどうだ?」
「そうだね、そうしよっかな」
舞は両手を上に挙げ伸びをした。
京一郎の話。
人の目には見えない物があるという事を抵抗がなく聞き入れられたのは理由がある。
親友の一人の彩也が共感覚という特殊な感覚を持っているからだ。
共感覚とは、ある一つの刺激に対して、通常の感覚だけでなく 異なる種類の感覚も自動的に生じる知覚現象をいう。
代表的な例として、文字に色を感じたり、音に色を感じたり、味や匂いに色や形を感じたりする。
複数の共感覚を持つ人もいれば、一種類しか持たない人もいる。
そして共感覚には様々なタイプがあり、これまでに150種類以上の共感覚が確認されているという。
彩也はその中の音楽に色や言葉を感じる共感覚を有している。
まだ、私達の目に見えていない何かがこの島にはあるのかもしれない……
お読み頂きありがとうございます。
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