門外不出
龍応は母屋の地下室に居た。
この空間は龍応がこの寺の住持になった際、寺の改修保全工事を毛利章子の主人、五郎が営む工務店に依頼した際に極秘で設営した場所だ。
八畳ほどの会議室の他に書庫を作ってもらた。
室温湿度管理が出来る六畳の空間。
それほど多くはない書物が棚に並んでいる。
その棚から一冊の題のない本を取り出した。
題はないのではなく原本は傷みが激しく判読できなかったのだ。
本の内容も欠損している部分が多くあり完全なものではないが、龍応が日数を要して複写したものだ。
座敷に戻るとそれに目を通し思考の旅に出た。
この本には龍応の疑問を解くカギがあるはずだ。
西龍寺は元々は麻霧山の山岳信仰に由来する。
その昔には磐座もあったようで、天災によって壊れたその欠片が、赤い社に収められている。
夕凪島の最高峰こそ星ヶ城山に譲るが、ここは気のエネルギーが集約する場所であり、古代の人々はそれを感知する能力があったということだ。
というか現代に生きる我々は、利便と引き換えに本来ある能力を失っているだけなのだろう。
全てを否定するわけではないが、人間本来が持つ能力の一端は古武術やヨーガ等を行うと思考の一つ、体の動かし方一つで重いと思っている物が持てたり、いくら歩いても疲れなかったりする。
そして気を感知するのか霊性を感知するのか。
何かを感じて、この寺に足を運ぶ者は少なくない。
麻霧山も多分に漏れず女人禁制を敷いていた時期もあった。
今思うに、巫女を近づかせない為に、もしくは霊性を持った女性を近づけないという様な意図があったのかもしれない。
弘法大師、空海が夕凪島に霊場を開いたのには意味がある。
気やエネルギーを感知されていたことは言うまでもないが、この島の秘密を知ってしまわれたからである。
弘法大師が整備した夕凪島の山岳霊場は水源を守る側面はもちろんあるものの、元々は磐座を含めた山岳信仰に由来する、
起源をもっと遡ると磐座と呼ばれる物は通信施設でもあったようだ。
具体的には各地に置かれた磐座は光通信を行うための器官で、その中でも重要な地点は天にも通じていた。
そこで巫女が自身の能力を用い、神との交信を行い天啓を得ていたという。
古代の人々が光通信を行っていた。
そう知った時は、さすがに驚いたが、今の科学が発達したと云われている世の中でも未解明な事は山ほどある。
古代の人々が現代の人々より劣っていたと考えるのは傲慢であり、敬意に欠ける。
何せ、同じ人間なのだから。
お大師様の伝説が残る地にはその一端を垣間見れるような逸話も残る。
例えば尾道にある千光寺、境内中央の巨岩「玉の岩」は昔この岩の頂に如意宝珠があって、夜毎に海上を照らしていたという。
大阪交野の星田妙見宮、生駒山系の一角のあり磐座信仰が起源ともされ、弘法大師が同じ生駒山系にある獅子窟寺吉祥院の獅子の窟に入り、仏眼仏母の秘法を唱えられると、天上より七曜の星(北斗七星)が降り、三ヶ所に分かれて落ちた。
そのうちのひとつがこの地と言う。
後に弘法大師が赴き、自ら「三光清岩正身の妙見」と称され、「北辰妙見大悲菩薩独秀の霊岳」、「神仏の宝宅諸天善神影向来会の名山」として祀られたと伝わる。
この通信施設は夕凪島はもちろん、日本各地に置かれていたらしい。
それらは星読みや暦にも利用されていた形跡もあるという。
人が後世に今の歴史を残し伝えようとした時、それに伴う文明の利器が無くなってしまった場合、例えば電気を失ったとして、どのように残すか?
口伝か?
書物か?
自然の一部である物体に痕跡を残すのが後の世に存在を示す可能性が一番高いだろう。
別の口伝には水や岩に記録されているとの記述がある。
お大師様は八十八ヵ所を作り上げ、大地のエネルギーと人々の祈りや願いのエネルギーを糧とする結界を張った訳だ。
万が一の事を思案して神宝が秘されている場所を示すような地形になっていたここにメッセージを残したのであろう。
そう西龍寺の境内は夕凪島の重要な結界を示す地図になっている。
境内の楠は宝樹院のシンパクとして目印となし。
龍水の湧水と滝が銚子の滝。
麻霧山は西龍寺。
護摩堂の裏手の行場の岩場は寒霞渓の二見岩。
そして眼前に臨む瀬戸内海はかつてあった名もなき神社。
これらが神宝が隠された場所を暗示している。
さらに龍応自身が手入れをした母屋の中庭は天の道を開くと云われる龍の口への道標を表している。
それは天との交信の場所だ。
これを知るのは龍応を含めて五人のみである。
ただそれがどのように機能するのかのか迄は記されていない。
もし香の母、幸から聞いた話が本当であれば姫巫女様、即ち香さんはこの世に降臨した双神の一人である可能性が極めて高い。
題のない本を広げ座敷で一人読書に耽っている。
麦茶を一口飲み、一息つく。
神話の殆どは虚構で帰属した渡来人と呼ばれる元日本人が先住の日本人と混交するまでの物語。
古代縄文人の首領は巫女、即ち女性であった。
神と交信する巫女は日本各地に存在した。
その女性たちを代々の天皇の后として元日本人と日本人の混交が行われた。
血縁を結び血を濃くしていったのが日本人の象徴たる天皇という訳だ。
ちなみに古代の地域に降臨した神というのは、その巫女を通して顕現した存在のことを指す。
それが地域を束ね、男たちは神である巫女を守った。
人が自然の一部であると理解していた人々は、巫女=神と同様に、万象に神宿る事まさにそれで植物や動物、水源を生む山や川、海を神と同等に畏敬した。
コミュニティが広がるに連れて、やがて大陸から帰還した人々との全国的な混交が始まり、闘争が始まり、記憶と記録が薄れたころ古事記が作られることになった。
権力闘争の末に時の政権の簒奪を正当な物であると辻褄を合わせたものだからだ。
大概歴史書と云うものは前代の政権や人物の批判を行い自らの正当性を誇示するために作ったものだ。
全てが虚構ではないのも確かだから紐解く者としては、はなはだ困ることとなる。
唯一言えることは古より続く皇統は守られているその一点だろう。
その後の歴史は天皇の権威、特別な力にすがる為、侍へつらう者は血縁を望んだ。
全てを受容することで皇統は存続し血統、血脈を維持することは未来永劫続くであろう。
天皇に男子が多いのもそれを意味する。血を残す種を残す。
ただ、面白いのは純粋な巫女の血筋も各地に残っていること。
古の叡智の畏怖たるところだ。
ちなみに有名な昔話の物語にも巫女の存在を比喩を用いて表現されているという。
古代のあらゆる地域にいた巫女は、今で言う所の神の名を代々名乗った。
それは変転して国産みや島産みとなって僅かに残っている。
我が故郷の偉大なる神、巫女の血筋は残っている。
双子の巫女は礎となりその子孫は天皇と結んだ、その時の神も双子で姉が天皇家に嫁いだようだ。
姉の血筋の女系も残っていたと記されているが、数代後に皇室を離れ、ある豪族(厚東氏)に庇護されたが、その豪族の滅亡と共に消息は掴めないとされている。
伝える所によると要の時節に、この血筋は双子が生まれるようだ。
一方は夕凪島に残り人々に崇められ地域に安寧をもたらす術を神と交信し人々に与えた。
本の締めくくりは曰く有り気な一説だ。
双神の巫女が世に現れるとき巫女の魂が天に舞い道を示される。
龍に呑まれし双神よ陰陽が示し六つ連の御宝輝きし時、空の舞台にて舞祈る。
あかときに神の魂は輪廻へ戻り人々へ愛を醒ますそれこそが覚醒の時。
これを書き写している時、一抹の不安がよぎったのを思い出した。
「ふー」
龍応は本を閉じると、眼鏡を外して目頭を押さえた。
「難しいもんだ……」
香は巫女の血を引いている。
これは間違いない。
今現在、自分の知る限り巫女は一人だけだ。
ただ双神とある、もう一人存在するということだろう。
天皇家に嫁いだ系統は途切れていて探すとなると雲を掴むような話だ。
しかし覚醒とは何を意味するのだろうか?
覚醒の意味が良くも悪くもとれる。
もし覚醒したとして何故今なのか?
龍応の頭には自然と一人の女性の顔が浮かんだ。
彼女は本当に巫女の能力がないのだろうか?
「龍応様、お食事の用意が整いました」
居間の方から女性の声がする。
襖が開いて女性が入ってきた。
「ああ、ありがとう、今行きます」
龍応は本を閉じて、立ち上がった。
「あ、龍応様……その本……」
女性は本を見て何か言いたげな顔をしている。
「ああ、何か書いてあるのですか?」
龍応は何かを感じ取った。
「いいえ……何も」
女性はそう言いつつも視線は本を捉えていた。
「そうですか」
龍応は微笑んで語りかけた。
「まあ、内容が気になるなら読んでみるといい……」
「はあ……」
「そうそう、何か思い出したことはありますか?」
女性は首を横に振り、白いハンカチで軽く額を拭うと会釈をして下がっていった。
「覚醒。神との交信か」
龍応は独り言を呟いた。
その時、電話が鳴った。
女性が応対をしている。
「少々お待ちください」
「ありがとう、代わりますよ」
女性から受話器を貰い話しかけた。
「もしもし不破ですが」
通話口からは想定外の声が聞こえて来た。
「あなたでしたか……はい……今から?」
「なるほど。分かりました、お待ちしています」
龍応は受話器を置いて、ゆっくり息を吐くと、受話器を取り電話を掛けた。
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