秘伝
龍応は居間のパソコンデスクで日記を記している。
先程、幸から驚くべき報告を受けた。
行方不明の彼の妹が香の力で帰ってきたというのだ。
確かにその時分。
三井津岬の方が一瞬、微かに明るくなったのを護摩堂から見た気がした。
結界を破ることなく助け出せるとは、どういうことなのか?
香の能力は巫女のそれを逸脱しているようにも感じる。
昼間、奥座敷で香が舞と話をしている最中の彼女は白目を剥き半目で、じっと固まったままで動かない。
触れてはいけない波動を感じた。
龍応は日記帳を閉じると地下室の書庫へ向かった。
途端にスマホが鳴る。
『もしもし、今よろしいですか?』
彼の言葉からは珍しく焦りを感じた。
「かまいませんが、定時連絡以外にかけてくるからには急用でしょう」
『ご明察、例の彼女ですが、失踪に息子が絡んでいるかもしれません』
「というと」
『長男の京一郎が失踪直前まで行動を共にしていた可能性があります。目撃者がいるので情報の信憑性はあると判断しています。私の不徳です。申し訳ありません』
「それはいいとしてご子息は?」
『昨日、家を出たきりのようで、親に似たのでしょう放蕩しているようで』
「なるほど、ですがその彼女は無事ですよ。たった今、姫巫女様の母上から連絡がありました」
『なんですと、それでは結界が崩れたと……』
衝撃を受けたのだろう言葉が尻すぼみになっていた。
「いや、それはないようです。どうやら、姫巫女様のお力のようです」
『なんと……!』
「一応、ご子息には事情を聴かねばなりますまい」
『はい』
「あなたは今まで通りの任務を遂行してください。ご子息の調査は他の者に依頼します」
『わかりました』
電話を終えるとため息をつき電話を掛ける。
しかしどういうことなのだろう?
川勝京一郎に会えば話は済むことであるが……
手にしたスマホで電話を掛ける。
「こんばんは」
「一つ依頼があります」
「川勝京一郎の消息を追ってください」
「そうです」
「詳細は後日追ってお話しします」
電話を終えると地下室の書庫へ向かった。
古伝の記述を確認する必要があるからだった。
書庫から一冊の本を持って居間へ戻ってきた。
この本も原本を龍応が書き直したものだ。
原本と伝わるその本も江戸時代、ご先祖様がその時の原本を書き直したものだと伝わっている。
そうして代々受け継がれてきた本だ。
『伝』と表紙に銘打たれたこの本は門外不出とされている。
序
本来、神とは高天の魂なり、宇宙の命というものなり、人は現世しか見えず、常世は魂には見える。
人の世の神と呼ばれる者は高天の魂と繋がり英知を教授された者なり。
教授をされし者、世に人々を導く務めを果たす。
人間を作り給う高天の魂は遥か彼方のすまるより来たれり。
すまるのみこと、これ即ち天皇と同義である。
*注釈・初代天皇は神武に非ず、それより以前から皇統は続いていると心得よ
一
人の世の母なるは水なり、人は仕組みの一部である事、忘れまじき。
人の母なるは女、女は命を繋ぐものなり、それは人の世の神たる所以なり。
この島にも人の世の神あり、その祖たるは双神と伝われり。
*水は母なる記憶、岩は大地の記憶を持つと伝えられし、それを読み解く術は有りや無きや。
*文明が栄えたとて、先人には遠く及ぶまい、敬う事忘るることなかれ。
二
高天の魂、祖神に宝物を下す。
遥けき彼方に伝え給う。面妖な仕組み施せりと伝わりし。
三
祖神に侍りし人の子の五つの族あり、我ら神を守らんと欲す。
人の世の神大いに喜びて御名を給うと伝わりし。
四
双神の片割れ輪廻の仕組みを外されし神。
所以人の子に禁忌なる英知を授け給う。
人の子人の欲、乱れを呼び醜き争いを生まれ、愚かの骨頂極まれり、人の子その名を記すのも汚らわしい。
五
スサなる人の世の神の子訪れ交われり、吉備に赴き島を離れたる。
六
シキツヒコに人の世の神。
姉嫁すと伝われり。
*伝わりし勾玉は島に残されしと伝わる。
七
ホムタ、島に訪れ島の祖神を奉ると伝わる。
*難波への帰路に立ち寄りしと相伝わる。
八
秦何某、高貴なる人の子を連れ島を訪れたり、人の世の神これを労り隠す。
*恐らくは、厩戸皇子の末と心得たり。
九
空海、夕凪島に星の波動集まりし山を探す。
その一つ麻霧山に至れりは、輪廻の仕組みを外されし神の残魂と巡り合いし、空海哀れみて残魂に留まれる空間を創り給う。
神の残魂おおいに感謝し、英知の仕組みの一端を授けたもう。
十
空海、先の行い感じいる所大いにありて、例に倣いて八十八ヵ所霊験の地を巡らし島の安寧平穏を祈祷する。
十一
平何某、山中に逃げ落ち名を変え住み着きたる。
そこで、本を閉じた。
この島の巫女は要は神の子という事になる。
写本をしていた時にまさかとは思っていたが。
香のそれは幸のものとは明らかに違う。
もう一度書庫を読み漁るしかない。
龍応は本を手に居間を出て行った。
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