岬を目指して
舞は民家らしき建物の外で正面の大きな山を見ていた。
あの山は何処の山だろう?
頭の中に夕凪島の地図を思い浮かべるも、全く見当がつかない。
持っている物といえばポシェットだけ。
中にはカードケースとティッシュが入っている。
役に立ちそうなものはない。
「あれ?」
カードケースの中身を見ると、手帳か何かを破った紙切れが畳んで入っていた。
それを抜き出し広げて見ると、
『舞さん、ありがとう。私の事、忘れないでね 風子』
可愛らしい右肩上がりの文字が踊っている。
風子……誰だろう?
珍しい名前だから知り合いだったら覚えているけど。
いま考えても仕方ないか。
舞はそれを畳んで仕舞う。
「とりあえず、三井津岬に行ってみよう」
振り返り、民家の縁側と思しき所から靴を脱いで家の中に入った。
「お邪魔しまーす」
人の気配はないけれど、生活の匂いはする。
家は板張りの床が地面より高い位置にある掘立柱の様式。
緊張していたのか不安があったのか。
もしくは、この空間のせいなのか。
今まで空腹を感じることはなかった。
だけれど今は、ぐーぐーとなるお腹。
まずは腹ごしらえと考えて食材を探した。
空間の半分ほどは地面がむき出しいたので、急いで縁側に戻り靴を取ってきた。
木で作られた棚に穀類や瓜等の野菜や、小豆等の豆類が入っている土器が置かれていた。
博物館で見たような石で囲んだ炉があって薪がくべてある。
その上に置いてある土器の蓋を開けると、湯気と共に炊き上がったばかりのご飯の良い匂いがした。
「都合がいいな」
他に何かないか探していると。
壁に沿って並べてある甕の中に、水や野菜や果物を漬けた物が入っていた。
「誰だか知らないけどありがとう」
甕の中から梅干しらしき見た目の物を四つばかり拝借する。
それを具に、おにぎりを四つ作り腹ごしらえした。
二つは、道中で食べれるように、棚の上にあった笹の葉と組紐で包んだ。
「出来た」
ついでに別の組紐で髪を後ろでまとめる。
民家から出て、目的地を目指す。
空は澄み渡って雲一つない。
民家の周りの田んぼでは稲が植えてあり、カエルの鳴き声が聞こえる。
斜面に作られた段々畑ならぬ、段々田んぼ、いわゆる棚田だ。
アメンボがのびのびと青空を映した水面を滑っていた。
水路沿いの坂道を下っていく。
「この水路を滑れたらいいのにな」
川のせせらぐ音が聞こえた。
視線の先に見えた小川に水路は注いでいる。
民家から見えた正面の山の裾野に沿って右の方へ流れていた。
川幅は3メートル位。
透明な水で川底が見える。
向こう岸へ渡るか迷ったが、あぜ道が川沿いに伸びていたので、そのまま進むことにした。
対岸に咲く紫陽花が淡い青色の花を咲かせ、緑の木々の合間を彩っていた。
この川と一緒に行けば海に出る。
ちゃぽん。
魚が飛び跳ねた。
右側には一面、田んぼが広がっている。
数件の民家が見えるが人影はない。
どうやらこの一帯は山に囲まれた盆地のようだった。
川のせせらぎを音楽代わりにテンポをとって歩く。
「香さんって、どんな人だろう? 巫女さんかぁ、羨ましい」
笑い声に小鳥が数羽飛び立った。
「あ、ごめんね」
その行くへを目で追った。
正面の山の一角、頂上あたりがキラリと光っている。
「なんだろう?」
風の音、水の音、すべてが心地良い。
蝶々や蜂が花に止まって食事をしている。
「そういえば、お兄ちゃんはどうやって会話ができたんだろう? 本当にお兄ちゃんも巫女だったり?」
一人で声に出して笑う。
舞は迷い込んだこの世界を今は怖いとは感じなかった。
最初は真っ暗で、気が付くと様々な場所にいた。
誰もいない空間で孤独と恐怖に苛まれていた。
しかし、香や兄と会話ができたこと。
特に香と会話して以降、場所が変わることがなくなり、そのお陰で心は大分落ち着いた。
草木や花、土の匂いがする、この場所が好きとさえ思えてきている。
右から流れて来た川と合流する。
その川幅が大きい方が本流のようだった。
共に歩いてきた川の方が幅が狭いので向こう岸へと渡ることにした。
靴と靴下を脱いで、慎重に川の中へ足を踏み入れた。
「気持ちいい」
思ったより冷たい。
けど、汗ばんだ肌にはちょうどいいくらい。
ふくらはぎくらいの深さの川の流れは緩やかで、舞の足を優しく撫でていく。パシャパシャと跳ねる水しぶきが心地いい。
ゆっくり進んで川を渡り切る。
足の裏の汚れを川でゆすいで靴下で足を拭いた。
素足で靴を履いて靴下を川で洗い絞って手に持って歩き出す。
「よし、乾くでしょ」
木々が影を作ってくれてはいるが、正面から注ぐ陽射しに、じわじわと汗が噴き出してくる。来ていて少し汗ばんでくる。
川はサラサラと流れ。
時折吹く風にザワザワと山が揺れ。
蝶やトンボがユラユラと漂っている。
「フフフ」
なんか嬉しくて笑った。
そうこう歩いていると対岸の山が迫ってきて谷のように切り立った断崖になっていく。
本流の向こう側に渡らなくて正解だった。
腰掛けられそうな岩があったので休むことにした。
絵美や彩也は元気にしてるかな?
みんなに見せてあげたいな。
対岸の崖には藤の花が点在していた。
風の通り道らしくサーッと吹き抜ける度に散った花びらがハラハラと水面に落ち流れていく。
しばらくの間ぼんやりと眺めていた。
歩きはじめてどのくらい歩いたのか、距離も時間も分からない。
けれど、恐怖も不安もない。
「よし、行くか」
舞は立ち上がると、体を伸ばして歩き始める。
100メートル程続いた対岸の断崖は徐々になくなり、山は少しずつ奥へと裾野を広げていた。
やはり田んぼがあり、民家が集落を作って立ち並んでいる。
そのはるか先に大きな木がそびえているのが見えた。
「シンパク……かな?」
興奮した気持ちを抑え、ゆっくりと川沿いを歩く。
こちら側はずっと山の裾野だが川幅は徐々に広がってきていた。
水は清らかさを保っていて、水深も深くなったようだが底が見える。
「やっぱり」
シンパクだと確信したのは、その背後の見覚えのある山の形。
きっと、皇踏山。
「あれ? 二本あるね……」
片方のが背が高い。
もう一本はその半分にも満たない。
周辺一帯には家屋も並んでいる。
ピチャン魚が飛び跳ねた。
ようでと音がした。
夕凪島の地図を頭の中に描いてみる。
「シンパクなら……もうすぐ海のはず」
風に乗って運ばれた微かな潮の匂いを嗅いで確証する。
「頑張れ」
そう気合を入れて立ち上がる。
そして、シンパクに向かい手を合わせ、再び歩き始めた。
川幅はかなり広くなり、中州がいくつも出来ていた。
そこにはたくさんの海鳥が羽を休めていた。
頭の中の地図が合っていれば、ずっと歩いてきた裾野の山は麻霧山。
この先に富丘八幡神社があるはず。
潮騒の音がして海が見えてきた。
視線の先、左前方に突き出た半島のような小さな山がある。
麻霧山と小さな山との間に道が上へと伸びていた。
「たぶん、小さな山は富丘八幡神社のはずだから……」
この坂道を上って峠を越えて海沿いに進めば、瀬田町へ行ける。
なかなかの急峻な坂道で岩が所々剝きだしているしている。
道がなだらかになった所で斜面に腰を下ろした。
ちょろちょろと小さな滝があって、峠の向こうに一筋の水流となって下っていた。
「お水ありがとうございます」
舞は滝の水を手ですくいのどを潤した。
その脇の石に腰掛けておにぎりを食べる。
梅干しの酸っぱさが美味しい。
見たことがない青い鳥が水を飲みにきていた。
太陽は少しずつ傾いてきたようだった。
「明るいうちに着くかな……」
斧霧を食べ終わり今度は道を下っていく。
すると目の前に砂浜が広がった。
風磯の香りと波の音を運んできて心地良い。
誘われるように波打ち際を歩く。
「気持ちいい」
砂浜は程なくなくなり、また峠越えの坂道が見えてきた。
「あぁ、またか……」
ただ、先ほどの峠より傾斜は緩やかで上り切った所からほぼ平坦な場所を進む。
右手には浜。
左手には数件の民家と畑。
途中小川が一本流れていたが、幅は狭く三歩位で渡れた。
川沿いの一角には鮮やかな紫色の桔梗の花が咲いている。
確か昔は薬草だったんだよね、そう思い起こしながら、
「萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 姫部志 また藤袴 朝貌の花」
リズムを取りながら口ずさんだ。
山上憶良が詠んだ万葉集にある歌で、最後の朝貌は『朝顔』ではなく桔梗の事を指しているという。
ふと山に目をやると麻霧山の一角がキラッと光っていた。
手をかざし見てみる。
「西龍寺がある辺りかな……という事は……三井津岬までもう少し!」
海沿いには黄色い花が群生していた。
黄昏に染まる空や海と相まって形容しがたい美しさ。
蝶々が黄色い花の上をたくさん舞っていてお伽噺のような世界だった。
近くに咲いているその花をしゃがんでみて見る。
「ハイビスカスかな?」
テントウムシがその花びらに止まった。
「ごはんですか、ごゆっくり」
そーっと、立ち上がり歩き始めた。
長い坂道を登っていく。
これが最後の峠。
麻霧山を見上げると、やっぱり西龍寺のある辺りがキラッと光っている。
「なんだろう?」
そういえば途中にも山の一角が光っている場所があった。
考えながら歩くもさっぱり分からない、もう少しで峠の頂上だ。
「頑張れ舞」
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