分からないまま
真一郎は風呂から出ると、冷蔵庫の中のペットボトルを取り出して、二階の自分の部屋に向かった。
部屋の鍵を閉めて電気をつける。
パソコンデスクの椅子に腰かけて水を一口飲む。
スマホを手に取り父に電話を掛けるが当たり前のように繋がらない。
夕方から何回もかけているが結果は同じ。
神舞を見た後、父から貰った冊子を改めて読み直した。
これだけを読んでみると結界は実在するのだと思えてくる。
ただ、父が言った香を気にかけて守れとは、何が通じるのかは分からない。
結界について調べていると一つ気になるワードが出てきた。
それは。
神隠しか……
パソコンで検索する。
神隠しとは――
ある日忽然と人がいなくなる現象で。
日本の伝承や物語などで、多くの場合は行方不明者は神域に消えたと考えられていた。
縄文時代以前から、日本の神や霊魂の存在が信じられており。
神奈備や神籬や磐座・磐境は、神域(常世・幽世)と現世(人の生きる現実世界)の端境と考えられている。
禍福をもたらす神霊が、簡単に行き来できないように、結界としての注連縄が張られたり禁足地になっていた。
これは人も同様であり、間違って死後の世界でもある神域に入らないようにと考えられていたからである。
神域は自然の環境が移り変わる場所だけでなく。
逢魔時や丑三つ時のように。
一日の時刻にも、その神域へ誘う端境であると考えられた。
そしてこれらが時代を経るにしたがい。
神籬や磐境だけでなく。
道の形状が特徴的な峰や峠や坂。
時には人の作った橋や村境や町境などの門や集落の境界。
道の交差する辻などにまでおよんだ。
さらに時代が進むと、伝統的な日本家屋の道と敷地の間の垣根。
屋外にあった便所や納戸や蔵。
住居と外部を仕切る雨戸や障子なども、常世と現世の端境と考えられ、神域へ誘う場所とされた。
結界はこのため現世と常世を簡単に往来できぬように。
注連縄だけでなく御幣や節分での『鰯の魔除け』などが結界として設けられた。
お盆にホオズキを飾るのも常世へ旅立った祖霊(先祖の霊)や精霊が、現世に迷わず辿り着けるようにと、気遣って設けられた『道を照らす鬼火の灯』に例えたものである。
道標はもともとは、『道に迷わないよう』にと作られたもの。
『集落に禍が及ばないよう』
『まちがって神域に入らないよう』
にとの思いからの結界でもある。
同時に旅や道すがらの安全を願って建立された塚。
それに類する石造りの像。
今日でも信仰され路傍にひっそりと佇んでいる。
下記のような類例がある。
道祖神、地蔵、庚申塚 、祠 、一里塚。
「こんなの…」
真一郎は思わず苦笑した。
神奈川にいたころは気が付かなかっただけかもしれない。
それに、地蔵や祠を街中で見ることはなかった。
夕凪島に来て神社仏閣はもちろん。
地蔵や祠なんてそこら中にある。
田舎はどこもそうなのかもしれないけど……
パソコンを触っていると、ネットのニュースには早くも神舞が取り上げられていた。
夕凪島で伝統行事の『神舞』行われる。
そんな見出しで巫女装束の香と美樹が、神舞を舞っているシーンの写真が掲載されていた。
二人は美しく、神々しささえあった。
「どうしたらいい……」
真一郎は、そう言いながら電話をかけていた。
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