神舞《かまい》
瀬田神社の境内は神舞の始まる時間が迫るに連れ人が溢れてきている。
空も薄暗くなってきて宵の明星が西の空に輝いていた。
社務所から烏帽子を被り直垂、袴に身を包んだ数人の男女が楽器を手に出てきてお堂に上がって行く。
さらに神社関係の人々が、ぞろぞろと出てきた。
そして、お堂の階段から楼門の方へ、参道を挟む感じで等間隔で並び立った。
啓助がいる社務所脇の辺りからは、お堂を斜め正面から見ることが出来る。
お堂の床面が高いお陰で鑑賞するには十分。
神舞のパンフレットに目を通してみる。
これから、巫女装束を着た二人が参道から舞台へ進み、舞いを披露する。
舞が終わった後、巫女が人々に幸福の勾玉の形をした飴を分け与える。
神舞は口伝で伝わっていたものを江戸時代の初め頃に整備し現在に至る。
巫女舞の説明も記載されていた。
巫女舞の原点は、降神巫による神がかりの儀式にあったといわれている。
舞を舞う巫女に神が憑依して神託を下したという。
邪馬台国の卑弥呼が頭に浮かんだ。
『古事記』・『日本書紀』において天岩屋戸の前で舞ったとされる天鈿女命の故事にその原型があるとされている。
平安の頃の巫女に必要な四要素として『占い・神遊・寄絃・口寄』。
平安時代末期の藤原明衡は実際に目撃したという巫女の神遊(神楽)はまさしく神と舞い遊ぶ仙人のようだったと、自身の著書に記している。
中世以後各地の有力な神社で行われた巫女舞は、旧来の神がかり的要素に人々の祈願を加えて行われていたようだ。
また地方では修験者と巫女が結びついて、祈祷や鎮魂を目的とする民間習俗の色彩が濃い、新たな巫女舞も行われるようになったという。
1873年(明治6年)には、神霊の憑依などによって託宣を得る行為は教部省によって全面的に禁止された。
これは巫女禁断令と通称される。
巫女舞は神楽と舞楽に分類され、神楽は日本古来のもので、舞楽は中世以前に大陸から伝わっとされている。
神舞は神楽に属すがこの瀬田神社にのみ継承されているものだという。
境内に視線を戻すと来賓席も人が集まり始めている。
ふいに肩を叩かれた。
「いらしてたんですね」
声の主は、眼鏡であった。
「どうも」
「このお堂は寺院関連の建物とみなされたようで、明治の廃仏毀釈の影響で壊されてしまいましたが、平成に入ってから再建したんです。ここも昔は神宮寺でしたから」
「ほう……」
「そしたらまた」
片手を上げて来賓席の方へ歩いて行った。
知り合いが多いのか、挨拶をしながら自らもその一角に腰を下ろしていた。
隣には扇子を忙しなく動かしている達磨もいた。
眼鏡がこっちを手で指し示して達磨に何か話している。
達磨は立ちあがると、こちらへ扇子を仰ぎながら近づいてきた。
「こんばんは」
啓助が挨拶をすると、にこやかに笑う。
「やあ、どうもこんばんは」
扇いでいる扇子からいい匂いがする。
「そうそう、参考になるか分からないんだが、妹さんに関して思い出したことが会ってな」
「ほう」
「先週の祭の時に若い男の人と話をしておったのを見かけた。ただ、それだけなんですがね……そう、あの社務所の脇のベンチの所でね。話をしていた男性の顔は見れなかったんで、誰かも分からないんだわ」
達磨が指で示したベンチは、さっき揚げかまぼこを食べていた場所だった。
「そうですか。その時の妹の様子なんかは覚えていらっしゃいますか?」
「うーん、チラッと見ただけで」
視線を上げて唸っていたが、扇子を扇ぐ手が止まった。
「あぁ、二人で話しているのを見かけた10分ぐらい後だったと思いますが、妹さんは一人でベンチに座っておられましたな。これぐらいですかね」
「なるほど、妹の事を気かけて下さりありがとうございます」
「いやいや、ご無事を祈っとります」
達磨は会釈をすると、来賓席の方へ戻って行った。
その背中に向けて啓助は最敬礼をしてベンチを見つめる。
舞が座っている――
そこで見知らぬ男性と会話していた。
若い男性か。
その後も舞は一人で座っていた。
たまたま、その男性とここで会ったという事か?
達磨は話をしている所を見たというから、舞の性格からしてナンパの類ではないだろう。
きっと顔見知りの可能性は高い。
その人物は何か知っているのだろうか?
ただ、舞の足跡を追っていて関りがありそうな若い男性とは出会っていない。何か見落としているのか?
ドン。
お堂から太鼓の音が鳴り始めた。
時を同じくして楼門の方から歓声が上がった。
そこに目をやると巫女装束を身に纏った香と美樹が並んで参道を歩いている。
太鼓の音に合わせた歩みはゆっくり。
カメラのフラッシュが至る所から煌めいている。
やがてお堂に着くとゆったりとした動作で階段を上がっていた。
啓助は息を飲んだ。
香は長い髪を後ろに束ねている。
髪は短かったはずだから印象が違って見えた。
身に着けた装束も独特で、白地の上下に輝く金糸の刺繍が施されていて、淡い紫の千早を纏い、腰から白地に金糸の裳を引いている、
美樹も同じように髪を後ろに束ね、上は黒、袴は赤地に金糸の刺繍が施されたもの。
淡いピンクの千早を纏い、腰から黒地に金糸の裳を引いている。
巫女装束に身を纏い、薄化粧を施した二人は美しく、形容しがたい艶やかさを見せていた。
そして二人は髪留めを付けている。
二人は舞台の中央で立ち止まり手に持っていた扇を胸の前に広げて向かいあっている。
社殿を背に香が左側、美樹が右側だった。
啓助は自然とシャッターを切っていた。
太鼓の音がやむ、笛と笙の音が合図のようで二人同時に舞始めた。シンクロしているパートもあれば、二人の間の空間を基準に非対称なパートもある。
例えば、一人が右手を突き出したなら、一人は左手を出す。
一人が右手を突き出したなら、一人は右手を出す。
すべてが同時に行われる。
基本的に向かい合って舞うが四方八方を向く。
二人が向かい合う時、お互いの眼を見つめ何かを語り合っているような空気感があった。
とても美しく。
厳かだった。
和楽器の優雅で緩やかなメロディに合わせてゆっくりとした動作で舞う。
凄い……
二人は舞い続ける。
途中からメロディが転調し早くなると、舞も優雅さは保ちつつも躍動感が出てくる。
不協和音のような音も聞こえるがそれも不思議と心地良い。
一糸乱れぬとはこのことだろう。
この二人だからこそ出てくる魅力というところか。
終わりに近づいたのか、
一拍置いてメロディは穏やかにになる。
扇を仰ぐ仕草を上下に何回か行い。
そして扇を天に掲げた次の瞬間――
舞は終わった。
自然と歓声と拍手が沸いていた。
二人の巫女が、正面と社殿に向かってお辞儀をすると、神官らが箱を持って二人の傍に行き何か話している。
神官の一人が木箱の蓋を開け中身を見せるように箱を持った。
その神官は出で立ちが立派だから、この神社の宮司だろうか。
二人の巫女は舞台の階段の途中に並んで立ちその後ろに箱を持った宮司が立った。
再び笛と笙の音が響くと二人の巫女は箱の中から何かを取り出し境内に向かって何か投げ始めた。
「こっち、こっち」「わぁー」「キャー」と歓声が沸き両手を伸ばしそれを取ろうとする人々。
辺りを見回していた啓助の頬にそれは当たった。
それを拾いあげると厚手の和紙に念入りに包まれた勾玉の形をした飴であった。
二人の巫女を見ると満面の笑顔を浮かべて頭を下げている。
そして宮司を先頭に社務所へと引き上げていった。
境内にはまだ神舞の余韻が残っている。
言葉が出なかった。
観客の人々の熱気というか、感動というか、とても居心地の良い空間がここにはあった。
そんな気がした。
メインイベントが終わったにも関わらず境内には多くの人々が残っている。
啓助は境内脇の雑木林の中へ入った。ここなら雑踏から少し遮られる。
「神舞……か」
貰った飴玉を頬張ると香ばしく、独特の甘さが口いっぱいに広がる。
何故か懐かしさを覚えた。
社殿の裏山に上った満月が眩い輝きを放って境内を照らしている。
月も明るいんだな。
東京にいては感じられないその感覚に有難さを感じていた。
そして月に手を合わせ、舞の事を祈った。
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