真一郎の挑戦
真一郎は松寿庵の前で躊躇いながら右往左往している。
スマホの時間は10時丁度を表示している。
「こんにちは…」
思い切って入り口の扉を開けた。店内では香がテーブルを拭いていた。
「まだ、お店開いてないけど…」
不思議そうにこちらを見て作業を続ける。
「いらっしゃい、真ちゃん」
その声と共に奥の厨房から香の母親が小走りで近寄ってきた。
厨房には美樹もいて、母親の後を追って出てきて、香と並んでこっちを見ている。
「今日から、うちでアルバイトをしてくれる新人さん」
香の母親はニコニコ。
「よろしくお願いします」
真一郎は頭を下げる。
「え?」
「なんで?」
頭の上に二人の声がした。
「今日は昼だけの営業だから短いけど、まずは香、ちょっと教えてあげて、更衣室は男の人の部屋は狭いけど。今日は皿洗いをお願しよか」
香は私なの?
という感じで自身の顔を指さして首を傾げている。
「そしたら、真一郎こっち来て…」
手招きする香の後をついて行く。
厨房の奥にある更衣室へ案内された。
細長い窮屈な空間。
「着替えはロッカーの中にあるから、着替えたら厨房に来て」
「分かった」
いそいそと着替え厨房に戻ると、香は洗い場と物の置き場を説明してくれた。
そうこうしているうちに開店時間になる。
「お母さん、お店開けるよ」
「お願い」
香が扉を開け暖簾をかけている。
「いらっしゃいませ」
と声がして、さっそく客が数組入って来た。
香りは店内に戻ると注文を聞いて回っている。
「こら、真一郎、なに香のことぼーっと見とんねん」
美樹が菜箸を片手に握り、口を尖らせている。
「いや、なんかすごいなって……」
「ふーん。あんたは害はないと思うけど……」
目を細めて睨んでいる。
何か恨みでもあるんですか?
ゲームのデイリー手伝ってますやん。
「なんにもないよ」
「天ぷら定食二つとお子様定食二つ」
香の声が聞こえた。
美樹と香の母親は調理を始める。
「真一郎、お子様用の器、こっちに」
美樹に言われて器を持っていく。
茹であがった素麺を水で締めきれいに器によそっている。
続けて二つの大皿に素麺を盛り付けていた。
香の母親が天ぷら、小鉢の料理、汁物を。
美樹が素麺をそれぞれトレーにセットした。
「そうしたら真ちゃん、これ3番テーブルにお願い」
「了解です」
真一郎はトレーを受け取り客席に運ぶ。
次のオーダーが入り、美樹は厨房で素麺を茹で始めている。
香も一緒に配膳してくれた。
テーブル席には家族連れで男の子が二人いる。
「おまちどおさまです」
料理を並べると兄らしき子供が、
「おいしいそうやなぁ、おねえちゃん」
香に声をかけると、
「ありがとう、ゆっくり食べてね」
しゃがんで子供に笑いかけている。
その子が頷き割り箸を割った瞬間、トレーの上の器が傾き汁物がこぼれた。
「あ……」
子供の表情から笑顔が消えた。
「大丈夫?ちょっと待っててね」
香はカウンターから台布巾を片手に戻ってきた。
「ごめんなさい」
子供は、シュンとした顔している。
「大丈夫、気にしないで。あっこぼれたお汁は拭かないとね……」
「真一郎、新しい汁物、貰ってきて」
香は顔を寄せてくると耳元で囁いた。
真一郎は言われた通り、厨房から持ってきた新しい汁物が入った器を香に渡す。
「お待たせしました」
香が子供の前に器を置くと、子供はニコッリと香にお礼を言い食べ始めた。
両親もお礼を述べている。
香は笑顔を作りながら子供から目をそらさず見つめている。
「出来たよー」
厨房から美樹の声が聞こえる。
「真一郎、これ1番テーブル」
「了解」
「おまちどおさまです」
男性二人組の客だった。
料理の乗ったトレーを客の前に並べていく。
「美味しそうやなぁ」
年配の男性客は、向かいの若い男性に話し掛けているが、若い男性は黙ったまま、テーブルの上のノートパソコンをずらした。
そのスペースにトレーを置くと、ノートパソコンの上に置いてある冊子が目に入った。
あれ?
父から貰った物に似てる。
「真一郎、これ5番テーブルにお願い」
美樹の声で我に返る。
「ごゆっくりどうぞ……了解」
はいはい、ちょっと待ってくださいね。
トレーに料理を載せて客席へ運ぶ。何となく配膳のリズムが分かってきた。
5番テーブルは女性二人組の観光客のようだ。
「おまちどおさまです」
声をかけトレーを置くと、
「お腹空いたー、美味しそう」
それを目の前にした短い髪の女性が言うと、向かいの席の女性も頷いていて、スマホで写真を撮りだした。
SNSにアップするのだろうか。
「真ちゃん、こっちお願い」
香の母の声がして、厨房に戻り皿洗いをする。
みんな完食だ。自然と顔が綻んでいた。
「なに、ニヤニヤしとん……」
正面で作業している美樹がジーとした目で見つめている。
「いや、お客さんが残さず食べてくれてるのが、なんか嬉しかった」
美樹はただでさえ大きな目を一層見開いて、何故か驚いているようだ。
「ただのゲームオタクかと思ってたけど……」
「美樹だってゲームオタクやんか」
真一郎はむきになって切り返す。
ただ、方言が伝染している。
「山菜定食と天ぷら定食お願い」
香の声が厨房に響いた。
「はーい」
日曜日だけあって、昼からの店内は満席だった。
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