母
香は美樹と一緒に家に戻ってきた。
母は厨房で仕込みをしている最中だった。
「おばちゃん、おはようさん」
「あぁ、美樹ちゃん、おはよう」
母は美樹が声を掛けるとその手を休め、こちらを見て微笑み返した。
「あれ、毛利さんは?」
「今日も急用が出来たんやて」
「そうなん……」
「じゃあ、うちも手伝う」
「ありがとうね、そしたら新人さんに教えてあげて。10時頃には来ると思うから」
香と美樹は立ち止まり顔を見合わせる。
アルバイトの事は初耳だった。
「新人さん雇ったん?」
「そうやで」
母は顔の脇で人差し指を左右に振りながらニヤニヤしている。
ボーっとその姿を見ていると、美樹に袖口を摘ままれて更衣室へ連れていかれた。
「そんなことより、おばちゃんに……バイトさん来たら話せんやろ?」
小声で囁く美樹。
「そうやね」
下をペロッと出して肩をすくめた。
「香、深呼吸やで」
美樹は香の両肩をトントンと軽く叩いて、大きく息を吐いて吸って見せた。
着替えを済ませて更衣室から出る。
「母さんちょっといい……」
母に手招きをして、客席の方へ呼んだ。
「ん? どうしたん」
振り返った母は、香の顔を見るなり、
「ちょっと、待っててなぁ」
片手を少し上げて優しく微笑んだ。
香は美樹と並んで席に腰かけて母を待った。
膝の上に置いた手に美樹の左手がそっと重ねられる。
ニッコリ笑う美樹を見て香は、もう一度、深呼吸をした。
「何だい?」
母は香の正面に腰掛ける。
「あんな、美樹に夢のこと話した……」
隣で美樹は頷いている。
「そうか、そうやな、あんたら二人は姉妹のようなもんやもんなぁ」
二人を見比べしみじみ言う母に、
「母さん、あんな、私……」
香はさすがに言葉が詰まってしまった。
美樹の手がポンポンと軽く手の甲を叩く。
白い歯を見せ笑った美樹は、目を閉じて大きく頷いた。
「私、母さんの夢見てしまったん…」
母は表情を変えずに、少し身を反らせた。
「どんな夢だったん?」
口調は穏やかなまま。
香は夢の光景を母に説明した。
話を聞いている母は、一瞬驚きの表情を見せたが、何かに納得したのか少し頷いている。
「そうか、やからここんとこいつも以上に……ううん。香、ありがとうな、そやけどその夢は不吉な夢なんかな?」
「?」
母の言ってる意味がよく分からなくて小首を傾げる香。
「母さんが香に謝ってるんやろ? だったら、夢はそのままの夢。香は父さんの夢のことがあるから、悪い方へと考えてしまうのかもしれん。それは仕方のないことやけど、全部が全部、悲しい出来事ばかりじゃないやろ?」
「うん……」
「母さんを気にかけて心配してくれて嬉しい。けど、それで香が苦しくなるのは母さんは辛いなぁ……でも、話してくれてありがとうな香」
母は立ち上がると、香と美樹の後ろに回り込み、二人を背中から抱き締めてきた。
「私は、香も美樹ちゃんも大好きや、二人ともありがとう」
そして、母は二人の肩を叩くと陽気な声で、
「仕込み手伝ってな、もうすぐ10時や」
厨房へと歩いて行った。
「任せといて」
涙目の美樹が威勢よく言う。
「私も…」
香は言葉が滲んだ。
母に抱き着かれた時、とても暖かく安心感が湧いてきた。
完全に不安が払拭された訳ではなかったけど、数日抱えていたモヤモヤを口にしたことによって、幾らか心の中が軽くなったのに違いはなかった。
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