驚き
美樹はいつもより早く目が覚めた。
休みの日は、よっぽでない限り9時頃までぐっすり寝る。
パジャマのまま一階へ降りると、父と母は、まだ休んでいるようだった。
キッチンでトーストを作り牛乳を飲んだ。
『香と約束があるから行ってくる』
テーブルにメモを書き残して部屋に戻り身支度をした。
今日は神舞がある。
普段は楽な恰好が好きだが、少しだけましな服を選んでみる。
Tシャツにデニムのスカートを履いて鏡を見る。
「ま、ええんやない」
一人納得して、髪をとかし一つに後ろでまとめると、ショルダーバッグを手にして部屋を出た。
「行ってきます……」
小声でとドアを開け外に出ると蝉の声が一斉に響いてきた。
「今日もきれいやね」
玄関先の花に声をかけて、自転車に跨り坂道を下る。
頬を撫でる風が心地よくペダルから足を離して駆け抜ける。
坂道が終わる所の十字路を右に曲がって潮風公園を目指した。
潮風公園に着くと、奥の防波堤まで自転車を降りて進む。
楢の木の下のベンチの周りで雀が数匹囀っている。
その脇で制服姿の女の子が猫の頭を撫でていた。
こちらを向くと不思議そうな顔をして首を傾げている。
美樹が微笑んで手を振るとニコッと笑い猫に話しかけているようだった。
自分の方が早いと思っていたがグレーのパーカーを着た香が背中を向けて防波堤に座っていた。
「おはようさん」
ぴくっと背筋を伸ばした香は振り返り、
「おはよう」
いつものえくぼを見せてほほ笑んだ。
美樹は防波堤の傍にある香の自転車の横に並べて止めた。
香の自転車のサドルに止まっていた蝶が羽を広げて飛んで行った。
ああ、ビックリさせてしもうた……
美樹は防波堤に上り香の隣に腰掛ける。
ザザー、ザザー。
海はいつものように凪いでいて、波の音が心地よい。
「今日やね神舞~ドキドキする」
美樹は足をフラフラさせながらは言った。
「そうやね……」
「うちと香なら平気やけどな」
美樹は香が話し出すタイミングを待っていた。
ザザー、ザザー。
浜に寄せては返す波の音が時を刻む。
昨夜遅くに香からメッセージが来た。
『明日、話があるん。朝いつもの所に来てくれん?』
『ええよ、そしたら何時?』
『8時でどう?早い?』
『かまわんよ、そしたら8時にいつもの所で』
『ありがとう、おやすみ』
『おやすみさん』
ザザー、ザザー。
「ふうー」
香は深呼吸してこちらを向いた。
美樹は笑顔で見つめ返す。
「あんな美樹、変な話するけど……信じてくれる?」
「うちは香を信じてる。香がうちを信じてくれてるんと同じように」
真剣な香の眼差しにキチンと答えた。
香は視線を逸らさずに一言一句を受け止めているようだった。
「ありがとう……私な、変な夢を見るん……予知夢っていうみたいだけど……」
美樹は分からないながらも納得した。
香はたまに心ここにあらずみたいな状態になることがある。
きっとそれを見た時そうなっていたんやそう思った。
大概、それは数日続き、少しづつ普段の香に戻っていく。
ザザー、ザザー。
「そうなんね」
「うん、最初に見たのはお父さんが亡くなる夢で……そん時は予知夢、なんて思ってなかったんだけど……」
海を見つめたまま、言葉に咽んでいる香。
美樹は香の手を握って、肩に手を添える。
「我慢せんで、ええよ」
香は小さく頷いてポツリポツリと話し出した。
「それから、年に何回か見るようになって……こないだの夢、おかあさんの夢だったん……」
「え?」
「母さんが泣きながら、私に謝るん……ごめんね香……ごめんねって……だから、怖くて……」
途切れ途切れの言葉の合間に、香は鼻をすする。
つないだ手に力がこもる。
「その夢は現実に起きたん?」
香は首を振って顔を上げた。
「それにな、こないだの髪留めの人……」
意外な人物に少し驚き、人当たりのよさそうな彼の顔が頭に浮かんだ。
「……えーと、早川啓助さんのこと?」
香は頷きながら言葉を続けた。
「きっと、あの人妹さんを探してるん」
「え? でも、妹さん東京にいるって……」
「あの日、交番に向かってる時、夢なのか分からないんやけど、彼の声で「妹を探して」って声がして、そのあとに女性の顔が浮かんで「助けて」って……」
ザザー、ザザー。
あの時……
昨日、啓助と香と交番に髪留めを取りに行った時。
香が急におかしくなった。
半開きの目で白目を剥き小刻みに体が震えて。
美樹が香の体を揺すって、声をかけて、暫くして――
やっと香はパッと目を見開いた。
実際、香が死んでしまうんやないか。
そんな恐怖がわいたくらいだった。
「そして、写真を見せて貰ったやん……その顔が、妹さんやったん……」
さすがの美樹も驚いた。
でも、疑う気持ちは全く起きない。
漫画かアニメの世界の話のようだけど、香が嘘はつかないのは知っているから。
ザザー、ザザー。
「そんな、ことがあったんな」
「……でね、私のお母さんも夢を見るんて……お婆ちゃんも……代々の巫女の血筋なんやて……」
「はあ……」
終始驚く話ばかり。
遺伝でそうなるもんなんや。
香の母とは家族ぐるみの付き合いで仲良くしているけど、違和感を感じたことはない。
ただ、香のおばあちゃんは、普段は優しいけれど。
時折、真顔で漆黒の大きい瞳に見入られると、心の中を何かこう見透かされているような気がして、小さいながらに怖かった。
――そうだ。
香の瞳は怖くはない。
でも、おばあちゃんの瞳と同質。
いま、香の瞳を見つめていてそう感じた。
ザザー、ザザー。
「そうなんや」
「私、怖い…」
こちらを覗き込む香の頬には、涙が伝っている。
美樹はフェイスタオルを取り出し、香の手に握らせた。
涙を拭った香は空を見上げた。
「美樹……私どうしたらいいん?」
泣き笑いの横顔。
香は、おばちゃんも、あの人たちも悲しい目にあって欲しくない。
そう思ってるのは火を見るより明らか。
秘密を打ち明けて、今まで通り、一緒に居てくれるかという不安。
そして、能力と向き合う覚悟をしようとしている。
美樹は、そんな風に感じた。
ザザー、ザザー。
「おばちゃんに、おばちゃんの夢見たことは言うたん?」
香はゆっくり首を振る。
「そっか……」
「おかあさんは、あなたが力になりたいっと思ったら手伝ってあげなさいって」
美樹は空を見つめた。
風に乗る雲が陽射しを遮り、そしてまた日が差した。
「……香は助けたいんやろ、話を聞いた限り、夢の話って、悪い……良くない結果ばかりではないやん。うちも手伝うし……どうなん?」
黙って頷いた香。
「おばちゃんも、妹さんも助けよう。出来ることがあるならやって見よ、うちは香の味方やで、香がうちの味方でいてくれるように、これからもずっと」
美樹は言いながら本当にそう思った。
というよりは二人の間で当たり前の事を言っただけだった。
ザザー、ザザー。
「美樹…」
そう言うと香りは美樹にもたれかかって泣いていた。
震える背中を擦りながら、中学生の頃、悔しくて泣いた自分を同じように支えてくれた香を思い出していた。
「しんどかったなんな、話してくれてありがとう。まずは、おばちゃんに話そ。うちも一緒におるから……」
香は声にならない声で何かを言っている。
けど美樹にはちゃんと聞き取れていた。
「ありがとう、美樹」
そう言ったんっだって。
ザザー、ザザー。
美樹は香の耳元にゆっくり囁く。
「香、今日は大事な神舞の日や、晴れ舞台の日に目が腫れぼったくなってしまうやん」
自分ながらダサ過ぎて笑った。
香も身を起こし肩を揺らせて笑う。
凪の瀬戸内の水面は夏の朝陽を浴び、散りばめられた宝石のように瞬いていた。
二匹の小鳥が浜に降り立ちチョロチョロと何かを啄んでいる。
美樹は立ち上がり両手を伸ばして背伸びをした。
見上げる香に手を差し出し、引っ張り上げると香も伸びをした。
美樹も、もう一度伸びをする。
カシャカシャ――
ふいに後ろからシャッター音がした。
振り返ると、背の高い痩身の男性がこちらにレンズを向けていた。
男はカメラから顔をのぞかせ、
「すみません、いい雰囲気だったので思わずと撮ってしまいました」
フレームのない眼鏡が、きらりと反射する。
ゆっくり近づいてきて、胸のポケットから名刺入れを取り出し、二人に名刺を差し出した。
「こういう者です」
美樹はしゃがんでそれを受け取る。
○○企画
ライター 福山 祐介
090-☓☓☓☓-☓☓☓☓
「夕凪島を取材してましてね、ここで休憩してたら、お二人の雰囲気がとても良かったので」
福山はカメラを見ながら言った。
「差し支えあるようでしたら削除しますけど」
「どんな感じの写真なんやろ?」
美樹の問いかけに福山はカメラを操作し、スクリーンに映し出したそれを二人に見せた。
香と美樹が両手を伸ばして伸びをしている後姿の写真。
二人が光のシャワーを浴びているような光線が体のシルエットから伸びていた。
「すごい!」
美樹は思わず口に出し、香は手で口を押えている。
「欲しいですか?」
その問いに美樹は香と互いの顔を見合った。
「いえ……」
香が手を振り断った。
「ま、欲しくなったら、名刺の連絡先にメールでも電話でもください。それじゃ」
福山は軽くお辞儀をして駐車場の方へ去って行った。
美樹はその後姿を見つめていた。
「写真撮ってるの知らんかったね」
香は立ち上がり海に向かって大きく伸びをしている。
「そやね……」
美樹はゆっくりと腰を上げた。
「さ、行こう!」
香が笑顔で手を差し出してきた。
美樹はその手を取り微笑みを返す。
ザワザワ。
楢の木の枝葉が靡いた風。
それが少し強めで、美樹は束ねた髪が後ろに持っていかれるのが気になった。
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