月明かりの家路
空にはもうすぐ満ちようとしている月。
街灯の少ない住宅街を一人歩く。
そのスポットライトを浴びながら、美樹は香の家からの帰り道、童歌を口ずさんでいる。
「まあるいおひさま、おつきさま、さんかくおやま、なみなみおうみ、ひがしのそらに、むつほしのぼる、しろいひめさん、あかいひめさん、あまのかみさん、ごきげんいかかが、みたまことたま、めでよめでよ、さちあり……」
香の祖母が二人に教えてくれた童歌。
物心ついた頃には、丸暗記していた。
面白いのは振りが付いている事で、よく香と二人で歌い踊っていた。
香は右手にスプーンを持って、美樹は左手に鉛筆を持って。
今思えば、巫女が舞を舞う時に使う鈴の代わりみたいな事やったんだと思う。踊るたびに香の祖母が褒めてくれるのが嬉しくて、体学問の如く染み付いている。
香の祖母は、
『心を込めて、お日様やお月さん、お山や海の事を思って、大好きやって歌って踊るんよ、香は海の役で、美樹ちゃんはお山の役やな』
そんな風に言っていた。
いつのまにか手振りをしながら歌い歩いていると、坂道へと差し掛かる十字路で声を掛けられた。
「美樹ちゃん、こんばんは」
男の声に、ハッとして手を胸の前で組む。
街灯にうつし出さられたのは、京一郎であった。
「こんばんは」
美樹はそのままの姿勢でお辞儀をする。
「ごきげんだね、美樹ちゃん」
京一郎はニコニコしながらこちらを見つめている。
歌を聞かれていたのが恥ずかしく顔が赤くなる。
街灯の明かりの切れ端にいるから、真一郎からはこちらの方が暗い筈で分からないかもしれない。
「そうだ丁度いいや、良かったら、教えて欲しいんだけどいいかな?」
京一郎は指をパチンと鳴らす。
美樹は、コクリと頷く。
「美樹ちゃんが、香ちゃんに買ってあげた髪留めって、お祭りの時に買ったの?」
「そうですけど……」
上目遣いで答える。
何やそんなことか……
少しほっとして。
あれ?
何でその事知ってるの?
という疑問が湧いた。
「どうやって買ったの?」
ん?
質問の意図が分からなかった。
恥ずかしさと、この場からすぐにでも立ち去りたい気持ちが逸って、髪留めを購入した経緯を早口で説明した。
「ふんふん、なるほどね、いや実は僕もね欲しかったんだけど、二つあるんだね、そういうことだったんだ」
京一郎は宙を見つめ何度も頷いている。
「ほんなら」
お辞儀をすると坂道を駆け上がった。
「あ、気を付けて」
背中で京一郎の声を聞きながら、一目散に走りだす。
家までもう少しの所で立ち止まった。
振り返ると月が雲に隠れていて、暗くなった夜道を街灯の心細い光が照らしていた。
「なんやったんや……」
肩の力が抜けてため息が出る。
「ま、ええか」
美樹は気を取り直し坂道を上る。
虫の音が気持ちを落ち着かせてくれているようだった。
家の前で父親がスマホを片手に突っ立ていた。
「お父さん、ただいまさん」
「お、おう、お帰り」
「何しとるん?」
「あ、夕涼みや」
「ふーん」
美樹は左右に首を傾げながら玄関の扉を開けた。
手を洗ってリビングに行くと、父はソファでテレビを見ていた。
「おやつ、食べるか?」
「うん、ありがとう」
「冷蔵庫にプリンあるで」
美樹は冷蔵庫からプリンを取り出し、ダイニングテーブルに座る。
父は美樹の向かいに腰掛けると新聞を読み始めた。
「お父さんも食べる?」
「いやええわ、それよりちょっと話あるけどええかな?」
今開いた新聞を畳んでいる。
「何?」
美樹はプリンを口に運び父を見る。
その神妙な面持ちに不安を感じた。
「最近、変な噂あるやろ?」
美樹はスプーンを咥えたまま、首を傾げて、
「渚先生の恋人の事?」
そう聞き返しすと、父は畳んだはずの新聞をめくっている。
「ちゃうねん、そっちやない」
「他に何かあるん?」
「最近、変な事とかないか? 何かこう……変な感じの……」
「別にないよ」
父の言葉に美樹は即答した。
「そうか……それならええんやけどな……」
安心したように新聞を畳み、父は胸を撫で下ろす。
「変な感じって何?」
「まあ、何ていうか……何か分からんけど誰かに後をつけられているとか……」
「えー、気持ち悪いやん」
背筋がぞくぞくっと寒くなる。
「それって、ストーカーってやつやないの?」
「そうかもしれんな」
「えーでも、何で?」
「それは……分からん」
父の言葉に美樹はむっとした顔でプリンを口に運んだ。
「ええか? もし何かあったら、すぐに父さんでも母さんでも相談するんやで」
「分かってるって」
父の心配そうな表情に美樹は少し憂鬱になったが、それを悟られまいと明るい声で答えた。
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