導きあう運命
香が美樹と落し物の髪留めを交番まで届けて店に戻ると、母の友人の毛利が厨房で調理をしていた。
お客さんは近所の老夫婦と家族連れの二組。
「ただいま」
カウンター越しに声を掛けると、母は顔だけこちらに向けた。
「ああ、お帰り、それと美樹ちゃん今日はもうええよ」
「そんな連れないなぁ、素麺食べれる思ったのに」
美樹は口を尖らせている。
「だったら、晩御飯食べていき」
「やったぁ」
無邪気にガッツポーズをする美樹は、
「そうや、ごはん食べたら、おばちゃんにうちらの舞、見てもらおよ」
得意気に両手を腰に当てていた。
「あら、是非見せて欲しいなぁ」
「息ピッタリやからね」
香も美樹と同じポーズをして見せる。
その後、香は隅の二人掛けのテーブル席に美樹と腰を掛けて、お喋りに花を咲かせた。
合間に配膳やレジを手伝ったり、お客さんの子供と遊んだりして過ごしていた。
すると、一人の男性客が入って来た。
香は一目でそれが昼間の彼だと分かった。
「いらっしゃいませ」
香の声を書き消すように前後から、
「あっ!」
という声が聞こえて、香はキョロキョロして前後の美樹と彼を見比べた。
二人は銅像のように数秒固まっていた。
ハッとした美樹はチョコチョコと香の背後に来て、背中を指でつつく。
「落とし物の人や」
耳元で囁く。
目の前の彼は頭を掻きながら歩み寄り、
「こんばん……」
言い掛けて、笑みが消えて真顔になった。
その視線は香の頭の方を凝視している。
「これは……」
彼は興奮を抑えるかのように息を呑むと、右手で香の頭を指差した。
香がその指を見上げて髪留めを触っていると、
「お兄さん、これとおんなじもん落としたやろ?」
美樹が隣に躍り出て答える。
「落とした?」
彼は視線を美樹に方に移して、不思議そうな顔をしている。
「昨日、会った時にお兄さんが座っていた防波堤に落ちてたん、やからさっき交番に届けたんよ」
彼は数秒固まっていたが、慌ただしく鞄をテーブルに置くと中を改め始めた。一通り探し終えると深い溜め息をつく。
「そうでしたか、ありがとう」
彼は深々と頭を下げた。
「近くの交番だから案内しましょうか?」
香が問いかけると、
「大丈夫です。いや、やっぱりお願いしようかな。あなたが証人になってくれるし、いいですか?」
彼は美樹のほうに手を差し出すと、美樹は黙って数回頷いた。
「ちょっと、美樹と出てくるね」
「気いつけてな」
厨房から母ぼ声が返ってくる。
「行きましょうか」
「お願いします」
彼は急いで荷物を鞄に仕舞いながら会釈をした。
店を出ると香を挟んで、藍色に染まり出した空の下、三人が並んで歩く。
会話もなく暫く沈黙が続いていると彼が口を開いた。
「その、髪留めはどちらで買われたのですか?」
香は美樹と顔を見合せる。
「先週のお祭りの時ですけど……」
美樹が答え、香に目配せしつつ続けて聞いた。
「お兄さんは、何処で買ったんですか?」
彼は返答に窮しているのか、少しの間が空いた。
「……買ったのは、妹なんです」
「あぁ、そうなんですね、そのぉ、妹さんは一緒じゃないんですか?」
「……えっと、入れ替わりで東京に帰りました。ホテルに忘れ物をしたから。丁度、自分がこっちに来ることになってたんで……でも、無くしたら妹に怒られる所でした」
どこかちぐはぐな喋りかたの彼は、苦笑しながらこちらを見た。
その彼の顔を見た途端――
香の頭の中が真っ暗になり「妹を探して…」と言う彼の声と、見たことのない女性の顔が浮かび「……助けて…」と声がして、視界が暗闇に覆われた。
――遠くで誰かが呼んでいる。
涼しい風が頬を撫でた。
「香? 香!」
美樹の声が聞こえ視界が戻る。
二人が目の前で心配そうに、こっちを見つめたいた。
「大丈夫?」
美樹は自分の両腕を掴んでいて、今にも泣き出しそうだ。
「車を持って来ますから、ここで休んでいてください」
彼もこっちを見てそう言うと、走り出そうとしていた。
「ん? 大丈夫です。美樹ありがとう。平気だよ。行こ、もうすぐですから……」
「ほんまに?」
美樹は涙目で腕を掴む力も強くなった。
「うん、ほんまに平気。ありがとう美樹」
香は、そのまま美樹に近寄り額を合わせて、
「大丈夫、ありがと」
そう囁くと、美樹は抱き着いてきた。
「もう、ビックリしたんやで」
「ほら、交番行くよ」
美樹の背中をトントンと優しく叩く。
「そやな……」
香は美樹の手を取って歩き出した。
「すみません」
彼に向かって会釈すると、
「いえいえ……」
手を振り、後ろを着いてきた。
交番に着いて、美樹が警察官に事情を説明している。
香は外でやり取りを眺めていた。
さっきのあれは何だったんだろう?
「探して……」
「助けて……」
彼の妹さんに何かあったんかな?
香が思案している間に、二人は交番から出てきた。
彼はしみじみと髪留めを見つめると大切そうにバッグにしまっている。
「本当にありがとう」
深々と折り目正しく頭を下げる。
「ええねんな、香」
「気にしないで下さい」
香は胸の前で小さく手を振った。
「あっ、自己紹介もしてませんでした。早川啓助です。妹は舞といいます」
優しい表情だった。
「うちは、跡部美樹。こっちは親友の松薙香」
「なんてお礼を言ったらいいか……」
店までの帰り道、彼はしきりにお礼を言い、車に乗り込む際には、また深々とお辞儀をしていた。
香は思い切って啓助に尋ねた。
「あの……妹さんの写真ってありますか?」
運転席に座りかけていた啓助はフロントガラス越しに、不思議そうにこっちを見つめている。
「どうしました?」
そう言い、車から降りてきた。
「……え?……あ」
香が言い淀んでいると、美樹がすかさず機転を利かす、
「お祭りのときにあった人かなぁって」
「あぁ……なるほど」
啓助は納得したようで、香に近寄りながらスマホを差し出した。
「これが、妹です」
写真を見た香はギョッとして少し身を引いていた。
さっきの人。
そこに映っている笑顔の女性は、間違いなくさっき頭の中に浮かんだその人だった。
美樹は香りにくっついてスマホを覗き込んで、
「かわいい人やなぁ……どうやったかなぁ、いたような気もするし……」
話しながら香の背中をつついた。
「え、ああ……確かに見かけました、見かけただけですけど……」
我に返った香は少し早口で答えた。
「そうでしたか……何か気になるようなことはありませんでしたか?」
スマホを受け取りながら啓助は聞いてきた。
香が小首を傾げると、
「あっ、いや別に……気にしないでください」
手を軽く前に出し、苦笑いする啓助。
「妹さんは、お元気ですか?」
香にとっては最大級の勇気を振り絞った。
「え? あぁ、元気にしてますよ」
にっこりほほ笑んでいるが、香にはその目が泣いているように見える。
「……そうですか」
「では、失礼します。今日は本当にありがとうございました」
頭を深々と下げ車に乗り込んだ。
「今度は兄妹でそうめん食べに来てな~」
美樹は手を振りながら微笑みかけている。
こっちに向かって一礼をして啓助が運転する車は走り去った。
「ふー」
大きく伸びをしながら溜め息をついた美樹。
「香大丈夫? いきなりどしたん?」
「うん……」
「あの人の妹さん知ってたん?」
「え? うん」
話したいけど話せないもどかしさに、押し黙ってしまう。
「香、何かあるんなら話してな、今じゃなくてもええから」
香の両肩に手をかけてニッコリ笑う。
「ごめん…」
「何で謝るん? うちと香りの仲やろ?」
美樹は香のおでこを指で小突いた。
「ありがと」
「香は笑ったほうがかわいいねん」
今度は、香の両頬を摘まんで白い歯を見せた。
そんな美樹に微笑みを返すと、何か思い出したのか、不思議そうな顔をする。
「そういえばあの人、ご飯食べに来たんとちゃうかった?」
「確かに……」
香は美樹と顔を見合せてクスクスと笑った。
「お腹空いたわ、素麺食べよ」
そして美樹は、まるで自分の家のように店に入って行く、
「ただいま~」
そんな美樹が傍にいてくれて良かったと心からそう思った。
やっぱり美樹には自分の秘密を話してみよう。
車が走り去った方角を一瞥して、
「ただいま」
香は精一杯の声を張り上げた。
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