ふたり 7月14日金曜日 1日目
7月14日金曜日 1日目
夕凪島。
岡山県と香川県の間の備讃瀬戸と呼ばれる海域に浮かぶ、人口22,000人程が住んでいる瀬戸内海で淡路島に次ぐ二番目に大きな島。
夕凪島への交通手段は船しかない為、主要な航路である岡山、姫路、神戸、高松を繋ぐ多くのフェリーが往来している。
主産業はオリーブオイル、醤油、素麺等の食品製造業。
寒霞渓や銚子渓等の景勝地がある事からも分かる通り、夕凪島自体が風光明媚で映画や漫画等の作品の舞台になっており観光業も盛んで、週末や観光シーズンには沢山の旅行者が訪れ賑わう。
また、弘法大師が整備したと伝わる八十八カ所の霊場があり、それらを巡るお遍路さんも人気を博している。
その島の中央南側に面する瀬田町は、島の南部に大きく突き出した三都半島の付け根に位置する。
三方を山に囲まれた人口およそ2000人程の長閑な町。
立地的に東の内海町、西の土庄町といった島の人口の集中する地域の中間に当たる事から、大きな病院や夕凪島唯一の高校といった公共施設があり、また四国の高松港への玄関口の一つとなる瀬田港を有している。
瀬田町にある素麺屋『松寿庵』の一人娘である高校三年生の松薙香は洗面所で朝の身支度をしていた。
「香~お弁当忘れないでね」
香は母の声を背中で受けると、歯を磨きながら返事をする。
「はぁい」
うがいをしてタオルで口を拭きながら鏡に映る自分の顔を見つめた。
色白の漆黒の瞳の女の子が見つめ返している。
一昨日、久振りに嫌な夢を見た。
そのせいもあって昨夜は寝るのが怖くて寝不足だった。
胸に手を当て小さくため息をつく。
「何もないよね、大丈夫……」
鏡の中の自分に言い聞かせ、はにかんで見せた女の子の頬にえくぼが浮かんでいた。
二階の自室に戻り制服に着替えて髪をとかす。
机の上に飾ってある写真に向かって微笑んだ。
「行ってきます」
父と母に挟まれた小学生の自分がこっちを見て笑っている。
一階へ降りて台所へ寄ると、テーブルの上の弁当箱を鞄にしまった。
「お母さん、ありがとう」
「うん、気いつけてな」
香は洗い物をしている母の背中をしばらく見つめていた。
「そしたら……行ってくる」
「行ってらっしゃい」
母は顔だけをこちらに向けニコッと笑う。
香は微笑みを返して台所を出ると、足を止めて振り返り普段と変わらない母の後ろ姿に「大丈夫だよね」心の中で囁いた。
玄関の扉を開けると、湿った熱気が頬をなでる。
玄関先の二段ばかりの石段に、親友の跡部美樹がいつも通り腰かけて待っていた。
美樹はくるりと振り返り、ニコッと笑う。
「おはようさん」
「おはよう」
香はつま先を地面にトントンと交互に打ち着けて靴を履いた。
背後の麻霧山の方から蝉の合唱が降り注ぐ。
敷き詰められた雲の中には太陽がぼんやりと見えた。
美樹は立ちあがると、こっちを見て小首を傾げている。
やっぱりバレてるんかな……
香は微笑んで美樹の腕を取ると通学路を歩き出した。
海に面した高校までは歩いて15分位。
家の前の道を真っ直ぐ国道まで進み、それを渡って右へ少し行った所にある。
「香、調子でも悪いん?」
前を向いたまま、さりげない口調の美樹。
「え? 大丈夫やけど……」
「何年一緒におると思ってるん?」
美樹はチラッと横目でこちらを窺っている。
やっぱり……バレてるか……
美樹とは赤ん坊の頃からの幼なじみ。
美樹の家は素麺工場、香の家は素麺屋。
そんな縁で家族ぐるみの付き合いも長く、当たり前のようにずっと一緒にいる。
小さい頃は、よく姉妹と間違われた。
高校生になった今に至っても背格好が似ているからか、未だに間違われることもある。
でもどういうわけか、いつも美樹がお姉さんに見られる。
そして、香もそうだがお互いの事にはよく気が付く。
何でも話せるし理解しあえているけれど、あの事だけは話していない。
「ありがと……ちょっと寝不足かも」
香は舌をペロっと出しておどけて見せた。
「ふーん……ならええけど」
美樹はクリっとした大きな瞳で香の顔を覗き込むと白い歯を見せて笑った。
この笑顔を見ると何故か昔からホッとする。
「そや、うちな祭が終わったら、バッサリ髪切ろう思ってん」
お腹辺りまで伸びた長い髪の毛先をちょこんと摘まみ上げる美樹。
「どしたん?」
香の記憶では、美樹は保育園の頃から長い髪のままで、髪を短く切ったことは無かった。
「えへへ、イメチェンやな……何かもう頭が重うて、ていうか、香も髪伸びたんちゃう?」
「そうかも」
香は肩まで伸びた髪を見つめた。
「一緒に切りに行かん?」
その時――
角から突然男が飛び出してきた。
ビックリして香は美樹と自然に互いの手を取り合う。
「ごめん、ごめん」
男はこっちに顔を向けて両手を合わせている。
「あっ、香ちゃんと美樹ちゃんか、おはよう」
今度は両手を大袈裟に広げ微笑む。
「おはようございます」
香と美樹が息を揃えて挨拶を返す。
「すごいすごい……やっぱり、姉妹だね」
パチパチと手を叩いてけらけらと笑う男。
香は唖然として男を見ていた。
きっと美樹も同じように見ていたのだろう、
「んん……ちょっとねランニングをしててさ、ごめんね」
男はさすがにバツが悪そうに、両手をこすり合わせて頭を下げる。
ポロシャツにジーパン、革靴……?
香は男の服装を眺めて小首を傾げながら、隣の美樹を見ると口をポカーンと開き呆気にとられていた。
「じゃあ急いでるから、バイバイ」
手を振って軽やかに走り去っていく男。
香と美樹はその背中を目で追いながら立ち尽くした。
「あっちってさ、家ちゃうよな……」
「そう……だね……行こう……か」
香は歩き始めると後ろを振り返る。
クラスメイトの川勝真一郎が、いつものように少し離れて着いて来ている。
「行こ行こ、なんやねんなぁ、さっきの真一郎のお兄さんやろ、なんか、苦手やんなぁ」
美樹は口を尖らせて、首を左右に倒しながら小さくため息をついた。
「珍しいね、美樹がそんなん言うの」
「そやろか? うちは人見知りやで……香だってそうやろ?」
今更恥ずかしがる事もないのだが、美樹は照れると耳が赤く染まる。
「私は……人見知りちゃうよ」
「嘘や……知らん人が来たら、うちの後ろに隠れるくせに」
美樹は悪戯っぽく言うと香の脇腹を擽った。
「あかん、やめて……アハハハハ」
香も負けじと美樹の脇腹を擽る。
二人はひとしきりじゃれ合った後、笑い合いながら歩き出した。
国道の横断歩道を渡ると、
「香、美樹、おはよー」
自転車通学のクラスメイト達が挨拶をしながら追い越して行く。
「はよ夏なんか終わってしまえばいいのに」
美樹は手をひらひらさせて顔をあおいでいる。
「なんでなん」
「だって夏なんか暑いだけやん、汗臭いし……香は夏好き?」
「そやなぁ……」
香は空を見上げた。
美樹の言う事はもっともだと思う。
でも好きかと聞かれると嫌いではない。
雲の隙間からは少しずつ青空が顔を覗かしてきていた。
「夏生まれやからかな……なんか好きなんよ」
嬉しそうに香が微笑む。
「そういうことなら、うちも夏生まれやから、夏好きや」
美樹はピョコンと飛び跳ねて、人差し指を顔の前に立てた。
「もう」
おどける美樹の背中を香が軽く叩くと、
「あっ……」
声と共に美樹は立ち止まり、口を開けたまま宙を見つめている。
「どうしたん?」
香は美樹の顔を覗き込む。
「うち今日……日直やわ……」
あっけらかんとした表情でボソッと呟いた。
「じゃあ、急がなあかんやん」
香は美樹の手を引いて駆け出した。
校舎の裏山は昨日までの雨で緑が更に鮮やかに映えている。
風も心地よい……海からの淡い潮の匂いが鼻を擽った。
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