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つないでゆくもの  作者: ぽんこつ


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18/77

松寿庵にて

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


瀬田町にある素麺屋『松寿庵しょうじゅあん』。

土曜日ということもあり開店直後からお客さんの回りがいい。

父と祖母が亡くなって以来、母は実家の素麺屋を一人で切り盛りしている。

客席は10席程の小さな店で、国道から一本入った通りに面している。

それにも関わらず、土日は観光客でそれなりに賑わう。

夕凪島の素麺はオリーブオイルでコーティングしていて味はもちろん食感や喉ごしが良いと県外の人にも人気だと言う。

生まれてこの方、島の素麺しか食べてない香にとっては普通に美味しい素麺なのだけれど。

「美樹ちゃんありがとね、来てくれて大助かりや」

香の母は調理しながら、向かい側で作業をする美樹に声をかけた。

「ええねんよ、おばちゃん」

美樹は素麺を茹で、素麺を茹で、麺が太いか細いかの違いだけ。

手馴れた動作でガラスの器に盛り付けている。

錦糸卵とネギをまぶせ、トレーに乗せた。

「素麺大盛り二人前お願い」

「はーい」

厨房からの声に、オーダーを聞きながら香は応えた。


カウンターに並べられたトレーをテーブルに運ぶ。

「お待たせしました」

「ありがとう」

か細い声で答えるテーブルの客の一人は真一郎だ。

「相変わらず旨そうだ」

もう一人は、兄の京一郎で素麺を目の前に手揉みして箸を手に取った。

「ごゆっくり」

香が振り返ろうとした時。

「香ちゃん」

京一郎が呼び止める。

小首を傾げる香に、

「今日時間、空いてるかな?」

京一郎は何気ない口ぶり。

そして素麺をすすっている。

何だろう?

香が返答に躊躇していると、

「旨いなぁ、どう?」

どうっていわれても、正直困る。

真っ直ぐに見つてくる京一郎。

返す言葉が出せずにいると、

「兄さん無理言わないで、忙しいんだから駄目に決まってる」

ズバッと厳しい口調で真一郎が口を挟む。

香は真一郎の初めて見る一面に驚きつつも、

「ごめんなさい、無理です」

頭を下げた。

「天ぷら定食二人前お願い」

厨房からの美樹の声に吸い寄せられるようにカウンターに戻る。

「どしたん?」

美樹は真一郎兄弟の方に視線を送っている。

「うん……後でね」

香はカウンターのトレーを持った。


お昼の客足が一段落して、香がレジで会計のお客さんの応対をしていると、一人の男が入店したきた。

ポロシャツにジーンズといったラフな格好だけど、一目で観光客と分かる。

おそらく大阪や東京といった大都会の人。

何となくそんな風に思えた。

肩からカメラを下げて、手にはバッグを持っている。

男はこちらに一別してレジの向かいのテーブルの席に座る。

香はそのままオーダーを取りにいく。

「いらっしゃいませ」

メニュー表を男に手渡し、それを拡げるのを待ってから声をかける。

「ご注文がお決まりでしたら伺います」

すると男は、メニューには目を通さず、少し頬を緩ませた。

「山菜定食の……素麺大盛りで」

まるで、予め決めていたかのようだった。

「かしこまりました、少々お待ちください」

香は一礼して席を離れ、カウンター越しに注文内容を告げた。

「山菜定食大盛ね」

「はーい」

母と美樹の声が重なる。

「お姉さんお会計お願いします」

背後から女性の声。

「はい」

香は小走りにレジへと駆け寄る。

「ありがとうございました」

「美味しかった、ありがとう」

遍路装束に身を包み微笑む女性は美しかった。

お遍路自体、珍しくないのだけれど、若い女性が一人でお遍路をしているのは初めて見る。

香は何故か気になって店先まで出て女性を見送った。

女性は一礼して菅笠をかぶり歩いて行く。

町並みに消えていくその背中にどことなく寂しい雰囲気を感じた。


香が店内に戻りテーブルの後片付けをしていると、

「山菜大盛お願い」

厨房から美樹の声が届く。

山菜定食をトレーに乗せて男が待つテーブルに向かう。

「お待たせいたしました」

「ありがとう、美味しそうだ」

「ごゆっくり」

男は箸を手に取ると、おもむろに口を開いた。

「あの、少しお聞きしたいんですが……」

「何でしょう?」

香は振り向きながら軽く会釈をした。

男はゆっくりと視線を香に泳がせる。

「川勝さんというお宅がこの辺りにあると聞いたのですが……」

「川勝さんですか?」

真一郎の家だ。

「島の歴史を取材してまして、川勝さん、郷土史家の川勝龍一郎さんにお会いしてお話を伺おいたいと思いまして」

なるほど。

というか真一郎の父が郷土史家というのがびっくりだった。

「ここの斜向かいのおうちが川勝さんの家です」

香は家の方向を手で差し示す。

「そうでしたか、ありがとうございます」

男は軽く会釈をすると、素麺に集中し始めた。

「ごゆっくり」

その様子を見て、香は席を離れた。

背中越しに素麺をすする音がして、

「旨い、旨いなぁ」

その声を聞き、香は肩をすくめた。


香はカウンターの上の片づけを始めると、美樹が近寄って来た。

「あのお客さん、何かあったん?」

美樹が不思議そうに首を傾げて見つめる先には、カメラマン風情の男の背中があった。

「え? 変わった感じのお客さん、真一郎のお父さんに取材やて」

「真一郎のお父さん?」

「何でも真一郎のお父さん、郷土史家? ていうのみたい」

「へえ~、ていうか、真一郎といえば、さっき何かあったん?」

声のトーンを抑える美樹。

香は顔を寄せた。

「お兄さんに、今日空いてる時間あるかって誘われた」

「は?」

「真一郎が忙しいから無理だって助けてくれたけど、今までこんなことなかったから」

「え、それってどうゆう……」

美樹が口を開こうとした時、お客さんが入ってきた。

「いらっしゃいませ……そしたら後で」

香は美樹に早口に伝えると慌てて接客に戻った。


14時を過ぎると流石に客は誰もいなくなり昼食を取ることになった。

母は厨房で賄を作っている。

香は暖簾を下げて美樹と後片付けを済ませると、客席のテーブルで向かい合って話し始めた。

「なあなあ、続きやけど、また誘われたらどうするん?」

「興味はないし」

「そやね~、うちとおった方が楽しいやろ」

「そやね」

「そやろ」

美樹は吹き出して笑っている。

ふとさっきのカメラマンを思い出した。

人懐っこい感じで物腰柔らかそうな人だった。

「何? 何なん? 思い出し笑いキモいなぁ~」

「別に」

香が、はぐらかすと、美樹はほっぺたを膨らませている。

「ところで美樹さ、話って何なん?」

「そうや!」

美樹は慌てて席を立つと、厨房の奥にある更衣室へ駆けていった。


しばらくして、美樹は両手を胸の前で握りながら小走り戻って来る。

「これ……」

手の中から何かをくるんだハンカチをテーブルに置いて椅子に腰かけた。

そしてゆっくりとハンカチを広げた。

「これって、美樹が私にプレゼントしてくれたやつでしょ?」

中には桜の花を象った髪留め。

美樹は首をひねって口を尖らしている。

「ん? これがどうかしたん? あぁ、今日も持ってるよ、着けるの忘れてたけど」

香は舌をペロッと出して、髪留めをポケットから取り出すと前髪につけた。

美樹は肩をすぼめながら口を開いた。

「これな、昨日、バイト先に来たお客さんが忘れていってんな、夜遅かったし、今日お巡りさんとこ、もって行こう思っててんけどな……」

歯切れが悪くモジモジしている様子の美樹。

「駄目やで」

香が冗談交じりに言うと、

「ちゃうちゃう、そんなん人様の物を取ったりせんよ……そんなんじゃなくて……不思議というか、何というか、考え過ぎやと思うんやけど……」

美樹は胸の前で両手をせわしく振って、頭を左右に傾けながら言い淀んでいる。

「分かってるよ、ちゃんと聞く」

香は真っ直ぐ美樹を見て背筋を伸ばした。


小さくため息をついた美樹。

「うん、ありがとう。祭の日に香が欲しがってたけど買うの諦めたやんか。確かに5000円はちょっと高いし。うちなトイレ行くふりして、出店に戻ってお姉さんに聞いてん、どーしても買いたいから3000円で買わしてもろて、後で残りを払いに行きますって、そしたら香川の人間じゃないから後では難しい言われてん、何処やったかな……」

美樹は人差し指を顎に当て考え始めた。

「それで?」

香は話の続きを促す。

「ああそうや、それでな、うちの熱意に負けたんか、飾ってあるやつは売れんけど、お姉さんが身に付けていた同じ髪止めを、これで良かったら3000円で売ってあげるって、何でもお姉さんは二つずつ作品を作って、片方は自分で持ってるんやて……」

「ふーん」

「でな、不思議なんはな、うちが買うた次の日にお姉さんは帰る言うててん。でもな、忘れていったお客さんな、今日……やから、昨日島に来た言うてて、どこで買ったんやろとか、あのお客さんもっと前から島におったんやろか、とか……」

美樹は申し訳なさそうに伏し目がちになる。

「ふーん、でも考えすぎちゃうん? どっか他の場所で買ったかもしれんし」

香自身もそうだけど美樹も考え過ぎてしまう癖がある。

この件も美樹の癖が出たのだと思った。

「せやな……」

美樹は自分を納得させるように、何回か頷いて顔を上げた。

「帰りに交番に持ってく」

「私も一緒に行く」

美樹が髪留めをハンカチに包んでいると、

「二人とも出来たよ~」

厨房から母の声がした。

「はーい」

二人の返事がシンクロする。

「相変わらず気が合うね~二人とも」

母がカウンター越しにこっちを覗き込んで微笑んでいた。

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