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つないでゆくもの  作者: ぽんこつ


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闇の中の影

挿絵(By みてみん)

挿絵(By みてみん)


香が風呂から上がると、母がキッチンのテーブルでうたた寝をしていた。

ふと母の手を見ると右手の人差し指血が滲んでいる。

包丁で切ったんかな?

香は棚の引き出しから救急箱を取り出して、その中にある消毒液と絆創膏を一つ手に持った。

「お母さん……風邪引くよ……お母さん」

香が肩を揺すると、

「ん~」

と声を上げて母は瞬きしながら、体を起こした。

「どうしたの指?」

「あぁ……包丁洗ってる時、切ってしまったんよ」

「はい、これ」

母に消毒液と絆創膏を手渡した。

「ああ、ありがとう」

「疲れてるんでしょ? 少しは休んだら? あぁ、明日は土曜だから私、手伝うし」

香は喋りながら冷蔵庫から麦茶を取り出した。

母は傷の手当てをしている。

「ありがとう……そういえば……」

「ん?」

テーブルに麦茶を置いて見返す香に、母は目尻を下げる。

「香に話したい事があるの」

「なあに?」

何だろう?

そう思いながらも、香はバスタオルで髪を拭くのをやめて椅子に腰かけた。

母は笑みを湛えたままテーブルの上で両手を組むと、ゆっくりと話し出した。

「香、あなた夢を見る?」

穏かな声音。

香は思いがけない問いにドキッとして少し俯く。

「夢は見るよ普通に……」

「そうじゃなくてね……」


プルル、プルル。

遮る着信音。

母のスマホだった。

「ごめん、ちょっと待ってね」

母はテーブルに両手を付き立ち上がると小走りにリビングへと向かった。

「はい……あぁ、こんばんは……」

香は肩の力が抜けて椅子に凭れる。

どうしてお母さんは夢の事を聞いてきたん?

電話をしている母の方を見た。

母の話し方から電話の相手は知り合いのようだ。

島の夜は早い……

時計を見ると20時を少し回った所だった。

「わかりました……では後程」

母はスマホを片手にそそくさとキッチンへ戻ってくる。

「ごめんね香、母さんちょっと出てくるわ」

スマホを手の間に挟んで香を見ながら拝んだ。

「こんな時間に? どこ行くん?」

突然、頭の中に父と母の夢がフラッシュバックした。

「行かんで!」

香は自分でも驚くほど声を荒げていた。

目に溢れてくる涙。


その様子を見た母は着替える手を止めて、香の傍に歩みより隣の椅子に腰かける。

そして香の手を取り両手で包み込んだ。

「どしたん?」

「私も一緒に行く……」

「心配せんでも大丈夫、ご住職が相談があるんやて」

「ご住職?」

我が家で、ご住職と言えば西龍寺の龍応住職のことだ。

「手伝って欲しいことがあるんて、遅くなるかもしれんから、先に寝ててええよ……さっきの夢の話はまた明日しよ」

母はニコッと笑う。

包んでいた香の手をパンパンと叩いて立ち上がり、リビングで着替え始めた。

西龍寺の龍応住職と亡くなった父とは年が10歳ほど離れているが、幼い頃からの親友で、父は兄のように慕っていた。

今でこそ西龍寺に行く事は少なくなったけれど、子供の頃は両親に連れられよく遊びに行っていた。

香は住職のお経を唱える声やアクセントが、子供ながらに好きだったのを覚えている。

住職は父が亡くなった今でも、何かと気にかけてくれている存在だったりする。

それから、香は母が着替えをしている最中、しつこいほどに運転に気を付けるように、安全運転。

そう吹き込んだ。

母はその都度、「分かったよ」「はいはい」「うん、大丈夫」と返事を返した。

香は母の後に付いて玄関まで見送る、

「そしたら、行ってくるね」

母は小さく手を振って出て行った。

「ほんまに、気いつけて」

その背中に声を掛けた。

玄関の施錠を済ませて、とぼとぼとキッチンへ戻ると、車のエンジン音が遠退いていった。

「ハクション……あぁ……」

乾かすの忘れてた……

髪を撫でながら洗面所へ向かいドライヤーを使った。

キッチンに戻って麦茶をグラスに注いで口を付けた途端。


ブゥー、ブゥー。

スマホが震える。

一瞬ドキッとしたが、相手は美樹からだった。

ふうーっと、深呼吸して香は電話に出る。

「もしもーし」

「あ、香、バイト終わったよ」

「お疲れ~」

「香は?」

「お風呂入ってた」

「そっか……」

香はリビングのソファーに腰かけた。

髪を乾かすのにバスタオルでゴシゴシ拭いたせいで、ドライヤーで乾かした髪がクシャンクシャンになっている。

「なあなあ、聞いて?」

美樹の声がいつもより明るいことに気付いた。

「なんか良いことあったん?」

「え?なんで?」

「声が明るい」

「そう? 変わらんよ、元気やけど」

美樹は何か良い事があった時、声のトーンが上がる癖がある。

小さい頃からそうだった。

香は笑って言葉を続けた。

「いいことあったんやろ?」

「いいこというか……うちら人見知りやんかぁ」

「……まあ、そうやね」

「今日な、初めて来たお客さんと何か分からんけどな……普通に話せたんよ」

「ふーん、男の人?」

「そうなん……なんでやろな……自分でも不思議なんやけど」

「恋?」

「……違うし……」

こういう時の美樹は口を一文字に結び不満そうな顔をしている筈。

沈黙が流れる。

あれ?

なんかあったんかな?

「美樹? どしたん?」

「……香、あの、髪留めは持ってるん?」

途切れ途切れにモゴモゴと喋っている。

「髪留めって……大切に持ってるよ、ありがとうね美樹」

「……ううん、ええねんで……ところで香、明日は暇?」

「あぁ、家の手伝いするんよ」

香はボサボサな髪を指に巻き付ける。

「そっかぁ……そしたら、うちもお店手伝い行くわ」

「バイト代出えへんよ、きっと」

「香に話もあるし、素麺いっーぱい食べさせてもらえばええから」

いつもの美樹らしい返事を聞いてホッとした。

それから他愛のない会話をして過ごし、

「ほんなら明日ね、おやすみさん」

「うん……お休み……」

電話を切って時計を見ると21時半を回っていた。


母さん遅いなぁ……

両足を抱えて丸くなりながら、当てもなくスマホをいじる。

ゲームを起動したが、気分が乗らない。

しばらく微睡んでいたら、いつの間にか寝ていたらしい。

――祖母の膝の上に座って本を読んでもらっている。

「そして、双子の神様は楽園に住まうことになりました」

そう、いつも祖母の話は選んだ本とは違って、同じような話をしていた。

「香は神様に選ばれた子なんや」

「神様?」

「お空の上のそのまた上にいる、ずっと私たちを見守って下さっているお方や」

「ふーん、お月様やお日様やね」

「フフ、そうやな、そうかもしれん」

「お空の上の神様がどうしたの?」

「神様が香を気に入って、会いに来てくれるんよ」

「えー!いつ来てくれんの?」

「香はな、この神舞かまいを踊るんや。どうやって踊るか覚えたかい?」

「うん、ちゃんと覚えたよ、北のお空を向いて宝物持ってするん」

「そうや、香あんたはいい子や、そして、この島のみんなを守るんやで」

「うん、わかった。でも、おばあちゃんも一緒やで」

「ありがとうね」

祖母は優しく微笑んだ。

「ねえ、いつになったらお山に入れるの?」

「それは、ずっとずっと先やな、香がもっと大きくなってからや」

「神舞は、お婆ちゃんが教えてくれたからもう踊れるよ」

「アハハ、いい子やな香は」

祖母は優しく頭を撫でた。

「その時が来るまでな」

「いつなん?」

「それは…」

祖母の顔が少し悲しげになった……

映像がぼやけた――


辺りを見回すが真っ暗で何も見えない……いや、何かいる……目を凝らすと黒い何かが、自分に覆い被さるように見下ろしている。

それは一人ではなく、もう一人いる。

声を出そうにも声にならない………

ただ、恐怖は感じなかった。

どれ位だろうその二人は自分をじっと見ているようだった。

スーッと影が消えていくのが分かった。

暗闇のままだが、胸を撫で下ろす。

その瞬間に黒い何かが自分に覆い被さっていた……

先程の何かとは違い不安が心を染めていくのが分かった……

何かの鼓動が聞こえるのか自分の鼓動なのか心臓がドッドッドッと音を立てる。

その何かが、

「助けて……」

呟くと目が開き飛び起きた。


全身が汗にまみれていた。

汗が身体中から噴き出している。

パジャマの袖で顔の汗を拭う。

鼓動がドクドクと早い。

もう一度横になった。

スマホをチェックすると22時30分。

そうだ母さんは?

ソファーから立ち上がりカーテン越しにこっそり外を見るが、まだ母の車はなかった。

カーテンをそっと閉じ耳を澄ます。

聞こえるのは時計の針の音だけ。

香は急に祖母の事が気になり、隣の居間に行き電気を付けた。

そして仏壇の前に腰を下ろす。

「お婆ちゃん…」

祖母は香が小学校一年生の時に他界した。

目を閉じて手を合わせる。

昔話や絵本を読んでくれたり、一緒に遊んでくれた優しい祖母だった。

仏壇に飾ってある白い百合の花びらが畳の上の落ちている。

それを拾おうと手を伸ばした時、仏壇の隣の押し入れの襖が少し開いているのに気が付いた。

何でだろう?

そう思いながら百合の花びらを手に取った時。

車のエンジン音が近づいてきた。

香は急いで玄関へと向かう、車のエンジン音が止む。

玄関でサンダルを履こうとした時、ガチャッと鍵を開ける音がしてドアが開いた。

「ただいま、ごめ……」

香は母の言葉を遮り抱きついた。

「お帰り……お母さん……」

「まったく、どしたん?この子は」

母は香を抱きしめるとその頭を撫でた。

母の手の温かさに体中が癒されている気分を味わう。

何にもなくて良かった。

ただただ、母の温もりを噛みしめた。

「分かったから、中入ろう」

宥めるように促す母に、

「うん」

香は満面の笑顔を母に見せた。

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