朝の光の中で
香は玄関を開けて家に入る時、思わず笑ってしまった。
朝帰りか……
今日は皆、朝帰りだね。
「ただいま」
段差に腰掛けて靴を脱いでいると、
「おかえりー、香、何か食べる?」
台所の方から母の声がする。
「うん、お腹空いた…」
返事をして洗面台で手を洗い、台所に行くと母は食事の支度をしている。
「それから母さん、啓助さんと舞さんが13時のフェリーで東京に帰るんよ、お昼には起きたいから目覚まさんかったら起こして」
「あら、そうなん、あの人達も大変やね……お世話になったお礼に素麺送らなきゃって、香、住所聞いてるん?」
「あ、分からん……あ、でも後で聞いとく」
冷蔵庫から取り出した麦茶が入った容器をテーブルに置いて椅子に腰かけた。
「それとね母さん、今度のお店が休みの日にお墓参り行こう」
「ああ、そうやね……うん、そうしよ母さんお花買っとくわ」
魚が焼けるいい匂いがする。
「母さん、ありがとう」
「あ、もう少しで出来るから待っといて」
「あぁ、そうじゃなくて……私を産んでくれてありがとう」
母はゆっくりと振り向くと、少しづつ頬が緩んでいく、
「どうしたん……ハハ」
瞼に溜まった涙を指で払うと背中を向けた。
「お母さんの子供で、巫女の血を継ぐ娘で良かったな、思ったん」
「そうか……そう……ありがとう香。母さんも香が娘で良かった。ほんまによかった」
香は母の隣に歩み寄り様子を窺うと、母は手の甲で涙を拭っていた。
「もう、母さん鮭が焦げるよ」
母の手から菜箸を奪うと、コンロのグリルを引き出して焦げ目のついた鮭をひっくり返す。
すると母は背後から抱きしめてきた。
「ほんまに香が産まれてきてくれて、嬉しいよ母さん。ありがとうな香」
優しく頭を撫でる母の手の温もりがある事に、香は感謝し幸せを感じていた。
それから、少しだけ香ばしくなった鮭と漬物の朝食を母と一緒に済ませた。
食後、仏壇の前に正座をして、いつものように、お線香を一本立てる。
「お婆ちゃん、無事にお山で神舞踊ったんよ……」
手を合わせて目を閉じる。
お婆ちゃんはこう言ってくれたはず。
『香、よう出来た、あんたはいい子や』
「ありがとう……」
しばらく仏壇を見つめて腰を上げた。
香は自分の部屋に入ると机の上に置いてある、昨日、美樹から貰った誕生日プレゼントを手に取った。
壁に飾りたいが引っかける物がないので、ベッドサイドのチェストの上に立てかける。
それを眺めながらベッドに凭れ込んだ。
二人の巫女が踊るその絵を見て、自分達をイメージして描いたのだろうけど、下弦の月の下、神舞を踊った自分達と重なる。
意図したのかしていなのか、下弦の月を選んだ理由を美樹に聞いてみたかった。
あ、でもきっと美樹は、
『笑顔に見えるから』
そう言うに違いない。
うん、これが答えな様に思う。
そうだ、神舞の最中に、ご住職が中断しに来て、その間に何かあったのだろうか?
ご住職は謝っていたけど、何が起きていたのか正直分からなかった。
神舞に集中していたのもあるけれど、舞台の上が明るくて周りが暗かったのと、音楽が大きい音で流れていたから。
ああ、でも真一郎がひょっこり現れて、
「君達を守るために来た」
と、いつか見た夢の中で言っていたのと、同じことを口にしたのは覚えている。
その真一郎に尋ねても「大丈夫」の一点張りだったし。
「はぁ~」
あくびをしながら、美樹がくれた絵を見つめる。
神舞は神様の魂が天へと帰り、その代わりに人々に思いやりや感謝といった愛のエネルギーを甦らせる。
そう舞さんは説明してくれた。
確か国江さんの手紙にも争いのない世の中になる。
そんな事が書かれていたような気がする。
やはり引っかかるのは、お婆ちゃんの手紙に書いてあった。
「双子の巫女が世に出る時、世に異変これありき」
今、何か起きているのかな?
「うーん、分かんないや」
それよりも、神舞が終わってから考えていることがある。
祖母も母も、人の為に力を使うのは良い事と言っていた。
正直な所、人を見るのはまだ怖い。
だから香自身の未来を見るかどうか悩んでいる。
知ってしまって落胆するかもしれないし。
希望を見出すかもしれない。
ただ、自分の未来や運命を知らなくてどうして人の事が見れるの?
そうも思っている。
けれど今は眠かった。
ご飯を食べたからお腹が満たされたのもあるんよね……
「ふわぁ~」
声に出してあくびをすると両手を伸ばして仰向けになった。
神舞という責務を終えて肩の荷が下りるという言葉がしっくりくる。
それと同じくらい充足感で満たされていた。
啓助達を見送りに行くにはお昼には起きないと……
スマホのタイマーをセットしてチェストの上に置く。
手を胸の上に置いて瞼を閉じていた。
もう会えないんか……
そう声にならない声を発すると、すぐに眠りに落ちていた。
◇
蝉と雀の鳴き声が響く早朝の住宅街を、美樹はそれに負けじと童歌を歌いながら歩いている。
するとガチャッと何処かの家のドアが開く音がして真一郎が飛び出してきた。
「あ、真一郎」
挨拶をしようとする美樹に真一郎は面と向かうと、いきなり話し出す。
「今の歌さ……山で舞をした時に歌ってた歌でしょ?」
声の気迫に気圧されて美樹は少し身を引いて頷いた。
「ああ、ごめん……これ聞いてくれる?」
真一郎は手に持ったいたイヤホンを差し出してきたので、美樹は言われるままイヤホンを耳に着ける、
「流すよ」
その声と共に音声が耳に流れてくる。
ガヤガヤと騒がしい……
神舞のお祭りの時?
やがて、途切れ途切れに女の子が歌う、童歌が聞こえてきた。
ビックリして顔を上げると、真一郎は得意気に頷いている。
童歌が終わると美樹はイヤホンを外して真一郎の掌に載せた。
「そうしたら美樹、今度はこれを見て」
矢継ぎ早にスマホを手渡され、美樹はその画面に映し出されている動画を再生する。
そこには瀬田神社の楼門の下で、二人の少女が神舞の音楽に合わせて踊っている映像が流れている。
その動きは驚くことに童歌の神舞のものだった。
「へ?」
思わず声に出す。
「きっとさ、これ神様なんじゃない?」
真一郎は優しい笑みを浮かべてスマホの画面を一緒に覗き込んでいる。
神舞の音楽が早くなると少女達はこっちに手を振り、手を繋いで奥の参道へ走っていった。
動画はそこで止まりスマホを真一郎に返す。
「この動画、さっきの音声と合わせて、美樹と香にあげるよ」
「でもどうして?」
「香と美樹が持っていてあげた方が、その何というか良いかなって思ってさ」
美樹の質問の意図と真一郎の返答は食い違っていたが、美樹は聞き返すのを止めた。
「真一郎、ありがとう。それと香を守ってくれて、うちも、その守ってくれて……」
美樹が深々と頭を下げると、
「どういたしまして……て、なんか変だね」
真一郎は照れくさそうに頭を掻いている。
「でも、どうしてうちがいるって分かったん?」
「え? そりゃあ、あれよ……歌声が聞こえたから」
美樹はハッとして両手で口を押さえる。
耳が赤くなるのが分かった。
「いや、いいんじゃない、そんな気分の朝だよ」
真一郎の顔に朝陽が当たると、手でそれをかざして眩しそうな眼差しをこちらに向けていた。
◇
香と美樹の手を振る姿を助手席から振り返り、角を曲がるまで目に焼き付けている。
舞は小さくため息をついてシートに凭れると、思い出し笑いをしていた。
香と美樹と接していたこの数日で二人に妹のような感覚を抱いていて、それが思いの外、心地良くて楽しく嬉しかった。
「あのさ、本当の? 香さんが、お婆さんから教わった神舞を見て思ったんだけど、巫女が変性意識状態になって神託を受けるって話していたじゃない。婆ちゃんの本にもそんなこと書いてあったでしょ? でも、そんな感じが全然なかったのは何でなんだと思う?」
「そうだね……どうなんだろう、例えば本来は変性意識状態は必要としないのかもしれない。何ていうのかな私達が会話するような感覚で神様との交信が出来ていたのかも。何かのツールとかあったかも知れないし、そもそも、巫女の血筋は神様と交信できる能力があったけど、時と共にそれが薄れていく中で、神様と繋がりやすい状態? 繋がっている時の状態に近い変性意識状態になれる工夫をしたものの名残が瀬田神社に伝わる神舞なのかもしれない」
「なるほどね、元々身についていた能力って事か、もしかしたら昔の人々みんなが持っていたのかもしれないのか」
「それはそうだと思う、ただあの神舞に関しては、それこそ儀式の色合いが強かったのかもしれない。当事者を召喚し人々に覚醒を促すための。でも神宝を用意した神様なのか人なのか、この日を見越して準備していたんでしょ、お兄ちゃんが言っていたように、何で今なのかは分からないままだけどね」
「あぁ確かに。それからさ、香さんの能力が無くなった事、ご住職達には伝えなくていいのかな?」
「そうだね……どうしたらいいんだろう……ずっとずっと見守ってきたんだよね……でも伝えない方がいいかな……巫女の魂を媒介として神様に通じる事が出来るから……それは……」
舞としては口に出したくない単語で自然と言い淀む。
「ん? それは?」
「それは……恐らく巫女を……殺す事……」
「え?」
兄はハンドルを切りブレーキをかけ車を路肩に止めた。
「香ちゃんの能力が無くなったし、あの襲って来た男も消えた今、心配はないと思うけど。香ちゃんは生きている。万が一があるじゃない。そう思うと私には言えないかな」
「確かに……けど本当なの? その巫女を……云々してって」
「飽くまでも、私の推測だから……」
「そうか……」
余程、衝撃的だったのか、兄は煙草を吸い出した。
ああは言ったものの、舞には確信に近い勘がある。
魂を媒介にすると言葉を濁していた。
秘密を漏らしたことの罰で、ユキの魂が輪廻の枠組みから外れた。
双子の神様が言及していた訳ではないけれど、優しい口調で語りかけていた二人が、あの男の前で発した、おぞましく罵る声。
それが舞の勘の要因で、けれども最後には二人は男を許し、そして男は消えた。
あの男がどうなったのかは正直分からないし、考える事すら今はしたくない。
ただ男の先祖と双子の神様に因縁があったのだろうとは想像できる。
それはきっと……
「でもさ、俺らも光に包まれたじゃない? もしかしたら未来が見えたり、神様と繋がることが出来るかもしれないってことだよね」
煙草を灰皿で消し、目を閉じてゆっくり息を吐いている。
そんな兄の姿を見て、きっと本来は誰しも繋がっていて気が付いていないだけなのかも。
神様とも皆とも繋がっているのかも。
漠然とした想いが湧いた。
「まだ、覚醒してないみたいだな」
兄は真顔で首を傾げている。
「もうしてるんだよ」
そんな兄の肩を小突くと、
「バレてたか」
腕組みをして、ドヤ顔をしている。
「はいはい」
声に出して笑い出すと、兄はニッコリ微笑んで、ハンドルを握り車をスタートさせた。
その顔に朝陽が当たり眩しそうに片手でサンバイザーを下げている。
前を向くと、まだ低い位置にある太陽が山の上から町を照らしていた。
そういえばあの四散した光の意味は何だったのだろう。
双子が言い掛けた言葉も……
舞が手を翳していると車は山の陰に入りカーブしながら坂道を上り始める。
フロントガスの向こうの雲が流れてうっすらと白い半月が顔を覗かせていた。
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