伝えて
兄の煙草の匂いが風に乗って顔の前を通り過ぎる。
神様の伝言をどのようにあの二人に伝えるか。
舞は神様の話を思い出していた。
――時が止まっている。
この瞬間、兄と自分だけが双子の神様の言葉を聞いている。
「啓助と舞……今から話すことは、この子達への伝言だと思い。聞いて欲しい」
香の口から少女の声がする。
ユナだ。
「あんたらの判断でこの子らに伝えるんもええ、伝えずともええ」
美樹と口調がそっくりのユキだ。
兄を見るとキョロキョロと辺りを見回してこっちを見た。
「よいか、本来であればこの二人の魂は天の召喚に応じなければなりません……」
「それがな、運命……やったんや……」
双子の神様は語り出した。
「されど、私達は彼者との約束をした。その者たちが申す通り人の世に一度とて光と愛が見えたのならば、二人に代わって天の召喚に応じ、二人を皆の元に残そうと。同じ人の世の神の魂が戻るならば、天の神も異論はあるまいて」
「うちがな愚かやったんや……ある者の言質や行為を善意として捉えて、天への道を教えてしまったん……その者は天に赴き叡智を掠めた……」
「本来、魂は輪廻を繰り返す。輪廻の先はこの星だけではないの。ユキが天との約束を反故にした罰で、魂は永劫にこの島に残ることになった。私は生を全うした後、ユキを憐れんで一緒にこの島に残ったの」
「どれくらい経ったったんか、ある時一人のお坊さんが、うちを見つけた。事情を呑み込んだその坊さんは、うちらの魂が住まう空間を創り、結界を張った」
「お大師様……」
「そう、舞は物知りね。この世ではそういう風に呼ばれているのよね。彼は優れた人物で、何の脈絡もなく純粋だった。世のため人のために」
「心を打たれた、うちは彼に天の理を教えた。彼者ならば、それを世のため人のために使いこなしてくれるであろうと、ただ驚いたんは、彼はその仕組みにうすうす気づいていたん」
「しばらくして、彼はお礼をと称して霊場を創り、神宝の結界をより強固にして、夕凪島の人々の安寧を祈念したの」
「それから、うちらに気が付いたんは、面白い二人の女性やった。懐かしい……あの者らはお遍路をしよった。楽しそうやったんでうちらは後を付けて一緒に巡ってん、そしたらあの者たちにはうちらが見えよったん」
「結界の中に住まう私達は、普通の人々には見えないの……たとえ巫女の、神の血筋であっても。ただ私達の意志があれば、啓助の前に現れたように見せる事は出来るの。ただ、大岩の石像が本来あるべき場所からズレたことにより、結界の空間に歪みが生じて、姿を現せる場所が限られてしまった……舞と出会えなかった理由もそれが原因だったの」
「そしてまともに会話ができないという齟齬も生じていたんや、なんとか舞を結界の中に呼ぶことは出来たんやけど、空間の歪みによって結界の中でも会うことが出来んかった」
舞は疑問を投げかけたかったが、それを噛みしめて二人の話に耳を傾ける。
「それから、そのお遍路の女性達と残りの霊場を回り終わった後、そのうちの一人がうちらが祖神と気が付いたんや、話を聞いてみると、うちらの末裔であるこの子のお婆ちゃんやった」
「まあ、私達の事が見えた時点で私達はその可能性は理解していたけど、そんなことよりも、何より楽しかった。末裔とその友達。つまり、あなた達のお婆ちゃんね」
やっぱり……
お婆ちゃん……
香さんのお婆さんに会いに行っていたんだね……
ただ、本当に神様に会っていたのには驚きを隠せない。
「末裔は遥という名で……孫の代で天へ魂の召喚があるのは何故か? 魂が召喚されるという事は、やはり孫は死んでしまうのか? そう問い掛けてきた。遥には未来が見えていたの。詳しいことは言えないけど、それは運命だからと答えたわ、魂が天へ帰るだけで、またどこかに転生するだけなのだから」
「美樹ちゃんも?」
舞の問いに、ユキが答える。
「もちろん。血は引いてへんけど、魂は一代限りこの子に降りたん」
「何故召喚が必要なんですか?」
「それは……言えないわ……ごめんなさい」
「そこでな、遥は提案をしてきてん。若くしてこの世を去ってしまうのはあまりにも忍びない。私が変われるもんなら変わると。気持ちはよーく分かったんやけど、それは無理な相談で、今日、この日でなければならない……それは遥も分かってはいたようだが……そこでうちは提案をした。もし、そなた達のように、その孫達が人の人たるを示す者たちであるならば、この二人の代わりにうちらが天の召喚に応じようと」
「遥は一切の迷いなく、お願いしますと二つ返事をした。そして朱い勾玉を私達に差し出した。自分の友達の孫に渡してくれと、この子達とあなた達を導いて欲しい。後は孫達がそれにどう向き合っていくか、その試練を見極めて欲しいと」
「そして、結末がどうなるんか見定める者に選ばれたんが、啓助と舞、遥の親友の実日子の孫に当たるあんたらや」
「見定める者……」
兄が間を置いて反芻する。
「そうや……この島の歴史、結界、そして神舞が実際にどうなるのかを見定める者や……簡単に言うと、うちらが約束を果たしたかどうかってことやな、へへへ」
ユキが笑うとユナも釣られて笑い出す。
「だから私達が夕凪島に来るように仕掛けた……」
舞の言葉にユナが答える。
「そういうことになるかしら……でも私達に出来ることには限るがある。気になってこの地に赴いたのは、実日子の血を引いているからかもしれないわね…」
「もしかして、あなた達は、遥さんから提案を受けた時に、香ちゃんと美樹ちゃんの代わりになることを決めていたんじゃないですか?」
「フフフ、そうよ……」
「そうやで決めてたん。そやけど、啓助、舞、それにこの子達……人の世の神といはいえ、感情は人と同じ。ただ天の神と話が出来るというだけの事。あんたらは少なくとも私達に愛を示した。うちの心を癒してくれた。あの坊さんのように……ありがとうさん」
「これが大事なこと。本来、この子達が召喚されるという事は運命。理由は言えないけど賢いあなた達なら分かると思うの。何を意味するのか? それと、巫女の魂は媒介として天の神に通じることが出来るの、これを悪用しようとしていたのがあの………ううん、もう元の場所に戻したから大丈夫よ」
舞は自分なりに頭の中をフル稼働して、今までに見聞きしたことのキーワードを抽出する。
「神の血筋が絶える。それと引き換えに、人々に覚醒を促す?」
「そうやな。島の人々を覆った光の正体は遺伝子の枷を外したに過ぎない。感覚の鋭い人は変化に気づくと思うけど、大概の人はなかなか気が付かんやろな。中には香と同じような力に目覚める人間も出てこようが……」
「それが覚醒ということですか?」
「分かりやすく言うと、人間本来が持っていた、特に日本の人々が持っていた。思いやりと感謝、そして愛を呼び覚まし、人としての真の価値を世界へ示すこと。私達が生きていた御代より遥か昔の人々が保持していたものを、目覚めさせるきっかけという事ね、自分自身を信じて歩むの、自分を愛し、人を愛し、存在する全てに感謝出来た時に初めて人の世になる」
ユナの話は続く。
「善いも悪いも正しさも間違いもそんな小さな事に囚われないで、晴れの日に喜ぶのと同じ様に雨の日にも喜べることはあるの。晴れに日に喜べない事もあれば、雨の日にも喜べないことがあるの、実日子に教えて貰ったのだけどあなた達が使う文字の辛い、幸せ、という字、一があるかないかでの差しかないの」
「何故、今なんですか?」
「それが、天との約束の日だからやな、当事者ならいざ知らず、人は忘れていくものやろ。今まで幾度となく一つに団結できる時機が合ったんやけど、まあ来たるべき時の準備の為や。そうやな、それにはもう少しだけ時が必要やもしれんけど、人々が解かり合い、争わなくなる世を人の手によって創る……少なくともあと……」
「ユキ……それ以上は……本来、この島の人の世の神の血筋が絶えて、人、一人一人に委ねられる理になる筈だった。これから運命が変わり、この子達は人の子としてこの世に残る。気にかけてくれたら嬉しいな」
「ん? それは香さんの能力が無くなるということですか?」
「そうやな」
「それが、遥の望みでもあったからね。普通の人として生きて欲しいといのが……そうしたら、舞、啓助、あなた達の旅の思い出が楽しいものでありますように」
「うちらの希望をみんなに託したで」
ユナとユキはまた笑い出した。
「じゃあ、またね」
「またな」
まだ聞きたいことがあるという気持ちがありながらも、舞は宙に佇む香と美樹の事を見つめていた――
煙草の煙が休憩小屋の屋根を漂っている。
本来の運命なら、神の血筋は絶えていたという事。
一体、天の神とは何者でどういう存在なのか?
悪い癖で疑問が湧いてきた。
もう答えてくれる神はいない。
いや、香がいる。
その香に何処を伝えるか。
少なくとも先程の香の質問には答えよう。
香や美樹をこの世に残した意味があるのではないか?
見方によっては、天の神は人を見捨てたように見えなくもない。
あの子達、神様が言っていた人の世に戻すとは……?
遺伝子の何かしらの枷が外され。
それによって、人々が互いに理解し合い、争いのない世の中を創る。
その先駆けたるのが日本人という事なの?
それにしても、気になるワードが幾つかある「来たるべき時の準備の為……」「少なくともあと……」ユキが言い掛けたのをユナが止めた。
あれはどういう意味なのだろうか?
その後に続きそうな文言は、時間か……
それとも場所か……
もしくは、お婆ちゃんが本に書いていた日本各地に残る巫女の血筋の事?
そうだとしたら、あの時の光が四方に飛散したのは意味があったのか?
争いのない時代か……
縄文時代の再来って事かしら?
ああ、まただ……
霧の中を彷徨いだした。
それよりも大事な事、香さんの力は無くなった……この事は伝えないでおこう。
舞はそう決めた。
◇
香が美樹と休憩小屋に行くと啓助の吸った煙草の煙が小屋に漂っていて、その煙を舞がぼんやりと見つめていた。
声を掛けるよりも早く、啓助が気が付くと吸っていた煙草を消して、空中の煙を手で払っていた。
それを見た美樹が隣でクスクスと笑っている。
「啓助さんの車で、私達を家まで送ってくれませんか?さっきの話の続きをしたいので……」
香の申し出に、啓助は軽く微笑んで頷いた。
「じゃあ、行こうか」
舞は立ち上がると、こっちを真っ直ぐ見つめて、晴れやかな笑顔を見せている。
車に乗り込むなり香は同じ質問をした。
双子の神様は私達の身代わりになったのではないかと。
「それは、違うよ……」
穏やかな口調で舞は答える。
「あの子達、神様はそれを望んだの。見方によっては香さんが言う様な事も正解なのかもしれない。でも神様が望んだ事だから、少なくとも私は違うと思う」
「そしたら、何が起こったん?」
「夕凪島の人々の遺伝子の枷を外したってことみたい。日本人本来が持っている。思いやりや感謝といった愛のエネルギーを甦らせるって……ただすぐにそれが目に見えて現れる事ではないみたいね」
「そっか……神宝がなくなったのは、どうしてなんかな?」
香は質問を投げかけた。
「うん、単純に役目が終わったからだと思う。山頂の舞台が消えたように、封印の場所も、もう目に見えないかもね」
神宝が無くなった。
舞の話だと、あれらの洞窟も、もう無くなっている。
……でも、勾玉は香の胸元に今もある。
「そうしたら……もう神舞をすることはないんかな?」
「うん、きっとね」
舞は少し言い淀んで、また口を開いた。
「とりあえず、香ちゃんと美樹ちゃんは大任を果たしたんだよ」
香は頷きはしたが、何か忘れているような胸のつかえがあった。
「舞さん? 私達以前に神舞を行ったことはあるんかな?」
「あー、それは聞いたことがないな……」
香は、お婆ちゃんの手紙の一説の『双子の巫女が世に出る時、世に異変これありき…』異変というのは何なのか?
舞に聞いてみたかったが、誰にも話したらいかんという、祖母との約束を反故にする事が出来なかった。
「ところで、お兄さんと舞さんは、今日帰ってしまうんやろ?」
俯き加減の美樹が名残惜しそうに啓助と舞を交互に見つめている。
「うん、13時のフェリーで東京に帰るよ」
香は啓助が言う東京という響きが、凄く遠くの場所のように感じた。
「高松空港を16時に出て、1時間で東京だからね……」
「そっか……寂しいなぁ」
しおらしく、美樹は小首を傾げている。
一気に車内は静まり返って、そのまま香の家に着いてしまった。
自分達と一緒に車を降りた啓助と舞は、
「じゃあ、二人ともありがとう」
深々と啓助は頭を下げ、舞は歌を詠んでくれた。
素人だからね、笑って前置きをして、
「凪の海、白き下弦の月浮かび、二人が舞いし暁思う」
香が意味を尋ねると、
「空に下弦の月が見える度に、きっと二人が神舞を舞った時を思い出すんだろうな、瀬戸内海の凪いだ水面のような穏やかな気持ちで……」
そして舞は照れ笑いをすると車に乗り込んだ。
走り出した車を、香は美樹と角を曲がって消えるまで手を振って見送った。
振っていた手を胸の前で重ねながら、その角を見つめていた。
また車が出てきそうな気がして。
しばらくそうしていると、美樹がそっと手を肩に乗せてきた。
美樹も同じように角を眺めている。
「香……二人をさ、見送りに行かへん?」
「うん、行こう」
「そしたら、12時に香の家で待ち合せな」
「オーケー」
「そしたら、また後で」
小さく手を振り歩き出す美樹を見送り、振り返った空には白い半月がこっちを見ていた。
そうやね……私もきっと思い出すんやな……
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