その前に
登山道から賑やかな声が近づいて来る。
龍応は山を下りてきた啓助達を出迎えた。
暑さでの疲労もあるだろうが、四人の若者は爽やかな表情を見せている。
それに負けじと両手を大きく広げ声を掛ける。
香と美樹は龍応の姿を確認すると、微笑みながら近寄って来て挨拶をする。
その一挙手一投足が双子を連想させる。
小さい頃は確かに顔立ちは似ていたが、ここまで息が合う動作はしていなかったように思う。
休憩小屋に案内して麦茶を振る舞い、事の経緯の説明を受ける。
三人の女性が主だって話す内容は、まるで冒険譚を聞いているようで、少なからず心が躍る。
話に出て来た光景を実際に目にした訳ではないが、香達の後を追っていた仲間達の報告を聞いていなければ、この場で腰を抜かしていたかもしれない。
「なるほど……それでは集合は何時がよろしいかな?」
「山へ登る時間を考慮して、1時に西龍寺でどうでしょうか?」
「分かりました。1時にお待ちしております」
「今日は人が多いですね」
香の素朴な疑問に、龍応は笑みを湛え答える。
「お寺の手入れをしているんですよ」
「そうなんですね」
「久しぶりに来たからお参りしよ」
美樹が龍応の心を察したような提案をした。
龍応は自身が出来る最大限の後押しをする。
「折角ですから、経を上げましょう」
「ほんまに?」
「うれしい」
「やった」
三人の女性達の喜ぶ顔を連れて本堂へ誘うと、早速、経を唱える。
四人は一列に並んで目を閉じ手を合わせている。
龍応は、彼の者たちに加護あらんとの一心で精を込めて言の葉を紡いだ。
やがて経が終わると、それぞれが清々しい笑みを浮かべ礼を述べていた。
そして香が、何か思い出したのか口を開いた。
「ご住職、神舞を舞う時の服装はどうすればいいんでしょうか?」
「一応、瀬田神社の方から今年の神舞でお二人が着用された装束と扇子をお借りする事にはなっています。が、そこに関しては特に気にしなくても良いのかもしれません」
二人の巫女が。
示された時間、場所にいること、そこで必要な物を手にし神舞を舞う。
口伝や皆の調査からは衣装や音楽についての言及はない。
「では、神舞の音楽はどうなるのでしょう?」
舞の問いに龍応は答える。
「さすがに奏者をその時間に集めるのには現実的に難しいです。ただ音源は宮司から借りていますから大丈夫です」
「音はいらないかもしれない……」
小声で呟いた香。
龍応が質問を投げかけるよりも早く香は喋り出した。
「もう一つの神舞があるんです」
香は美樹を見つめ、頷いた美樹が話し始める。
「うちらな、香のお婆ちゃんに小さい頃に歌と踊りを教わってるん、もしかしたらそれを踊るんかなって」
「先日思い出したんですけど、お婆ちゃん……祖母はその時が来たらお山に入って神舞を踊るんやって言ってました」
「何と……」
遥様か……
有り得ない事はないか。
あの方であれば……
幸の夫の浩二と幼馴染であった縁から、松薙家と直接的に関わる様になって。
何度か会ったことがある。
御心を外に見せない方だった。
ただ会う度に「いつもありがとう」そう言葉をかけてくれていた。
今の香達の話を聞いて思うに、我々の事を知っていたから出た言葉ではないかと考えてしまう。
「ご住職?」
香の声に我に返ると、漆黒の瞳がこちらを見つめている。
吸い込まれそうな、この瞳……
そう遥様にそっくりだ。
「分かりました。ただ、保険の為に伝統の神舞を舞って頂いて、その後にもう一つの神舞を舞うというのはいかがでしょう?」
答えに納得したのか、香と美樹は揃ってニッコリ微笑むと軽くお辞儀をした。
「他に何かありますかな?」
そっと啓助が片手を挙げる。
「素朴な事なんですが、僕たち兄妹がその場にいていいのでしょうか? 舞の事もあって協力させて頂きましたが、大事な何というのでしょう、儀式とでもいうんでしょうか? そのような場所にいてもいいのかと思いまして」
「かまわんの……いてください二人とも……」
間髪入れずに、香は素早く言葉を発した。
香にしては珍しく人前で感情をあらわにしていた。
「そうや、見届けて欲しいねん」
同じように美樹も少し声を荒げている。
無論、龍応に異存があろう筈がない。
こちらを見つめる啓助と舞に、大きく頷いて見せた。
「ありがとう。じゃあ、私とお兄ちゃんがしっかり二人の神舞、見届けるね」
舞はそう言うと二人を抱きしめている。
それを傍らで優しく見守る啓助。
この四人の関係性が龍応には年甲斐もなく羨ましく思えてならない。
願わくば幾久しく加護あらん。
ただただ、そればかりを念じていた。
◇
山門まで見送りに来てくれた龍応に礼を述べ。
車に乗り込むと、舞は気になっていたことを香と美樹に尋ねた。
「香ちゃんのお婆さんが教えてくれたもう一つの神舞って、どんな感じなの?」
「えーと……踊りに歌が付いていて……歌詞も童謡みたいな感じのものやけど」
「こんなんやで、まあるいおひさま、おつきさま、さんかくおやま、なみなみおうみ、ひがしのそらに、むつほしのぼる、しろいひめさん、あかいひめさん、あまのかみさん、ごきげんいかかが、みたまことたま、めでよめでよ、さちありて、すまるのたましい、いくひさし、これを3回繰り返すんねん」
美樹が歌い終えると、舞はもう一度とおねだりをした。
美樹は嫌な顔をすることもなく歌ってくれ、その中で何となく引っかかった『東の空にむつほし昇る』『すまるのたましい』のフレーズを記憶した。
「舞さん、何か気になる事でもあるん?」
香の問いに、整理がついていない仮説を話してみる。
「東の空にむつほし昇るって所と、すまるのたましいって所がね、もしかしたら時間を意味しているんじゃないかって思ったの。すまるは昔の言い方で、今はすばるって言うの。すばるはプレアデス星団。つまり星の事を指すのかなって、だとしたら、むつほしのことも恐らくすばる。確かすばるは五つから七つだったかな、肉眼でも見える明るい星々の集まりなんだ。それが東の空に昇る頃に神舞を舞う」
香と美樹は舞の話を聞いてスマホで何か調べ始めたようだ。
この数日だけで。香も美樹もいい意味で積極的になってきたような気がする。
本人達が直面している事柄である事も少なからず影響している部分はあるにせよ、二人といると心地良い感覚があった。
子供じみた事を言うと、この謎が解けないでずっと一緒に時間を過ごしたいと思っている。
そんな感情がいつからか存在している。
「すばるって冬の正座で、オリオン座の近くにあるんやって、知らんかった…」
「舞さん、朝方の3時から日の出位に、東の空に見えるって…」
「ありがとう、時間は3時から明日の日の出の間。これで条件は整ったね」
「分かりました。しっかり、見届けて下さいね、舞さん、啓助さん」
香の自信に満ちた表情に、舞は嬉しさと寂しさの境界線に浮かんでいた。
「舞さんに、うちらが踊っている所、リアルで見てもらえるもんな」
そう話す美樹も同じような顔をしている。
車にゆっくりブレーキが掛かる。
「さあ、美樹さん着きましたよ」
「じゃあ、また……後でやな」
サイドミラー越しの美樹は車が角を曲がるまで手を振っていた。
「舞さん、啓助さん、色々ありがとうございました。私達だけやったら、結界を解いたり色んな所へ行ったりするん難しかったと思うんです」
「お互い様だよ……それに前にも言ったけど、私達が香ちゃん達に出会うのは必然だったんだよ……だから気にしないでいいよ。それに、まだ最後の総仕上げ終わってないでしょ?」
「へへ、そうやった」
香は下をペロッと出して、小首を傾げている。
「ところで、香ちゃんのお婆さんてどんな人だったの?」
「んー? 普通かな、何か特別にしていた訳じゃないから、よく遊んでくれたんは覚えてるけど」
「香さんは、お婆ちゃん子だったの? 舞は、まさにお婆ちゃん子だったからなぁ」
兄は自分はそうじゃないような言い方をしている。
ただ、歴史に興味を持たなかっただけで、お婆ちゃん子だったのに……
「へー、舞さんはお婆ちゃん子やったん? そしたら私もそうなんかなぁ、お父さんやお母さんとの記憶もあるけど、小さい頃の思い出は、お婆ちゃんと何かしている事が多いかも」
「私の場合は、お婆ちゃんが歴史の先生だったから。ああ、でも先生をしていたのを知ったのは、お婆ちゃんが亡くなってからだったんだけど、その影響で歴史に興味を持ったのは確かだけどね」
「そうなんや」
「だからね、我が家で舞は女王様って小さい頃呼ばれていたんだ」
「女王様?」
香は顔を前に突き出し、興味津々らしい。
「もう、お兄ちゃん……」
小さい頃は女王様という言葉の響きと、もてはやされて気分が良かったのは確かだった。
別に恥ずかしがる事でもない、家の中だけの事であって何がどうという訳でもない。
「あ、香さん着いたよ」
香は女王様が余程、気になったようで車を降りてからも聞いてくる。
舞が戸惑っていると、兄が話し始めた。
正月に行なっていた早川家の百人一首のかるたで、舞が一人勝ちする事から、誰が言い出したか分からないけど、女王様って呼ばれていたんだと説明をしていた。
香は頷きながら聞いていたが、
「百人一首……?」
そう呟いて視線を宙に移している。
「じゃあ、また後でね、香ちゃん」
「また後で」
香はペコリとお辞儀をして髪を耳にかけながら微笑み、そして車が走り出すと、美樹と同じように姿が見えなくなるまで手を振っていた。
◇
香達が西龍寺を去った後、龍応は母屋の地下室の円卓に座り、越知、大江、毛利、川勝の四人を前に夜の手配を講じている。
カラスの目的が分からい上に、香や美樹が巫女の血筋であることに勘づいている可能性がある以上、万全の態勢で二人を守らねばならない。
何も起きなければいいが。
小さなため息をついて話し始めた。
「私と川勝で山頂を警護します。境内には……龍順さんとイ組とハ組の面々で。西龍寺への山道、遍路道は毛利さんとロ組、ホ組。大江さんはそのまま瀬田神社に残って頂き、ニ組を束ねて、カラスのマーク及び、跡部家、松薙家の警護を頼みます。それとこの会合が終わり次第、各自交代で仮眠を取って頂き、当該時刻に支障がないように願いたい」
大江は片手を挙げて話し始めた。
「報告です。えー、カラスは先程、土庄港からフェリーに乗り、岡山へ向かったと報告を受けています」
「なるほど、陽動かもしれませんね」
川勝が推測する。
「陽動? 例の二人いるって話ですな。一応カラスの拠点にも人を付けていますが、今の所、動きがあったという報告はないですなぁ」
「なるほど、念のため土庄港に見張りを置いてください」
川勝は慎重だ。それで間違いはない。
「心配には及びません、手配済みです」
大江も抜かりない。
「カラスのマークは、そのまま継続してお願いします。そして何が起きても、一切の事は他言無用を再度周知して頂きたい」
四人が総じて頷くと、会合は解散となった。
龍応が地下室に施錠をして最後に階段を上がる、。
奥座敷の襖を開けると川勝龍太郎が待っていた。
「何かありますか?」
「カラスは相当の手練れです。もちろん我々も万全を期しますが、大内君を山頂の護衛に付かせたいのですが?」
「分かりました、そのようにお願いします」
「理由をお聞きにならないので?」
「あなたが、そう言うからには根拠があるのでしょう、問題はありません」
川勝龍一郎は一礼すると座敷を出て行った。
龍応が母屋を出ると、傾いてきた陽射しが境内に注いでいる。
人が多い以外は何も変わらない。
暑さがあるとはいえ穏かな日常だ。
嵐の前の静けさと言ったところか。
その昔、火災から寺を守ったという楠に手をかざし、お守り下さい。
そう念じた。
まるで応えるかのように木漏れ日が揺れる。
幹に止まっていたテントウムシが飛び立った。
踵を返し登山道へと足を向ける。
山の頂きに姿を現した舞台を目にしておきたかった。
木々と土の香気が溢れている山道を進む。
視線を感じて脇を見るとモンシロチョウがヒラヒラと気持ち良さそうに舞っている。
不思議とそれは頂に着くまで、龍応と歩みを共にした。
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