香と美樹
食事が進まなくなった香は、残った夕食にラップをかけて冷蔵庫にしまった。
そして居間へと向かう。
プルル……
スマホが鳴る。
母からだった。
「あ、香、あのね、店長の話だと美樹ちゃん一度、お店には来たらしいんだけど、忘れ物がある…」
「ちゃう落とし物や」
背後で店長の声がする。
「そう、落し物があるって、一時間遅れてもいいかって店長に許可を貰って出て行ったらしいん。そん時、店にあるバスの時刻表を見てたみたいなんよ、香、心当たりあるん?」
えーと。
一時間だったら寒霞渓からなら戻れない。
そうしたら……皇踏山かな?
香は皇踏山の山道と洞窟迄の道のりを母に伝えた。
「皇踏山やな」
今度は美樹の父親の声がした。
「ありがとう、そうしたら哲っちゃんと皇踏山見てくるわ」
「あ、うん、気を付けて」
電話が終わり仏壇の前に座ると、またスマホが鳴る。
今度は啓助からだった。
「もしもし」
「こんばんは、香さん、一つビッグニュースがあるんです」
穏やかな口調だが高揚感が感じ取れる声は文字通りの報告をもたらした。
「もう一人の巫女が誰だか分かりましたよ……美樹さんです」
「え?」
啓助の「美樹さんです」という声が頭の中に何度も反響する。
「……もしもし? もしもし? 香さん? 大丈夫?」
「はい……」
「驚いたでしょう? かく言う自分達も驚いたんだけどね……」
そして美樹がもう一人の巫女である理由を説明してくれた。
土庄町にある湊写真館に飾ってあった、小学校の入学祝で撮影した香と美樹の写真。
それが、啓助と舞が会った双子の神様にそっくりだったということ。
話の様子から疑う余地もないが、香が夢の中で出会った双子は自分達に似ているとは思わなかった。
その事を告げると、
「それはね、香さんが夢で会った双子が本来の姿で、僕らが出会った双子はあなた達に導くために、香さんと美樹さんの姿を借りて顕現したんだと思う」
香の疑問に啓助はサラッと答えた。
啓助の話すことが事実なら香にとって嬉しくて喜ばしい事。
だけど――
「あの、啓助さん…」
美樹の現在の状況を啓助に説明した。
「え? 落し物……皇踏山に戻った……あの雨の中?」
「そうなんです……」
「とりあえず、今からお宅にお邪魔してもいいですか?」
「いいですけど……」
「じゃあ、向かいますから、また後で」
啓助は早口でまくし立てると電話が切れた。
香は大きな吐息を吐いて仏壇に向かって話しかけた。
「お婆ちゃん、お爺ちゃん、お父さん、お姉ちゃん、美樹大丈夫だよね……美樹を守って……」
香は勾玉のペンダントを首から外すと、両手で包み込み美樹の事を思った。
頭の中に映像が映る。
暗闇だ……
これは、もしかして……?
「美樹?」
声を出してみるが返事はない。
感覚的には舞さんと会話した時のような感じだ。
「美樹? おるん?」
「あ、香なん?」
「ああ、美樹、無事なんね……良かった」
「え、あ、うん」
「何処にいるん?」
「へへ、皇踏山の洞窟……ハックション……」
美樹は鼻をすすっている。
「何でなん……さっき、そっちに私のお母さんと、美樹のお父さんが向かってる。みんな心配してるん」
「あ、今何時?」
「え、17時半過ぎ」
「あちゃ、店長に謝らな……」
「スマホは? どうしたん?」
「へへバッテリー切れてしもうた……てか不思議やな、声に出してへんのに会話が出来るんて」
「もう、そんな事はいいから、雨止んだみたいよ」
「ああ、それがな……あの洞窟の部屋に閉じ込められたみたいなん」
「え? え? なんで?」
「へへ、それは……」
◇
美樹は落し物の髪留めを探しに皇踏山に向かっていた。
山を下りる時に転んだことを思い出して、そこで落としたのだと思った。
土庄町のショッピングモールのバス停で降りると、タクシーに乗り換えて宝樹院に向かう。
雨は降っているが雷の音は遠ざかっているようで少しホッとした。
宝樹院の境内の裏手から続く山道に行こうとしたら。
黒いレインコートを着た男の人が下りて来ているのが木々の隙間から見えた。
ちょっと気味が悪かったから、境内に戻って本堂に身を潜めてやり過ごした。
男の人が境内を出て行くのを見届けて山道を登り始める。
道は抜かるんでいて、風が木を揺らすたびに落ちてきた滴が傘に当たりパラパラと音を立てる。
家に帰るのだろうかカラスの鳴き声が聞こえた。
髪留めを探しつつ俯きながら山道を歩くこと10分位。
それは見つけてと言わんばかりに、葉っぱの陰から鮮やかなピンク色をのぞかせていた。
しゃがんで葉を避けると桜の花が顔を出す。
「良かった……」
拾い上げると髪留めは泥に塗れていて、汚れをティッシュで拭く。
幸いにも壊れてなくて、フェイスタオルに包んでバッグに仕舞う。
大きく吐息をついて立ち上がった。
「よし、帰ろ」
呟いて振りむいた時。
すぐ傍にレインコートの男が山道を登って来ていた。
なんで?
どうして?
足がすくんで動けなかった。
男は美樹の前で立ち止まった。
顔はレインコートの帽子と薄暗さで見えない。
その時――
男の後方からザッ、ザッ。
早足の足音が近づいてきた。
「美樹ちゃん」
聞き覚えのある声がして、ずぶ濡れの京一郎が姿を現した。
知っている人がいる安堵感。
何でここにおるん?
という不信感が交錯する。
レインコートの男は顔を伏せたまま、
「クククっ」
気味の悪い笑い声を上げていた。
美樹は自然と後ずさりをして傘を両手で持って身を縮めた。
京一郎は男と美樹の間に割って入ると、美樹の両肩を掴んで顔を寄せてきた。
へっ?
何?
美樹は動けずに目を閉じて俯く。
すると、耳元に優しい声が囁いた。
「いいかい、今から10数えたら山道を駆け下りるんだよ」
目を開けて顔を上げると、頭から雨に濡れて滴がしたたる顔がニッコリと笑っていた。
美樹は目で頷く。
京一郎はウインクをして美樹に背を向けて男と向き合った。
「君には失望したよ」
「そうかい?」
突然、京一郎が男に殴りかかった。
レインコートの男はスッと身を躱すと美樹の前に道が開けた。
「走れ!」
京一郎が叫ぶと、美樹は二人の脇を駆け抜けようとした。
そこへ、男の手が伸びてきて行く手を塞ぐ。
その瞬間。
美樹の体は少し宙に浮いて後ろに吹き飛んだ。
「美樹ちゃん」
「うっ…」
地面に打ち付けられ痛みがお尻に走る。
「逃げろ!」
京一郎の声に、美樹は立ち上がる、
山道を一目散に駆け上がった。
何が起こっているのか分からないまま走り、気が付くと昼間に来た洞窟に逃げ込んでいた。
息を整えても鼓動は早い。
傘を畳んで、しゃがみこんで丸くなった。
スマホを取り出し香に連絡しようとしたら、バッテリーが切れていた。
どして……
ガックリ肩を落とすと、宙を見上げて呟いた。
「神様………香……」
不安と恐怖が込み上げる中。
大丈夫、大丈夫……
呪文のように心の中で唱えていた。
ここは山道から逸れていて分かりにくいし、やり過ごせる。
きっと大丈夫。
ザッザッ……
足音が近づいてくる。
また鼓動が早くなる。
京一郎さんやったら名前を呼ぶはずや。
声は聞こえない。
美樹は震えながら、静かに立ち上がる。
洞窟の奥へと慎重に進み階段を下りて、石室の隅っこに丸くなった。
何がどうしてこんなことになっているのか。
分からないまま時間だけが過ぎて行った。
あれから足音は聞こえない。
美樹は意を決して、傘を棒のように構えて様子を見に行こうとした。
「は?」
あったはずの階段が消えている。
嘘やん……
美樹はその場に座り込んだ。
◇
香は美樹の話を聞いていて、いくつか疑問が湧いた。
尋ねる前に美樹が口を開いた。
「京一郎さんも何でおったんやろ? 大丈夫やろか? でも、何か男の人と知り合いぽかったし。でもな、あの人どっかで見たことあるんよ……」
「でも、レインコート着てたんやろ?」
「あぁ、思い出すとゾクゾクするんやけど。本堂の扉をちょっとだけ開けて様子を見てたんよ。その人が境内の山門を出て行こうとした時。不意に振り返ってん、レインコートのフードのつばをあげて、境内を見回してこっち見たんよ。怖なってすぐに隠れて、また覗いて見たら歩いて行ってたん……ああ、そうやあの人に似てるかも福山さんに……」
「福山さん?」
「ほら、潮風公園で写真を撮ってくれた記者さんおったやろ?」
「ああ、おった……でも、その人やったら別にあれなんやない」
「ううん、何か怖かったんよ……雰囲気というか。似てるって思っただけで、ちゃうかもしれんし」
「そっか、そしたら、どうやって出るかねそこから……」
香はハッと思った。
私が行けばいいんだ。
「美樹待ってて、私もそっちに行く」
「え、うん、分かった。ありがとうさん。香」
美樹待っててね。
香は目を開けると仏壇に手を合わせて居間を出た。
お読み頂きありがとうございます。
感想など、お気軽にコメントしてください。
また、どこかいいなと感じて頂けたらスキをポチッと押して頂けると、
とてもうれしく、喜び、励みになり幸いです。




