少女
啓助は何げなく休もうと瀬田港の近くにある潮風公園の駐車場に車を止めた。
さすがに、西龍寺、ユナキ神社と、普段歩いていない啓助にとって、足に疲労がたまっている。
さらに、久しぶりの運転も、それに輪をかけた。
煙草に火をつけフロントガラス越しの空を眺めている。
青い空を一匹のモンシロチョウが舞っている。
最初から分かっていたことだが、手掛かりの一つもない。
吐き出した煙が空に靄を掛けた。
コン、コン。
不意にドアをノックされた。
助手席の窓越しに麦わら帽子を被ったセーラー服姿の少女がこちらを見ている。
クリッとした黒い目がじっとこっちを見つめていて、最初はビックリした。
でも、子供だと分かり、灰皿に煙草をねじ込んで車を降りた。
少女はその場から動かず啓助の動きを目で追っている。
髪は肩ぐらいまでの長さで、見た感じは小学校一年生位だろうか?
「おじちゃん、何してるの?」
少女はこちらを見上げようとして、大き目の麦わら帽子が前にズレてきたのを両手で直している。
啓助は女の子の前にしゃがんだ。
「散歩だよ」
「きゃははは」
少女は突然笑い始めた。
「何がおかしいの?」
啓助の問いに、少女は笑っているだけで何も言わない。
微笑みながら少女は片手で帽子を押さえる。
少しの風でも飛びそうなほど、サイズがあってないようだ。
もしかしたら、母親のを借りているのかもしれない。
「おじちゃんは何か探しものですか?」
「え? 何でそう思うの?」
「何となく……かな……」
少女は肩で帽子を押さえたまま首を傾げる。
「でも、おじちゃんが探しているものは知ってるよ」
「え?」
啓助は少女の言っていることが理解出来なかった。
舞を探してることを知っているということ?
この子が?
「ねえねえ、何で知ってるの?」
「うーん……おじちゃんは誰なの?」
少女は啓助の質問が、まるで聞こえてないかのよう。
「僕は早川啓助って名前だよ、君は?」
「私は……」
「私は……誰だろ?」
「え?」
腕を組んで頬を膨らませている少女。
冗談なのか、本当なのか。
少女の大きな瞳は宙を見据えている。
左目の下のホクロが際立って見えた。
少しずつズレていく麦わら帽子を片手で素早く、ペタっと抑える。
「名前を思い出せないの?」
「うん……」
帽子を押さえたまま少女は頷いた。
「だって、私……何も覚えてないの……」
「え?」
まさか、迷子?
記憶喪失とか?
「じゃあ……君のお父さんやお母さんはここにはいないの?」
少女は首を横に振った。
また麦わら帽子がズレて両手で直している。
「そっか……ちょっとそこに座ろうか」
駐車場の脇にあるベンチを指さし歩き出した。
少女は黙ってついてくる。
ベンチに腰掛けしばらく潮騒と風が流れる。
どういうことだろうか?
少女は帽子と戯れながら海を眺めている。
普通の子供のだけど……
なんで、俺に探し物なんていったんだ。
「君、おじさんが妹を探しているの知ってるの?」
少女は首を傾げた。
「会いたいの?」
「え? ああ、うん」
思いもよらない答え。
会いたいってことはどういうこと。
少女は両手を体の後ろで組んだり戻したりして落ち着かない様子だった。
「じゃあ……私が探してあげる」
「え?」
微笑む少女。
さっぱりわからない。
この子が探すって?
自分の名前も分からないのに?
「君が、探せるの?」
「うん……」
少女は少し俯き加減で麦わら帽子のつばを両手で持ったままを頷いた。
話しを合わせてくれてるだけなのだろうか?
それにしても、名前も両親のことも分からないって。
「君のお母さんか、きっと君のこと心配してると思うよ、家はこの辺り?」
少女は麦わら帽子を押さえたまま首を横に振った。
「おじちゃんの妹の名前は?」
「え?……舞って言うんだ」
あれ?
妹を探しているって言ったか?
「舞ちゃん?」
「うん」
少女はまた黙ってしまった。啓助もこれ以上何を言っていいのか分からず黙るしかなかった。
発言が気になり事ばかりだけど……
とりあえず近くの交番に連れて行こうか……
しばらく二人で海を眺めていると、少女が沈黙を破った。
「その、舞ちゃん、この島にいるよ」
「え?」
帽子のひさしの影で、にっこり微笑んでる色白の少女の顔。
「舞がいるの? この島に?」
少女は立ち上がり、啓助の車に寄りかかり話を始めた。
全く舞の話とは関係ない島の話。
ところが、少女の話は面白かった……
本当に不思議な子だ……
まるで、この海を昔から知っているような口ぶりだった。
しかし、少女の話には何か引っかかる所があった。
それが何かは分からないが……
「ところで、君のお名前は?」
もう一度聞いてみる。
「分からない……」
はにかみながら少女は隣に腰を掛ける。
海を見つめたまま黙り込んだ。
足元に白い帯を纏った鳥が一匹チョコチョコと近寄って来る。
少女はニッコリ微笑んで、両手で麦わら帽子のつばを押さえながら鳥を目で追っている。
年相応な反応のように見える。
「もう来るよ」
「?」
まるで鳥に話しるように少女が囁くと、鳥がもう一匹、何処からともなく飛んできた。
「フフフ」
楽しそうに少女が笑う。
すると、二匹の鳥は鳴き声とともに飛び去った。
啓助がその行方を追っていると少女が話し始めた。
「私、舞ちゃん探す」
「え?」
「舞ちゃんはこの島にいるの、だから私が舞ちゃん探す」
少女は立ち上がり帽子を直しながら歩き出した。
そして、こちらに振り返り、
「おじちゃんも、探してね……」
たどたどしく話すと、少し首を傾げた。
また麦わら帽子がズレて両手で直している。
「分かった。じゃあ、車に乗って」
とりあえず交番で保護してもらおう。
啓助は車に乗り込みドアロックを解除した。
少女は窓越しに手を振りながら車から離れて行く。
その少女の顔には無邪気な笑顔はなく――
無表情だった。
「ちょっと、待って」
啓助が車を降りて少女が歩いて行った方を見ると、
「え?」
すでに姿は見えなくなっていた。
「今のは……」
きょろきょろと辺りを見回す。
どういうことだ。
呆然とさっきま少女がいたはずの場所を見つめる。
……夢か幻か。
パシン。
啓助は漫画のように自分の頬を叩いてみた。
当然、痛みが走る。
「夢じゃないんだよな……」
車に乗り込み大きなため息を一つ。
どういうことだ?
あの少女は一体……何者なのか?
どこかで見たような……会ったような気がしないでもない………それに――
「舞がこの島にいる………探すって」
シートに凭れ、眺める空は茜色に染まり始めていた。
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