8話 枸杞能登神社の神主
式が猛然と駆け出し、老婆へと飛び掛かる。夏南は警戒しながらも、この空間であれば大丈夫であろうと考えていた。以前に時間をかけて張ったいくつもの結界は悪霊の力を弱める効果があるものばかりなのだから。それなりの強さを持っていても、先ほどのように全部ぶち破られるなんてことにはならないはずだ。
だが、そんな彼女の考えを打ち砕くように、老婆が腕を一振りしただけで式がはじけ飛ぶ。
粉々になった式が消えていく。
「……は? え、なんで? ウソでしょ?」
あまりにも突然のことで夏南は唖然としてしまう。戦闘特化型ではないとはいえ、一撃で倒されていいモノではない。それをあんな簡単に……ギギギと夏南は古いブリキのおもちゃのような動きで水無月を見た。
『ほぉ、やるじゃないか』
「やるじゃないか。じゃないよ! 全然結界の効果出てないじゃん!前にあんなに頑張っていろいろやったのに……!」
『そんなことはない。結界は問題なく動いているさ。だが、アレの力がそれをねじ伏せて無効化しているだけだ』
老婆がゆっくりとこちらに近づいてくる。夏南はどうするんだと叫びたいのを抑えつつ、すぐさま二体の式を呼び出す。
土佐犬型の式神が野太い声で吠える。夏南が早々に指示を出せば、式たちは一糸乱れぬ動きで老婆へと飛び掛かる。
さすがに戦闘特化型とあり、先ほどのようにあっさりやられてしまうことはないが、それでも鋭い牙は老婆の細腕を貫くことはできず、簡単に振り払われて決定打を与えることはできなさそうだ。
夏南は額から流れる汗を腕で拭う。そうしている間に一体が老婆につかまり、そのまま体を引きちぎられ消えていく。あっと驚いている間に、もう一体も捕まって首の骨を折られ消えていく。
もうこれはどうしようもない。自分の今の実力ではどう頑張っても勝てないと確信する。
「――無理!」
夏南がそう叫ぶと、水無月はフッと小さく笑ってからパチンと指を鳴らす。すると次の瞬間、どこからともなく無数のしめ縄が蛇のようにうねりながら現れ老婆の体に巻き付いた。
老婆が咄嗟に体を振って逃げ出そうとするが、骨を折るほどのそれを払うことはできず、老婆はあっさりと地面に縛り付けられた。
――ァァァアアアアアアアアッ!
神聖な力が満ちているのだろう。しめ縄が触れている部分がジュウと音を立てて老婆の肉体を焼いている。だが、それだけで倒しきることはできないだろう。ただ、動くことはままならないようだ。最初は激しく身をよじっていたが、今はもう体を微かに揺らす程度になっている。
本当に水無月という存在は何者なのだろう。と、夏南は思いながら老婆を見る。老婆はぐったりとしている。きっと、あのまま祓うなんて造作もないだろう。でも、彼女がそれをするとは思えなかった。
『少しばかり荷が重かったか?』
「重い重い! すっごく重い!」
片眉を上げて問う水無月へ激しく頷き、だから……と言いかけたところで、夏南は嫌な予感がして言葉を止めた。
そして、それは見事的中する。
『大丈夫だ。お前ならば、あの強敵を打ち倒すことができるだろう』
ポンと夏南の肩に手を置いた水無月はさわやかな笑みを向ける。そして、懐から黒い鞘に納められた短刀を握らせた。ズシリとした重さに夏南は顔を引きつらせる。
それに見覚えがあった。だが、それと同時に以前にも似たような状況で渡されたときのことを思い出す。
『コイツを貸してやろう。大丈夫、今のお前なら少しの間ぐらいは使えるだろう』
水無月がグッと親指を立てて消えていく。近くにはいるだろうが、きっと助けに入ってはこないだろう。と、これまでの経験が教えてくれている。
夏南は渡された短刀を握り締めながら叫んだ。
「いやいや! 女子高生に直接戦わせるってどういうことさぁぁぁぁぁ!?」
さぁ、戦えと言わんばかりに老婆を縛り付けていたしめ縄が消えていく。よろよろと立ち上がった老婆はしばし水無月を警戒していたが、気配がないことに気が付くと怒りの矛先を夏南へと向ける。
血走った目が夏南を射抜く。ああこれはどう頑張っても自分の力で戦うしかないだろう。そう察した夏南は呼吸を整えて短刀を鞘から引き抜く。
「これ使うの何年ぶりだろ」
漆黒の刀身が光を吸収し自身の霊力で煌めく。前回使ったのは二年ほど前だったか。あの時も、似たような状況だった。その時は一振りで霊力のほとんどを持っていかれて気絶したのだ。
しばらく使えると言われたけれど、今回はどこまで使えるか。
老婆が両手を振り上げて襲い掛かる。夏南は迫りくるナイフのように鋭い爪を半身になって紙一重で交わすと、その腕に短刀を突き刺した。
鋭い刃は式神ですら歯が立たなかった老婆の肉体をあっさりと切り裂き、そのまま振りぬいて腕を切断する。
ぼとりと落ちた腕が煙のように消えていく。
老婆が金切り声を上げて後退する。夏南は凄まじい切れ味と、思ったよりも疲れを感じないことに驚きつつ、流れるような動きで短刀を振るい老婆のもう片方の腕を切り落とした。
瞬く間に両腕を落とされた老婆は黒い邪気を鮮血のようにまき散らしながら、突然の逆境も理解できずに狂ったように叫ぶ。そして、鬼の形相ともとれる顔で体をめちゃくちゃに振りながら夏南へと飛び掛かった。
「げっ、何その動きっ!? 気持ちわるっ」
咄嗟に横に飛んで回避する。老婆は着地すると同時にもう一度飛び掛かる。その動きはまるで獣のよう。だが、短刀に込められた力のおかげで夏南の身体能力は大きく強化されているため、老婆の素早い動きもいくらかゆっくりに見えるので回避は容易だった。
短刀がチャリと小さく音を立てる。早く倒せと短刀がせっついてきているように聞こえた夏南は霊力を短刀に流し込む。強い疲労感が襲ってくる。が、まだまだ動ける。
「さぁ、終わりにするよ」
短刀の輝きが強くなる。夏南は柄を強く握りしめるとそれを軽く横なぎに払った。放たれた黒い斬撃が老婆の腹部を切り裂き、ズルリと音を立てて老婆の上半身が地面に落下する。一歩遅れ下半身がその場に倒れる。上下の切り口から勢いよく邪気が灰色の蒸気となって噴き出し、その肉体が同時に消えていく。
何が起こったのか理解できない老婆の顔から視線を逸らしながら、ソレが完全に消えるのを待つ。
完全に気配が消えると、夏南はその場にしりもちをついてしまう。そして、彼女がいるであろう方向に叫んだ。
「水無月のばかぁ! 私がやられたらどうすんのさぁぁぁッ!」
周りから見ればあっけない勝負だっただろう。だが、夏南からすれば壮絶な戦闘だった。一歩間違えれば死ぬ可能性が高かったのだから。悪霊と戦い慣れているとはいえ、今みたいな戦い方はほとんどしないので叫びたくなるのも無理もなかった。
『無事に勝てたのだからよいではないか。それに、私はお前があんな小物にやられるとは思っていなかったさ』
「そういって機嫌が直ると思ったら大間違いだからね!」
『ふっ、そう拗ねないでくれ。……本当に良くやったよ。短刀もちゃんと使えていた。もっと修業を積めば、いずれは私の刀も使えるようになるだろう』
水無月は甘さを含んだ微笑と共に腰の刀の鞘を軽く撫でる。時代劇などで侍が使うような日本刀。それをぶんぶんと振って戦う姿を想像した夏南はハッと自嘲気味に笑った。
「そんなおっきいの使ったらすぐに霊力切れ起こしちゃうから当分は無理だよ」
短刀を水無月へと放り投げた夏南は地面に手足を投げ出すように転がった。そして、「疲れた!」と小さな子どものように騒いだ。
だがそれも無理はない。水無月が貸してくれる武器はとても強力な力を持っている代わりに、持ち主の霊力を大量に消費する代物する。実際に、あの短時間で霊力のほとんどを持っていかれてしまった。動こうと思えば動けるかもしれないが、自分の力で動きたいとは思えなかった。
「もう、うごけなーい」
『まったく、そう怒るな。ほれ、おんぶしてやるから』
くっくっくと笑いながら、グテーと溶けたアイスのようになっている夏南へと水無月が手を差し伸べた時だった。
「――アンタたち! なにやってんのっ!」
勇ましい女性の声が響き渡る。その声が聞こえた瞬間、夏南はギクリとする。水無月に至ってはどこか呆れたような目で声のした方を見ていた。そして、肩をすくめながらスゥと消えていく。夏南は逃げられたと彼女がいた場所をジトリと一瞥する。
どすどすと足音でも聞こえてきそうな勢いで女性が近づいてくる。巫女服を着た女性こと――朝守奏南は今にも拳骨を落としてきそうな顔で、地面に寝転がる夏南を見下ろした。
水無月ほどではなくとも、かなり顔が整っている彼女の怒った顔はかなりの迫力があり、夏南は乾いた笑いをこぼす。
「あ、はは……奏南さん久しぶり」
「久しぶり、じゃないわよ! まったく、帰って来て早々なにをやってんのよ!」
「あーえーっと……悪霊退治……? と、言いますかそんな感じの……やつ、てきな……?」
顔を明後日の方向へ向けながらしどろもどろに答える。奏南は青筋を浮かべて夏南の頬を掴んで向かい合わせる。額がぶつかるほどの距離で、奏南は夏南の瞳を見つめる。
「夏南!」
「は、はいっ」
猛禽類のように鋭い目が夏南を貫く。恐ろしい剣幕に夏南はひえっと声を漏らして、次にやってくるであろうお叱りの言葉に備える。
「私、言ったわよね! 悪霊を見たら逃げるって! なのに? 悪霊退治ですって!?」
心臓を叩くような怒気に夏南はひぇぇと情けない声を上げる。それでも、奏南の形相は変わらない。だが、彼女がそう強く言うのも無理はない。神社の神主として悪霊退治なども行っている彼女は悪霊が恐ろしい存在だとよく知っているから。
だから、大切な姪っ子がそんな危ないことをして叱らないはずがなかった。夏南もその気持ちがわかっているからこそ、反発心を抱くことなく、大人しく叱られている。
奏南は真剣な表情で夏南を抱き起すと、強く抱きしめた。
「夏南、私は貴女にはできるだけ幽霊なんかとは無縁な生活をしてほしいの。……それがどれだけ難しいかはわかっている。でも、それでも……自分から危険を冒すようなことはしないで」
「奏南さん……」
そこで“ごめんなさい、もうしないよ”と答えることができたら、奏南は安心するだろう。そうわかってはいても、そんなすぐに壊れてしまうような張りぼてのウソを言う気にはなれなかった。
奏南も言いながら、夏南が自分の望むセリフを言わないとわかっているのか。長いため息を吐いてからそっと体を離した。そして、夏南の額を軽く小突いた。その目には先ほどまでの恐ろしさはなく、ただただ優しさに満ちていた。
「まったく、そういうところは貴女のお母さんにそっくりだわ」
「えへへ」
「褒めてないわよ」
「それにしても、よくここがわかったね」
寄り道をするかもしれないと思って到着する時間は伝えていなかった。それに、ここの結界は邪気も霊気などもできるだけ外に流れないようにしているので、それを感じ取ってきたとは少し考えられなかった。
奏南は「あぁ」と何でもないように答えた。
「貴女が乗ってきたバスの運転手から連絡があったのよ。それで、逃げ込んでこないから、どうせきっとここでバカなことをしていると思ってね。夏南が、ここに自分で結界張ってたのは知ってたから」
「えっ、あの人が?」
「そうよ。あの人は見える人だからね。何かあったときのために連絡先を渡してあるの」
脳裏に浮かぶは心底心配そうにする運転手の顔。まさか、連絡までしてくれるとは思っていなかったので、今度会うことがあったらお礼を言わなければと夏南は思った。そして、できればその時に視える人なのにどうやって普通の生活をしているのかも聞いてい見たいと思った。
「まったく、あの悪霊は強かったでしょ?」
「知ってるやつなの?」
「まぁね。アレは最近このあたりで出るようになってね。かなり強い部類で逃げるのがうまいから手を焼いてたのよ。だから、そろそろ人を呼んで祓おうかとも思っていたのよ」
それをお前が倒してしまったんだ。と、目で言われたような気がした夏南はすすすと目を逸らした。自分一人の力では無理だったから、水無月の力を借りたなんてうっかり言えばまたお説教が始まるに違いない。
身を小さくする夏南を奏南は静かに見下ろす。
「……まぁ、アイツの力を借りたとはいえ、よく祓ってくれたわ」
バレバレだったらしい。額に手を当てて呆れ混じりにそう言った奏南は立ち上がる。そして、そのまま神社のほうへと歩き出す。
「ご飯、用意してるからとりあえず帰りましょうか」
そう言い残してすたすたと去っていく彼女の後姿を茫然と見送った夏南は「えっ」という声を漏らす。そして、心の中で“動けないんですけど!”と叫んだ。
『いつもながら、うるさい奴だ』
ふわりと降り立った水無月が奏南の去っていた方向へと見ながら言う。しれーっと現れたそんな彼女を夏南は不満げに見る。
「私のこと見捨てでしょ」
『人聞きの悪い。あれは、お前にとって必要な試練だ』
「あー言えばこう言うんだから」
『まぁまぁ。ほら、手を貸してやろう』
差し出された手を遠慮なく掴む。水無月は力強く腕を引いて夏南を立ち上がらせると、そのまま横抱きに抱える。いわゆるお姫様抱っこというやつである。夏南は遠慮なく彼女の首に腕を回す。
少しひんやりとしているが確かなぬくもりを感じる。大好きな匂いに包まれて、夏南は全身から力を抜く。
「ちょっとだけ、ゆっくり歩いて」
『もちろんだとも』
ふわりとほほ笑む水無月の首筋に、夏南は顔をうずめた。




