7話 大丈夫、あれぐらい敵ではないさ
夏休みが始まるとすぐに、夏南は夜風と会えない寂しさを感じつつも新幹線に乗って叔母である朝守奏南が住む田舎へと向かっていた。
高速で流れる景色をぼんやりと眺めながら、車内販売されていたバニラアイスがいい感じに溶けるのをのんびりと待つ。
その隣に座る水無月はじっと窓の外を流れる景色を眺めている。その横顔はいつもの冷静で落ち着いたものとは打って変わって、口角が上がって楽しそうだということがよくわかる。夏南は思わずクスリと笑いを零す。
「本当に好きだねぇ」
『こればかりは仕方ないとしか言えんな。何度見てもこの景色は心が躍ってしまうのだから』
そう言いながら窓に張り付くその姿はもはや子どもだ。その珍しい様子は毎回のことながら、本当に可愛くて仕方がない。胸を温かくさせながら、夏南はそんな彼女を見守る。
そして同時に思う。この自称守護霊は一体何者なのか、と。生まれた時から一緒にいて、自身の力では乗り越えることのできないとされる危険から身を守ってくれる存在。それ以外はてんで謎に包まれている。
一つわかるのは、彼女が生きていた時代は今よりもずっと昔なんだろうなということぐらい。
『生きているときに蒸気機関車とやらに乗ったことはあったが、これはそれよりもずっと速いな。それに静かだ』
「まぁ、速さが売りだからね。これがなきゃ、たとえ休みでも奏南さんのところに行こうとは思えなかったね」
新幹線を使って二時間。一昔前であれば飛行機を使うことを考えなけれないけないほどの距離だ。が、そんな時代の飛行機と言えば、金持ちしか使うことのできない移動手段に過ぎなかった。普通の庶民たちは、ひいこら言いながら高速などを使って長い時間をかけてくるまで向かっていたものだ。
そう考えると、やはり新幹線という乗り物はとんでもない乗り物だ。これに乗ってしまえば、よほどのことがない限りあっという間に目的地に着いてしまうのだから。
やっといい感じに溶けたアイスを一口食べる。バニラの香りが口いっぱいに広がって、その後にやってくる上品な甘さに脳みそが蕩けそうになる。新幹線に乗ったら必ず食べるこのアイスは、車内販売のみの限定品らしく他では売ってない。だからこそ、余計に美味しく感じてしまうのかもしれないなと夏南はゆっくりと味わう。
『いつも食べているな。そんなに美味しいのか』
「美味しいよ。まぁ、ここでしか食べれないっていうのもあるかもしれないけどね」
はい、と言って一口分すくって差し出す。水無月は遠慮なくぱくりとそれを食べる。そしてもごもごと暫く味わった後、べぇ、と舌を出した。
『甘すぎるぞ』
「クレープが最近のお気に入りの人がなに言ってんのさ」
『いや、これは甘すぎるぞ。まるで砂糖でも食べている気分だ』
「大げさだって」
夏南のお茶で口直しをした水無月の表情はまだ渋いままだ。
「いつも思うけど、幽霊のくせに普通に食べたり飲んだりするよね」
『私はそこら辺のやつとは違うからな』
水無月は渋い顔を得意げな物へと変えて言葉を続ける。
『ある程度力を持った存在であれば、こちらの世界に干渉することは容易だ。まぁ、その代わり気配を完全に消すのが難しくなってしまったりなどの不都合はあるがな』
「水無月は違うじゃん。急にふらっといなくなるじゃん」
『そりゃあ、他とは違うからな』
ふふんと胸を張る彼女に、夏南はやっぱりよくわかんないなぁと考えながらアイスを食べるのだった。
暫く取り留めもない会話をしていた二人だったが、早起きをした影響だろうか、夏南が欠伸をし始めたのを見た水無月は会話を中断した。赤銅色の瞳が優しく細められる。
『寝てもいいぞ。近くなったら起こしてやる』
「うーん」
水無月との会話はいつも面白い。何でもない普通の会話でも、いつだって楽しいのだ。名残惜しそうにウトウトと眠気に抗う夏南。水無月は喉の奥で楽しそうに笑い声を零すと、そっと頭を撫でた。
『また起きたら話してやるから』
「ん……」
そう言いながら優しく梳くように髪を撫でれば、夏南はあっさりと意識を手放して眠りの世界へと入っていく。すぅすぅと規則正しい寝息を立てる夏南を見下ろす水無月の瞳にチラリと熱が浮かぶ。
『あぁ……本当に早く攫ってしまいたくなるな』
安心しきった顔。それは心の底から信頼して油断しきっている証だ。いつもそれを見るたびに水無月の胸の奥にグツリと言いようのない熱が湧き上がってくる。それは灼熱のように熱くて心地よいもので、うっかりそれに身を任せてしまいそうになる。
だが、そんなことをした日には呆気なく、この愛おしくて仕方のないこの人の子のことを自分の世界へと隠してしまうだろう。それはまだ早い。もっと、この子が成長してからにしたい。
それに、いつかは自分の意志でこちらの手を取ってこの世を捨てる。それまで待つ甲斐性ぐらいはあるつもりだ。
『早くこの世界を捨ててしまえ。私が嫌と言うほど愛してやるから』
飢えたオオカミのような鋭い目。だが、その声はどこまでも深く甘い熱を含んでいる。さらりと愛おし気に撫でながら、水無月は妖艶な笑みを夏南の寝顔へと向けていた。
新幹線を下りた夏南は久々の景色を見渡す。世間は空前の南国ブームで、海側は人がすごいらしい。だが、山側であるこちらは何とも寂しいものか、人がまばらで去年より明らかに人が少ない。
「やっぱ、夏は人少ないね」
『秋は紅葉で混んでいるがな。まぁ、年がら年中人だらけだと疲れてしまうから、閑散とした時期があってもいいだろう』
「それもそっか」
まぁ、その方がバスも空いているよなと思いつつ、夏南は目的地である神社まで出ているバス停を探す。しばらく見ない間に少し変わってしまったのか、いつものバス停が別の場所行きとなっていた。
きょろきょろとあたりをもう一度見渡す。
「バス停変わっちゃったんだ。どこだろ」
『あれではないか?』
水無月が指さすバス停に近づく。そこには“枸杞能登神社行”と書かれていた。先ほどの場所からそこそこの距離があったのに、こんな小さな字が読めたのかと夏南が見れば、水無月はすごいだろうと言いたげな顔だったので、夏南は軽くため息をついて礼を言った。
バスへと乗り込み席に着いてから車内を見回す。もうすぐで出発だというのに、人はいない。去年であればそこそこ人が乗っていたのにな、と僅かな寂しさと空いていることへの幸運に夏南は少しだけ複雑な気分になった。
シューと音がなって扉が閉まる。運転手が発車の一言を言ってからバスはゆっくりと動き出す。
『ないすたいみんぐ、ってやつだな』
「そうだね、運がよかった」
駅の景色は少し変わってしまったが、町の様子はそこまで変わっていないようだ。ぽつぽつと並ぶ民家と畑。その奥には山がいくつも連なっている。目の覚めるような緑になんだかホッとする。
「お客さん、どちらまで行きますか?」
景色を眺めていると、不意に運転手が声をかける。夏南は素直に枸杞能登神社と答えれば、停留場に人がいなければそのまま向かうことを運転手は彼女へと伝えた。
これは予想よりも早く到着できるかもしれない。ますます運がいいなと夏南はまた嬉しくなる。でも同時にそれだけ人がいないのかと、やっぱりちょっぴり寂しくなる。
気を取り直して“やったね”と隣を見ると、水無月は腕を組んだまま神妙な表情で進行方向を見ていた。不思議に思って首をかしげる。
「どうしたの?」
『いや、少しだけ嫌な気配を感じただけだ。念のため、式を一体出しておけ。犬でよい』
「わ、わかった」
言われた通りにポケットから札を取り出して、式を呼び出す。膝の上に現れた柴犬型の式はスンと何かの匂いを嗅ぎ取ったのか、水無月と同様に進行方向を警戒し、小さくうなる。
バスが途中の停留場で停車する。扉が開いた瞬間、夏南の背筋に冷たい悪寒が走り抜ける。えっと思って視線を向ける。
入ってきたのは一人の腰の曲がった老婆だった。いかにも畑仕事の帰りと思わせる風貌に、背負ったリュックには泥のついたネギが数本顔をのぞかせている。
普段であれば何も思わない。だが、夏南は一目でその老婆がこの世のものではないと本能的に感じ取るだろう。纏う空気が明らかに生者のものではないのだ。冷たく澱んだ空気を纏ったソレはゆっくりとした動きで優先席に腰を下ろす。
その老婆の目はじっとこちらを見ていた。白目すらない暗闇が夏南を見ている。呼吸をしている様子もなく、ただじっと置物のように見てくるソレはニタリと笑っている。完全にロックオンされたな、と夏南はうんざりした。
しかも、アレはかなりの力を持っているようだ。以前に旧校舎であった悪霊よりも少し強いか。そんな存在とこんな狭い空間に閉じ込められたなんて最悪だ。
バスを降りるべきかとも考えたが、それは得策ではない。まだ神社まで距離がある状態で、バスの本数が極端に少ないこんな場所で降りたら、アレ以外にも厄介なものに出くわす可能性が出てくる。夕暮れ時の人気のない田舎がどれほど恐ろしい場所かをよく知っている夏南はため息をつく。
『どうするんだ。祓ってやろうか?』
「いや、そのままにしておいて。だってあれ、運転手にも見えてるんでしょ。急に消えたら、違う意味で面倒になるよ」
でなければ、停車して扉なんか開けない。それにどうせ頼んでも水無月はきっと祓ってくれない。それなのにわざと聞いてきた意地悪な彼女を軽く睨んだ夏南は膝の上の式の背中を撫でる。
『神社で奴に任せるか?』
「それも却下。あんなの連れて行って迷惑かけたくない。降りたらきっと追いかけてくるから自分でなんとかする」
『そうかそうか』
夏南の返答に水無月が嬉しそうに頷いた時だった。
――枸杞能登神社に止まります。
どこか陰鬱としたアナウンスが流れる。こんな声だっただろうかと考えつつ、おそらくはもうあの老婆の攻撃が始まっているんだろうなと夏南は重たい腰を上げる。すると、老婆も腰を上げる。そして、じっと夏南が降りるのを待つようにじっと見つめる。
「うっわ……もう完全にやる気満々じゃんか」
ぼそりと吐き捨てる。
ニタリと老婆が笑っている。口の端からはタラリとよだれが垂れて光っている。先ほどよりも濃密な気配に夏南は、かなり質が悪い分類の悪霊そうだと心の中で嘆く。
目を合わせないように反対側を見ながらバスを降りようとした時だった。
「お客さん」
運転手がそっと声をかける。夏南は首をかしげる。
「降りたら神社にすぐ入るんだ。そうすれば、あそこの神主さんが守ってくれるから」
彼はちらりと老婆を見る。その顔は真っ青だ。どうやら彼は見える部類の人間のようだ。夏南としてはそんな彼の気遣いに感謝しつつ、どうやったら普通の暮らしができるのか聞きたい気持ちをこらえる。
「大丈夫です、ここまでありがとうございました」
頭を下げてから夏南は普通の足取りでバスを降りる。そして、振り返らずに神社を目指す。抱えた式が背後を見ながらうなり声をあげている。やはり、老婆もばっちり降りてこちらを追ってきているようだ。
『いつもの場所におびき寄せるのか?』
「そりゃあね。あそこならいろいろあるし」
バスが走り去っていくのを確認してから、夏南は近くの林の中へと入っていく。薄い結界が張ってあるのでこれで追いかけるのをやめてほしいなと夏南は願う。が、そんなもの紙くず同然だというように、バリバリと壊しながら老婆が追ってくる。
「あちゃーやっぱり来たかぁ」
『当然だろう。アレはお前のことしか見ていないからな』
「いつも思うけど、なんで私なんだろ?」
『お前の霊力が悪霊どもにはとんでもないごちそうに見えるからだな』
「うわぁ」
昔から悪霊が寄ってきやすい体質ではあった。それは年々ひどくなっているような気がしていて。それが、霊力が高まっているのが影響というならば嬉しいやら悲しいやら複雑な気分になる。
もうしばらく歩いて、夏南は開けた場所へと出る。そこは彼女がナニカに追われたときに、そのナニカたちを相手にするために作り上げた――狩場だった。
夏南はその中央で立ち止まり、ソレが姿を現すのを待つ。そしてそれが、とある地点へと足を踏み入れた瞬間、小さく呪文を唱えた。この場に刻んでいた結界を発動し、うっすらと夏南の霊力が周囲に広がっていく。
「これでお前は逃げられない」
神聖な空気がゆっくりと満ち始める。すっかり追い詰めたと思っていた老婆が困惑したように辺りを見回し、張り巡らされた結界を見るなり歯をがちがちと鳴らして夏南を見た。
結界を理解する程度の知能を持った存在。それは、力を持った存在でもあることを証明している。正直勝てるか不安だった。だが、それを顔に出したら悪霊の思うつぼである。すっと心を落ち着かせて、夏南は表情変えずに睨み返す。
――イマイマシイ、ヒトノコダネェ。
頭に響くのは陰鬱とした声。悪霊の声というのは何度聞いても慣れない。気をちゃんと持っていないと、敵の陰気に意識をもっていかれ、せっかく発動した結界も意味をなさなくなってしまう。
それでも老婆の声は強力だった。これが普通の人間であれば、あっさり飲まれて、動けなくなって最終的にはエサとなり果てていただろう。旅行に来て早々にこんな目に遭うなんてと夏南は肩を落とす。
式を地面へと下す。今にも飛び掛からんと牙を剥くその姿に頼もしさを感じつつ、夏南はポケットから札を取り出し構えると、
「行け」
そう式へと指示を出した。




